ほしあかりをさがせ
山登り・サイクリング・星見・石仏探し 本命は何なのか、出たとこ勝負で行ってみましょう
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デルタ

Author:デルタ
四十才代、三重北勢在住の技術者です。ちょっとだけ営業マンもしてました。
ネット上では、磨崖仏の研究家としてごく一部の人から認知されてる(らしい)。磨崖仏・星見・歴史小説創作については、本館のHPを見て下され。

他の任務:東洋的リバアタリアニズムの確立。
       日本まんなか共和国 勝手に観光大使

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性格・態度・修行
少々のことに動じず、
けれど自然にふるまえる‥‥
そんな仙人への道もまだ遠く。
また、実際的な生きにくさを克服したくて、カウンセリングを受け始めている。

今日からの試してみることとしては‥‥

ゆっくりはなそう、発音しよう、
ということ。
小賢しく、そして無理して、他人のペースで話して、
実は頭がついて行ってないというのを、まず避けないと、との考えからだ。


さて、それだけなら、何も日記に書くほどのことでもない。

私のもう一つの怖れ、
性格の化けの皮がはがれることへの恐怖(そして「口先だけで騙している」と罪悪感)だ。
私の「性格」と思っているものは、実は宗教的な戒律にもにて、身に着けようとしているものであって、本性のものではない。だから、ほころびが起きると、不信感を相手に与える、という不安だ。

この不安に対する回答が、なかなか目から鱗だったので、書き留めておきたい。


性格というのは、うちに秘めたものであり、外に現れる態度や行動とは一致しないこともありうる、
とりわけ私のようなケースだと、性格には関係なく「周りが見えていないゆえに、身勝手な態度しているように見える」と。
もちろん、楽に性格と態度とを一致させることができる人も多いし、
それが一見「当たり前」であるので、奇妙な考え方ではあるけれど。

一方で、うちに秘めているもの(思っていること)は、他人には見えようがなく、
態度から、その人の性格を推し量るよりない。
だから、性格は場面ごとに揺らいで見える可能性があるのだ、とも。
ということは、
私の場合、隙なく、性格へ態度を一致させていく努力をしなければ、やはりいけないということ。

ま、いわば、宗教でいえば、
「性格」が「仏性」であり、
それを振る舞いへ定着させるための、修行が必要なのと、同じですよ

とは、カウンセラー氏のたとえ。
なるほどな、とは思いつつ

その修行の前途の長さを思ってしまった私なのだった。
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テーマ:心の持ち方 - ジャンル:心と身体

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