ほしあかりをさがせ
山登り・サイクリング・星見・石仏探し 本命は何なのか、出たとこ勝負で行ってみましょう
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デルタ

Author:デルタ
四十才代、三重北勢在住の技術者です。ちょっとだけ営業マンもしてました。
ネット上では、磨崖仏の研究家としてごく一部の人から認知されてる(らしい)。磨崖仏・星見・歴史小説創作については、本館のHPを見て下され。

他の任務:東洋的リバアタリアニズムの確立。
       日本まんなか共和国 勝手に観光大使

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被害者なき犯罪を厳刑/誰もが加害者の可能性の犯罪を減刑
酒も飲まない、車の運転もしない人間が、ふと考える。

飲酒運転自体を「罰する」意味はなんだろう。
これ自体には、被害者がいないのだが、罰せねばならないらしい。
危険だから、というわけか。
意識がモウロウとした状態での車の運転が、危険というのならば、
体調の悪いとき、風邪薬を飲んだ時、にも同じ罰則を適用されねばならない。
いや、大体にして疲労が溜まっている夜間には、自動車使用自体を制限せねばならないだろう。

また「酒気帯びひき逃げ」と、通常のひき逃げとの間で量刑に差が出ているのは、れっきとした殺人犯であるひき逃げを「過失致死傷」の延長で評価するために、アンバランスになっているだけだ。

なぜ一般に車で人を殺した場合に、殺人罪でなく過失致死傷罪を基本に量刑するのか?
名前を思い出せないのだけど、かつて、東京高検の検事長だったかがこんなことをいったという。
「交通事故を殺人と見なすと、国民全員が殺人犯になる可能性があることになる。それは不合理だ」
その一声で、交通事故の厳罰化が見送りになり、相手が怪我だけなら不起訴(起訴猶予)にするという方針を定着させた。

「気をつければ避けられる条件だが、その条件下では人を轢く蓋然性が高いから厳罰にする」
という理屈と
「みんなが人を轢く(ハネる)可能性が常につきまとうから、軽い罰にする」
という理屈とが両立する社会。

特殊に厳しく大衆に甘く、というこのところの日本での世論と妙にリンクしている。
なあなあ社会、ここに極まっている。

対人の交通事故自体を、殺人罪(傷害罪)に扱うだけで、バランスが取れるのに。
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テーマ:法律全般 - ジャンル:政治・経済

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