ほしあかりをさがせ
山登り・サイクリング・星見・石仏探し 本命は何なのか、出たとこ勝負で行ってみましょう
プロフィール

デルタ

Author:デルタ
四十才代、三重北勢在住の技術者です。ちょっとだけ営業マンもしてました。
ネット上では、磨崖仏の研究家としてごく一部の人から認知されてる(らしい)。磨崖仏・星見・歴史小説創作については、本館のHPを見て下され。

他の任務:東洋的リバアタリアニズムの確立。
       日本まんなか共和国 勝手に観光大使

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はぐれながら、迷いながら
私には、成功体験というものがない。
ある意味、ボーダー最低の結果を四苦八苦して出して、けれど、それでお茶を濁していた。
その過程は、四苦八苦で、必死ではあるのだけど、
やみくもな努力と、その過程を冷静に振り返れないほどの余裕のなさと。
なのに、背負ってしまったこと、やらねばならないと自分に課してしまったことが、まだまだたくさんある。

お金もらってやっている仕事より、背負いこんだものの方が多い。
それは、私が、自分を特別視しているからか?
その通りともいえる。
けれど、私しか見ていないものが、この40年間で積み重なってきているから。
また、同時に、
人と同じことをしていたら、
それこそ、埋もれてしまうほどに能率や力(物理的な力)が、人並み以下だから、
ニッチに生きていくよりない。
競争になったら、かならず負ける、と知っているから。競争にならない場所を探して、生きるよりない。

だから、未開の荒野をあるくような羽目になっている。少なくとも、気分の上では。

結局、負のスパイラルで、生きにくい道へ自分で追い詰めているわけで。

埋もれて生きる?埋もれて、人並み以下と呆れられながら、生きていく?それも平坦な道でないし
結局、ニッチに生きるより、もっと生きる道を閉ざすことになりかねない。

だから結局、松浦武四郎みたいにして、自分の歩くスピードにすべてを合わせるしかないんだろうな。

‥‥急ぐな、自分。
なんの役に立つんだ、と笑われることは、いつものことやん、自分。
カッコいいことや、具体的に人の役にたつことが、できなくても
人が、バカにしてしないことをして、急所をつけばいいだけのことじゃないか。

そんな私は、だからひっそりと、浜通りへ磨崖仏の様子を見に行くことにする。しかも、公共交通機関だけで。
「彼ら」は、今より遥かに私のようなはぐれ者が生きにくかった時代に、日常的な「災害」の中で、人々とつながりを持った、証人でもある(そんな場合が多い)のだから。

難しい論考になるけど、
網野史学でいう「無縁」の原理と、被災地のサバイバルって似ているようにも思う。
その無縁の社会は、実は、誰もがはぐれ者になる社会でもあったわけで、
みんなが、世の中からはぐれ、新たな安寧を作っていく、「再構築」の例って、中世の日本の社会像にたくさんヒントがある気がするんだ。
‥‥ちょうど、浜通りに磨崖仏が作られた時期でもある。
今週末、そんなヒントを探しに行ってこようか。
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