ほしあかりをさがせ
山登り・サイクリング・星見・石仏探し 本命は何なのか、出たとこ勝負で行ってみましょう
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デルタ

Author:デルタ
四十才代、三重北勢在住の技術者です。ちょっとだけ営業マンもしてました。
ネット上では、磨崖仏の研究家としてごく一部の人から認知されてる(らしい)。磨崖仏・星見・歴史小説創作については、本館のHPを見て下され。

他の任務:東洋的リバアタリアニズムの確立。
       日本まんなか共和国 勝手に観光大使

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身の処し方
シャレではなく、独り身で年老いていく以上、仙人的な感性を持たないといけないと思っているけれど、
その際に「煩悩のもと」として残るのは、お金。

本当にお金との付き合い方は、悩ましいものがある。

おそらく思い悩んだであろう、板戸市の「わし」という方が、このような挙にでた。

市役所トイレに1000万円=「東北の人に」とメモ―埼玉
時事通信 9月29日(木)10時28分配信


お金とは何か。
いずれ、リバタリアニズム思想を完成させていくためには、精密な定義を与えなければならないけれど、
今日の段階では、この程度の定義にさせてほしい。
人との関係の中で、債権・債務を定量化するために役立つもの。
年老いていく過程で、人との債権・債務の関係を薄くなっていく。
そのために、お金の行き場所が自分でも決められず、溜まっていく(貯めるという自覚的な行動ではない)

その溜まっているお金を、ニタニタと眺めている程度には、まだ私は世の中との縁が切れていないけれど、
先行きも見えたとき、
お金の持つ潜在能力が、自分の世の中にかかわる力に似合わないほどに巨大化していると、気づいたとき、私はどういう行動に出るだろう。

やっぱり、こういう風に誰に託すわけでもなく、成り行きに託すような方法を選ぶのだろうか?
それとも、お金の潜在能力を、自分の能力そのものであると勘違いして、まだニヤニヤし続けるのだろうか?

いやはや、お金に対する身の処し方を想像するのは、怖いものである。
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