だれだろう「私」の命を、道具にしようとする人は。 〜〜〜
かつて−湾岸戦争のとき、フセインはカミカゼアタックの指令を下し、そうして死んだ兵士を、賞賛した。 この週末には、チベットで数十人とも何十人とも言われる人が騒乱の中で死んだ。
ミーイズムの極致と非難されるだろうけれど、 「私」は、−人に指図できるような器でもない「私」は、真っ先に「敵」の前に立ち、真っ先に死ぬことになるだろう。そう考えると、「大義」など、嘘に聞こえてしまう。
とむ丸さんがこう書いておられるのに、何かほっとした。
17日の朝刊を見れば、毎日の第1面が「ラサで80人の遺体」で東京新聞も同様のようですし、朝日は「争乱イラク 夫奪った」。BBCニュースやアルジャジーラのフロントページはやはりチベット問題。昨年はミャンマー問題が世界を揺るがしましたが、その他、日本のメディアに報じられていない紛争とそこで生じる無数の死が、現在も進行中。 21世紀になって、どれだけの血がこの地球上に流れたでしょうか。 今私の身近で、ふ... 争乱で殺される命の周りにはどれだけの人の思いがあるだろう
チベット人のある特定の「私」が、チベット仏教を信じるか否かを選べる、実はそれこそが「信教の自由」。政治に関して、思いの丈をぶつけることができること(受け止める用意のあること)それこそが「自治」……そこに、「民族」や「宗教」の介在する余地がないだろうに。 政祭一致の旧体制でも政治が宗教をコントロールする現体制でも、どちらに転んでもうまくいかない……、 その閉塞感が、チベットの行き詰まりの正体では、ないのだろうか。
最後にチベットに住む人へ、そして取り締まる側の武装警察の人たちへ。 「うまく立ち回っているつもりでも、次にそぎ落とされるのは、あなた達自身ですよ!。敵を見誤るな!」 以上、約500年前俗権力と結びついていたために、破壊され尽した日本の天台宗の、1信者より。 テーマ:中国問題 - ジャンル:政治・経済
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