ほしあかりをさがせ
山登り・サイクリング・星見・石仏探し 本命は何なのか、出たとこ勝負で行ってみましょう
プロフィール

Author:デルタ
四十才代、三重北勢在住の技術者です。ちょっとだけ営業マンもしてました。
ネット上では、磨崖仏の研究家としてごく一部の人から認知されてる(らしい)。磨崖仏・星見・歴史小説創作については、本館のHPを見て下され。

他の任務:東洋的リバアタリアニズムの確立。
       日本まんなか共和国 勝手に観光大使

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遡及適用から置いて行かれた‥‥
思わせぶりな題名だが、日本で原発の基準が新しくなっても在来の炉に適用されなかった話では、ない。

昨日判決が出た大阪市平野区での引きこもり男性の犯した殺人事件についてだ。

概要はといえば、
子どものころから引きこもって現在42歳になる男性が、世話してもらっていた姉に自立を促され、
一方男性は、姉が自立を阻んでいると思い込み(この思い込みが、本当にあったのか、今流れているニュースからは、さすがに私も読み取れない)
男性が姉を逆恨みし、殺害したというもの。

これに対し、裁判員裁判で、求刑超えの懲役20年の判決を出した。
その判決理由を要約すると、次の通り。

 (A)アスペルガー症候群の影響は量刑上、大きく考慮すべきではない(責任応力があるとの認定)
 (B)計画的で執拗(しつよう)かつ残酷な犯行。
 (C)反省が見られない
 (D1)家族が同居を望んでいない
 (D2)障害に対応できる受け皿が社会になく、再犯の恐れが強い
 (E)長期間、刑務所に収容することが社会秩序の維持に資する

社会の常識を司法に導入する、という趣旨で行われている裁判員裁判だから、
正直なところ、異議を唱えるのは、まさに反社会的なのだろうとためらってしまう。
が、司法の求めている「社会の常識」というのは、いろんな立場の人の「常識」と照らし合わせて、といいうニュアンスであって、「社会規範を反映させる」というものではなかったように思うのだが、
どうしても、「社会はかくあるべき」という常識‥‥人を殺すべからず、とか‥‥を”一元的に”適用する機能が強く現れる様子だ。


だから、世話してくれる尊属を殺人=(とりわけ儒教的に)悪いこと=だから最大限の厳罰
という図式が先にあって、(B)から(E)までの心証(網羅的、言い換えれば寄せ集めた心証)が取りまとめられていったように見える。

とりわけ(D)については、かなり固定観念化に基づいた判断と言わざるを得ない。

(D1)でたしかに親族が引き取らないといっている。
がそうであるにしても、同居を拒んでいると読むべきであり、
その「勘当」状態が未来永劫続くかどうかも不明だし、金銭的な援助は続けられる可能性もある。
まして、この裁判の途上で、はからずも「アスペルガー症候群」という診断名が出たのである。原因も対処も五里霧中の状態よりは、親族も恐怖心・絶望感が薄れてくるはずである。
(さらに、この世代の親が持ちがちな「世間様に対する規範意識」が、ご家族を支配していることも考慮しないといけないだろう。がそのような世間体をいつまでも保てるか‥‥)

さらにいうと、両親より本人が長生きするであろことを考えると、そもそも、親族が同居を望むか望まないかに関わらず、近い将来独り立ちの訓練をする必然性もあるわけで、
引き取り手がないことをとりたてて理由に使うのは、量刑の根拠にはならないと私は考えてしまうのだ。

(D2)の「障害に対応できる受け皿が社会にな(い)」
という理由づけも、量刑の根拠にならないと私は考える。
「成人のアスペルガー症候群当事者を支える機関」が現状でほとんどない、ということは事実であっても、
たとえば16年の懲役期間の間に、施設・組織が増強され、ノウハウが溜まっていくことが十分期待できる。
思い出してほしいのだが、15年前は、日本にようやく「発達障害」という概念があると紹介された時期。援助団体や当事者の互助団体が今各都道府県に1つはあるようだけど、それらは、ここ10年の間に作られ急成長してきたのである。(私もまだ接触を取っていないので、どの程度のノウハウや余力を持っておられるかはわからないにしても)
また、報道で伝わる限りの彼の行動からは、たとえば30年におよぶ引きこもり状態から、単なるアスペルガー症候群だけでなく、二次障害を起こしているのでないか、と推測してしまう。
解ったようなことを書いて恐縮だが、
この言い方では、「あそこの店はカメラの調子がオカシイから、撮った写真がパスポートの顔写真として使えない」と言っているのと同類のナンクセに聞こえてしまう。
報道されているような「単なるアスペルガー」であるならば、単にインプットと情報処理の問題(だから判断にまで異常が及ばないと見なされ、責任能力があると認定されたのだろうし)。
が、行動はあくあでアウトプットの問題。インプットがヘンなのは、アウトプットがヘンになる誘因であっても、主因とはいわない。あくまで、他の精神的・心理的な不正常(うつだとか、対人恐怖だとか)が行動のきっかけであり主因になる。

からこそ、アスペルガー症候群という枠組みのなかで、どういう精神・心理的な不正常や破たんが起きていたかを分析しているべきだと思うのだけど、それが報道されていない
これがマスコミの無責任によるものか、ある種の配慮なのか、はたまた実際に「単なるアスペルガー症候群にすぎなかった」のか、は私たちにうかがい知れることではない。そこがもどかしいけれど、
これ以上は、安楽椅子探偵を気取るべきでないだろうな(汗)

と話が大きく脱線したけれど、
アスペルガー症候群だけなのか、二次障碍が出ているのか、ということがアイマイなままで、処置ができる受け皿があるかどうかを判断できるわけがない。
‥‥と、裁判員さんたちのどんぶり勘定ぶりに不審感を持ってしまうのだ。

このように整理すると、とりわけ「出所後の受け皿がない。だから長期間懲役に処すべき」との理由づけが理由として意味をなしていないことがわかる。

このような心証や理由に基づき、刑務所に押し込むのは、
結局はある要因を持った人間を予防拘束するという、20世紀前半に流行った「治安・秩序維持」の論理の忌むべき再利用でしかない。

現代の刑法がもっとも戒めている行為である。


さて。慣れない法思想的な議論はこれくらいにして、私のごく個人的な感想をここからは書く。

彼(被告人)の年齢的なこと、また彼がずっと引きこもってことを考えると、
そもそも彼自身やご家族も、発達障害というものの存在すらも知らないまま、この事件まで発展してしまったと想像する。そして事後的に、裁判の精神鑑定でいきなり「知らなかった事実」として突きつけられたことだろう。
彼とわたしは同い年。
私らが大学生位の時期でさえ、発達障害という概念が、日本に紹介されてなかったのだ。
そして、上でわかったようなことを書いている私だって、そのような概念があると知ったのは、つい去年のこと。

私自身の経験に沿って考えると、
このような事実を、突然(しかも精神的に動揺があるときに)、さらに40歳代になって知らされると、咄嗟に受け入れられず、混乱し途方に暮れるはずである。
それも半端なレベルでなく、「自分が何者なのか」というレベルで途方に暮れてることだろう。

そんな本人を前にして、親族の方たちも、まず事実として理解し納得ができるか、ということろからはじまり、混乱ばかりで、の差し出し方も見当つかないことであろう。

そんな中で、親族の一人が殺されたという事実と向かい合い、法廷証言などをせねばならないのである。
親族を失ったことだけでも、耐えられないことであろうに、
この追い打ちは、大変つらいことだろう。
ゆっくり考える時間が許され、カウンセラーさんと対話できる機会をもらえた私でさえ、半年かかって受け入れられるかもしれない、というところにようやくたどり着けた。
彼に、そこまでいけているだろうか‥‥。

これでは、裁判じたいが、「臭いモノに蓋」な進行になるのも不思議でない。

事件に発展してからでは、遅い。
症状…例えば引きこもりだとか…が現われたなら、何らかの措置を取って欲しい。

この種の苦しみは、
病名や症状が知られていなかったために、遡及適用されることなく放置されてきた私たちだけで十分である。
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この記事に対するコメント
はじめまして
 秋原さんのエントリーでコメントを見せていただきました。
 私も発達障がい当事者であることを知ったのは去年です。そこで様々な関連した病気の疑いを知って現在転職に向けて活動しています(無論様々な手立ては打っています)。そんな私の思いとあなたの思いは重なっているなと思いました。
 問題は、この被告人が今後どのように扱われるかなんです。彼に必要なのは刑罰ではなく教育でしょう。私はそう考えます。感情で人を裁く裁判員制度の弊害がまたしても出た印象ですね。
【2012/08/07 00:19】 URL | 小野哲 #q7uURgAw [ 編集]

ご返事が遅くなりました
小野さん、コメントありがとうございます。

大人になってから、自身のことを知った方ならば、私が私見として書いた内容は、共感いただけるだろうな、と期待しておりました、うれしいです。

それと同時に、この感覚というのが、場数を踏んでいる支援者の方たちや、あるいは接見されている弁護士さんなどに、理解してもらえているのだろうか、と不安があります。

刑務所や管轄の法務省も、不安な手さぐりの中で、彼に科す「ケイバツ」(もはやなんという言葉を使うべきなのか、私にはわかりません)のメニューを立てていくことになるでしょう。


教育・訓練に入る前に、自己を受け入れる思索から始めないといけないかも知れません。
その上で、自己肯定感を植えながら、事件の犯罪性を認識するように導かないと、「なぜ自分が監獄にいるのか」という疑問を持ってしまうかもしれません。‥‥自己肯定と犯罪の認識が、同時に達せられるのか、と考えると、まさに気が重いです。。
【2012/09/03 23:37】 URL | デルタ #- [ 編集]


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