ほしあかりをさがせ
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デルタ

Author:デルタ
四十才代、三重北勢在住の技術者です。ちょっとだけ営業マンもしてました。
ネット上では、磨崖仏の研究家としてごく一部の人から認知されてる(らしい)。磨崖仏・星見・歴史小説創作については、本館のHPを見て下され。

他の任務:東洋的リバアタリアニズムの確立。
       日本まんなか共和国 勝手に観光大使

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「経路」は事業の性質により選ばれる
震災後、いろいろな機関が批判にさらされたが、その中に日本赤十字社へのものもあった。
「成分献血で入手した血液を、、製薬会社へ”売却”している」との告発があり、「震災後救急医療に使う全血献血の代わりにならないのに、金儲けのために成分献血を優先している」点を、強く批判するもので、その批判自体は目新しくなかったのだけど、震災時の非常時意識から、「騙された」と感じる人も多かったようだった。

実態はともかくとして、
今日本で行われている献血のシステムは、
「提供者を特定しないかたちで在庫し、提供を受けたことの証書を以て、必要になったものを返してもらえる」という個別契約を基にしている。もしこれがお金や他の物品だったら、「信託」にあたる。

いっぽう昔は、売血というシステムの存在した。……といっても、私が生まれるよりもはるかに前に、禁止された。五木寛之サンの「青春の門」での描写のように、貧者の窮余の策的なイメージが強く、反社会的との判定を受けて、一般には受け入れられなかった。
こちらのほうは、血のやり取りは採血の一遍きり。つまり、これは「売買」にあたる。

では、成分献血はどうだろうか。
運用上、成分献血3回で、献血手帳には1回として記録されるシステムになっている。
つまり「預けるもの(血小板や血漿)」とそれによって「権利を得るもの(血液)」とが、入れ替わるシステムになっている。これは、現実問題として血漿だけを輸血(輸液?)する機会が少ないから取られている措置であろうけれど、言い換えれば、成分献血したものが即輸血に役立てられていないことを示している。
……血液製剤として献血のループから離れ、結局は製薬会社へ売却されることになる。そして、得た代金で、献血(全血献血)を運営する資金を立て替え、代償として赤十字社が輸血の権利を与えていることになる。


このように切り分けて考えた結果、私は、成分献血への違和感や批判は、
この点、信託が形作っているモノの流れのループから、知らない間に切り離されて、売買の世界へ横流しされていることに原因がありそうだ。

実際、このようなこと、たとえば「混在保管を義務付けられている商品の一部を抜出しを、委託された側の都合で売却するのが常態化している場合、利用者の誤解を招くということで、金融商品ならば業務にストップをかけられるはずだ。

血小板などのように、「それのみで輸液されることがない」場合には、
やはり売買での流れを別途作るほうが、誤解も少なく、

一般に、お金や物品をやり取りする場合には、
上に述べた「信託」、「売買」のほかに、
「投資」、「貸借」、そして「贈与」とがある。

「投資」は、事業の拡大が見込めるときにふさわしく
「贈与」は、「経済的な意味」を超えた場面で、たとえば精神的な貸し借りや長期的な「交換」の関係を表明するのにふさわしい。
また、「貸借」は金利の大小で意見が分かれるけれど、モノを余計に生産・所有しすぎないようにする代替手段としてふさわしい。

今、世の中を見回すと、
「売買」と「投資」とを志向する提供者が多く、
本来その方法がふさわしくないのに、指定している場合が多い。
典型的なのは、お年寄りが、手元資金を何気なく「投資」へ回してしまうのが典型例だ。

このようにして手段を間違って選んでしまうのは、
それらのモノやお金をどのように使われるかへ無頓着なまま、
……たとえば、収益性などの結果に目をとられてしまうなど、いかにもありがちなことで、
リーマンショックも結局はそこに落ち着く。

目的に即した適切な入口から、入れないと迷子になる(そうした浮足立ったお金を用い、投機機会を生むのに利用する人が出てくる)
そして、目的に即した適切な入口がないなら、作るように訴えねばならないと考える。

最初の例でいえば、成分献血を「献血」事業の枠内で行わなわせないような申し立てをする必要を、私は感じている。

モノやお金は、自分からあるべき姿へ収まってくれるわけではないのだから。
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テーマ:このままで、いいのか日本 - ジャンル:政治・経済

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