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| SWAY「帰れない道」 |
10年前のアルバム「Retain」に収録されている曲。ふと恋しくなり、CDを引っ張り出し、聞いている。 当時住んでいた川崎から、横須賀まで行って、この2人が生演奏する発売記念イベントに行ったのを、今でも鮮明に思い出すけれど、 ……そうか、あれは10年前の夏なんだ(いただいたサインに'99.8.7とある)……。 とすると、オリジナルメンバーの加奈サン(旧姓・杉山)も、そろそろ40歳の足音を聞き始めはるんや……、と、イジワルなこというのは、これくらいにして。
この曲には、 「私はあなたよりズルくなったよ、あいそ笑いも 嘘もつけるんだ」 というほど、ナイーブな恋(別れ)が出てくるのです。この歳になってくると、そのナイーブさが、なんか泣けます……。
ということで、歌詞を韓国語に訳しているところ(*)。……わからなくなったことが発生。 別れた恋人の家までの道のことを、「帰れない道」といっているのですが、 韓国語だと、「戻ってくる」こと(dora-oda)と、「帰っていく」こと(dora-gada)とを区別しています。 [READ MORE...]
テーマ:韓国語 - ジャンル:学問・文化・芸術
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| 年金をめぐる錯覚(OECDネタ) |
OECDは、ほんといろんなことを調べてレポートを出してくれる機関です。 定期的に読んでいると、本当に勉強になるだろうな、 といいつつ、私もニュースになったときしか読まないのですが。 今回は、老齢年金の支給金額についての国際比較です。
日本の年金、低水準=現役時所得との比較で−高齢化のしわ寄せ顕著・OECD 6月23日18時54分配信 時事通信
年金の支給金額(正確には、所得代替率……現役時代の収入に対する年金支給額の比)が、国際的にみて日本が低いという事実(*1)以上に 北欧の年金制度設計でした。 スウェーデンなどでは、所得代替率が、現役時の所得の大小にほとんど依存せずに、一定に近いのです。いいかえれば、現役時に高収入を得ていた人ほど、年金額もほぼ比例して高くなるのです。 言い換えれば、強制貯蓄のニュアンスが強い制度なのでしょう。
日本は確かに金額の小ささがあるので、弱者救済という感じがしませんが、 所得代替率という尺度を使えば、低所得者ほどより高い割合で年金額を決められるという、福祉政策的な色合いを明かにしている。
「基礎年金の最低支給額より、生活保護手当のほうが高額なのは、不公正だ」 この批判は、納めた保険料に比例して支給額を決めるのが当然と考える立場、言い換えれば北欧で取られている”強制貯蓄”の原理に立つことで、成り立つ批判です。
けれど、それは、(所得に対する)社会的保障の政策であって 「福祉」という概念からは遠いものです。 [READ MORE...] テーマ:新自由主義 - ジャンル:政治・経済
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| 仕事で使える英語の話 |
職場での昼下がりの会話です。
A「○○クン、英語は得意?」 B「いえ、それほど得意では……」 A「それほど、ということは僕よりできるんや。資料作り、お願い」
言葉は、正確に使わないといけませんね!? テーマ:仕事日記 - ジャンル:就職・お仕事
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| 映画「劔岳 点の記」(マニアゆえの辛口評) |
今週末封切りになった映画「劔岳 点の記」を見てきました。 最初に。 日本の映画って、こういう圧倒的な客観描写で完結させる伝統もあるんですよ、 ということを、世界に向けて知らせたいな、思い、世界レベルにある映画だとは思いました。 ヨーロッパで「おくりびと」や「楢山節考」といった作品の精神性が高く評価され勝ちなのですが、 あえて「思惟」から遠ざかった視点で、 ひたすら「自然」と対峙する、そんな作風も古くからあるんですよ、 その極致がこの作品です、とどーんと世界に打って出て欲しいと、見終わった瞬間には、感じました。
が、何かしっくり来ないのです。 こんな肩が凝るような話だったっけ? これでは、仮に家でDVD鑑賞するとしても、あまりの「教訓劇」ぶりに、思わず正座して2時間見続けそうな圧迫感があります。 作られた(枝葉を省きすぎた?)物語ゆえに、かえってリアリティーを失っているのです。 夫人が貞淑すぎる、長治郎サンが従順すぎる(原作では、1度だけ怒った表情をつくり口をつぐむシーンがあります。そのシーンは室堂との確執にかかわる部分なので、映画を作る上で問題になるのを避けるため、省かれたのでしょうね……)。 つまり、できすぎた人ばかりになってしまっている……。
その観点でいうと、 私が今まで見た映画の中で、もっとも原作の雰囲気を壊した作品だと思います。 新田次郎は、ヒューマニズムや自然の荘厳さを描くことに執念を絶やさなかった人だと思いますが、そこにだけ注目して映画にしてしまっているのを、残念に思います。 主人公とその奥さんとの間には、言い得ない葛藤があったはずなのです(身の回りの準備に奥さんをかかわらせなかったために、彼女が傷つき無言で部屋を去ったりするシーンが原作にあったはず)、また山岳会との初登頂争いも、結局は彼を含め陸軍参謀本部の独り相撲であったことを、皮肉っぽい筆致で描いていたはずです。 そういうペーソスを含め、地味ながらほろ苦い話であるはず (山頂で修験者の錫杖の一部が見つかること自体、ほろ苦いお話なのです) 一生懸命すぎるというのでしょうか。 もちろん、物語内の世界もこの映画を撮ることも、一生懸命にやらねば成し遂げられなかった仕事とはわかっています。 けれど、このままでは、単なるヒューマニズム賛美に終わってしまう。 原作が描きたかったところは、もう少し別なところにあったと思うのですが……。
もっと端的な言い方をすると、 新田次郎のエッセイ集を買ったら、本文より、藤原正彦サンによる解説のほうが長かった(爆)、 そんな、一種の肩すかしを食らった思いです。
藤原正彦サンの論調には、明治維新の精神だとか、日本人の美徳だとか、武士道だとか その種のものが溢れている、 ……なんとなく、あの感じへ、この映画が”修正”されて出来上っていると感じたのです。 新田次郎サンは、それらが、ある種建て前であること(自らを律する規範ではありえても、同時にその「規範」が、彼の祖父に象徴される恐怖政治的な家父長制と表裏一体だったこと*1)を明言している。
そんな明治の歪さの現れとして、「八甲田山・死の彷徨」で軍部のありようを皮肉ったり、「芙蓉の人」をあえて野中到本人ではなく、千恵子夫人視点で書き、気象学会の権威主義者と戦わせたりしている。 明治を間接的に知っている父新田次郎の世代から、明治を直接知らない子藤原正彦氏の世代(*2)に物語が引き継がれる時点で、 ”明治”のリアリティが薄れってしまった、ということなのかも知れませんが……
”明治”の空気を知っていた著者や読者が、時代をほろ苦く(そして若干批判的に)振り返っている……そんな味わいを残して欲しかったです。 (*1)彼が幼いころ、父方の祖父に些細なことで張り飛ばされたことを、複数のエッセイで書いている。 (*2)この映画の監督木村大作サンも、この映画への協力者としてなを連ねている藤原正彦サンと同世代です [READ MORE...] テーマ:日本映画 - ジャンル:映画
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| 死ヲ司ル社会−死への社会的要請と法−(序章) |
今日、臓器移植法案の改正案が衆議院を通った。 いわゆるA案という案が過半数の賛成を得たと聞き、いろんな感慨を持ったが、今日はそれを書かない。
実は、A案の中にある、 「15歳以下の人についても、本人の意志表示のありなしにかかわらず、家族の申し出によりドナーとできうる」 という一文を見たとき、 リバタリアンとして、根本命題を突きつけられた、と焦っていたのだ。
焦りながらも、これらの法案が採決に入る前までに、何かをリバタリアン的な見解を自分なりにまとめたい、と思った、が、あまりに広がりのある問題なので、とうていまとめきれず今日が来てしまった。
今日は、とりあえず、私がどのような問題意識を持っているか、を紹介しておきたい。
一言でまとめると、 「ヒトは、勝手に死ぬことを許されない時があるようだが、 社会がヒトの死を定めるときには、どのような自制が社会の側に必要なのか その合意をどのように作っていくか」 ……そんな問題だ。 [READ MORE...] テーマ:医療と行政 - ジャンル:政治・経済
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