一月、 自分の包み隠せない姿を突きつけられる形で、多くの言葉を投げかけられ、 同時に、うっすらとした障碍の症状と、自分が回りに人とのかかわりの上で生じていた「生きにくさ」とが結びつき、 一気に自分の姿、自分のありかた、性格、能力、やろうとしていることが、 すべて「上っ面」なものであると、もっとも痛みの伴うかたちで突きつけられ、 かといって、多くの知人の方とも絶縁せねばならない状況にも陥った。
相談する相手もなくなり、自分の自己愛や、非力さや、自分の持つ困難さに気づかずに来てしまった鈍感さにも、絶望もした。
たとえば、福島のことをBlogで書いているのも、自己顕示欲と周りを見下したいという自己愛との複合物であって、自分の得意な分野で安住して気楽に書いているだけでないのか、 そんなことにも、ようやく気付き、 何もかけず、何も話せないところまで行きかけた。
しばらく経ち、「自分の置かれている状況」をだんだんと理解し‥‥たとえば、これが一種の自閉症なのであり、治るわけではなく、工夫しながら折り合いをつけるよりないということを理解し、 あらためて、問い直すことがはじまりました。
自分が何をやれる可能性があるのか、何で周りの人たちへ「働きかけられるか」を問い直すことが続きました。
このまま、ダメになる典型的なパターンだな、とか、心のどこかでわかりつつ、 会社だけは行き、目の前の仕事だけをなんとかこなした日々。
が、いっぽうで、読んだ本でこの文章を見つけ、 自分だけでないのかもな、とも思い始めたのも、おなじ頃1月の末だった。 「アスペルガー症候群は人口比で2.8%程度の頻度で現れている」 ということは‥‥同年輩で同じ症状に苦しんでる先人たちにも、相談できるかもしれない
某SNSでそれとなく呼びかけたところ、同じ中京圏で数人と即座にやり取りが始まりました。
もちろん、私よりも重い症状の方は、私よりも根源的なところで悩んでもいました。 働けるのか、自活していけるのか、といったレベルでの悩みを持つ人さえ、含まれていました。
コミュニケーション上での理解力・記憶力に乏しい私たちのような症状は、ありふれた能力を持つ人から見ると、まさに亀。
いっぽうで、同じ自閉症系のものでも、衝動性(瞬発性もかも?)に過剰になり、兎のようふるまう人もいて、その人たちも苦しんでいる事実を知ることになります。
亀は亀なりに 兎は兎なりに それぞれの名前があり、特徴があり、悩みがあり、 それぞれのありかたに苦しみながら、みんな道を探しているんだな
そうして、生きなおそう、とやっと思い直せるようになったのでした。 42歳での、遅すぎる自我の目覚めでした‥‥。
そうして亀としての、「逆襲」の道を探しているうちに、 同じ三重での亀仲間の方が耳よりな話を、ちらっと漏らしたのです。
「7月末に、志摩スペイン村でのよさこいソーランの演武に、福島の飯館村からチームを呼ぶんだけど、協力してもらえる人いません?」
そのイベント協賛募集の告知です。 [READ MORE...]
テーマ:うつ病(鬱病)、メンタルヘルス - ジャンル:心と身体
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