ほしあかりをさがせ
山登り・サイクリング・星見・石仏探し 本命は何なのか、出たとこ勝負で行ってみましょう
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デルタ

Author:デルタ
四十才代、三重北勢在住の技術者です。ちょっとだけ営業マンもしてました。
ネット上では、磨崖仏の研究家としてごく一部の人から認知されてる(らしい)。磨崖仏・星見・歴史小説創作については、本館のHPを見て下され。

他の任務:東洋的リバアタリアニズムの確立。
       日本まんなか共和国 勝手に観光大使

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聖ヤコブの道(Estrada de santiago)
ポルトガル語で「天の川」をさす言葉には、二種類あるという。一般には、ギリシャ神話のヘラの乳から由来するvia láctea(乳の道)を使うけれど、風雅な雰囲気で、Estorada de santiagoとも言うようだ。
直訳すると、サンディエゴの道。……私は、この文字通りの意味から、スペインのサンディエゴへの巡礼道を連想していた。
そのことを知ったのは、去年の夏。
以来、疑問がいくつかあった。

一つ目。サンディエゴへ、ポルトガルから行こうとすると南北に道は延びる。天の川にしては方向がヘンだな、と。
二点目は、……そもそも、サンディエゴへの巡礼道というのが、天の川の別名になるほど広く行われていたことなのか。ということ。
そんなもやもやを抱えていたところへ、尾鷲にある「熊野古道センター」でサンディエゴ巡礼道の展示会があるとの告知を見て、
先週日曜日訪れた。

世界遺産を歩く~サンティアゴ・デ・コンポステーラへの道~
http://www.kumanokodocenter.com/event/20111223.html

畳敷きにして15畳くらいの板敷の部屋に、日本から巡礼道を歩きに行った人の体験記から起こしたであろう写真や紀行文、がパネルにしてつるしてあり、さらには、一番入口に近いところには、フランス方向からピレネー山中の国境を越えたところから、イベリア半島の北西の端といっていいサンディエゴの町、そしてその町にある聖堂「サンディアゴ・デ・コンポステーラ」を目指す800kmの道。今でも、万単位の人が歩くという巡礼道で、きっちりと専用のお宿(ドミトリ形式)まで道すがらに設けてある、まさに生きた道なようだ。
800kmともなれば、歩きとおすと30日を超える。その間の生活はすべてザックの中に背負い込むことになる。寝袋、ガスコンロ、食器……そして巡礼証。
日帰りならば歩き旅行も平気な私でも、これだけの長期間だったら着替えがどの程度いるか、とかが見当もつかず、目の前に置かれた、具体的な装備……10kmの荷物がパンパンに詰まったザックが大きいのか小さいのか、よくわからない。

標高1000mを超えるような大きな峠を越え、迎えてくれるのは、聖ヤコブの記念聖堂があるサンティアゴ・デ・コンポステーラだ。
町の名前Santiago de Compostelaには、こういう言われがある。
Santiagoは、聖(Sant)ヤコブのこと、Compostelaは、ラテン語のCampus stellae(星の野原)が略されたものだ、と。
9世紀、星に導かれた羊飼いが、ここにヤコブの墓を発見し、その上に聖堂が作られるきっかけになったという。
以降、10世紀から12世紀にかけてヨーロッパ中の人が巡礼に訪れるようになったという。
そして、聖堂で贖宥状(免罪符の一種)を手に入れ、大聖堂の大きな香炉で身を清められることになる。

が、巡礼者によっては、そこで巡礼を終えずに、さらに西へと歩く人がいるという。フィニステーレ岬……イベリア半島の北西の端まで足を延ばし、そこで巡礼に用いた服を焼き、過去と決別する、という儀式をするために。

贖宥状を手に入れ、服を焼いてまで過去と決別する旅……。
確かにスペイン国内でだけでも片道1か月はかかるこの巡礼は、ありきたりな社会生活をしている人間には、昔でもできなかっただろう。はぐれてしまった人たちが、再生するために歩いた例が多く、そんな風習ができたのだろうな、というのは私の想像だけど、なんとも合点も行くし、身につまされる話。

中世のヨーロッパでは、旅する人は星占いで次の行き場所を探したのですよ、
と、かつて画家でヨーロッパ古楽の研究家でもある吉田稔美さんが教えてくださったのを思い出す。

希望の星もあれば、知らず知らずに導かれる死への星もあっただろう。
そのようなあまたの人を天の川の星屑にたとえて、この道の名を天の川の別名にしたのだ、とボードには書いてあった。


ところで、
聖ヤコブには、何かと星に関係する話が多いようだ。

墓が再発見されたのも、星占いの結果だったし、
一説には、天の川がヤコブの昇天の道(足跡だったかも)という考え方もあるようだ。
さらに、四分儀が導入されるまで、キリスト教圏内の船乗りによって使われた星の高度角を測る器具を「ヤコブの杖」と呼んでいる。

聖ヤコブの人生を、夜空の星のような道しるべにした後進の人が多かったということなのか、
そこまでは私にもわからない。
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テーマ:ヨーロッパ - ジャンル:海外情報

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