ほしあかりをさがせ
山登り・サイクリング・星見・石仏探し 本命は何なのか、出たとこ勝負で行ってみましょう
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デルタ

Author:デルタ
四十才代、三重北勢在住の技術者です。ちょっとだけ営業マンもしてました。
ネット上では、磨崖仏の研究家としてごく一部の人から認知されてる(らしい)。磨崖仏・星見・歴史小説創作については、本館のHPを見て下され。

他の任務:東洋的リバアタリアニズムの確立。
       日本まんなか共和国 勝手に観光大使

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湖国周遊
というわけで、大津市の西教寺で展示されている、平家物語の写本(通称「西教寺本」)の原本を見て参りました。

寄り道も沢山(爆)
 まず、湖北地方へ。JR湖西線・北陸本線の敦賀までの直通便(先月のダイヤ改正でできました)に乗って、余呉へ。
古くは、「余呉の小ウミ」と呼ばれていた余呉湖の湖畔まで往復して帰ってきただけですが、湖の護岸こそ石積の人口護岸ですが石の間から水草や葦が所々で出ていて、琵琶湖の南湖よりも昔の雰囲気を留めています。びっくりしたのは野鳥の多さ、マガモ、それに小ぶりなカモ類の水鳥、が岸の50cmくらいのところに休んでいたり、鳶が2羽頭上の電線からフワって感じで去っていったり、極めつけには、大きな鷺が道路の脇30cmほどの場所から、ワタシの気配に気付いて、耳元に羽根が当たりかねないくらいの至近距離から飛び出していったり(これは、本当に驚いた。というか、この鷺、鈍すぎないか?普通そこまで人が近づく前に飛び去るだろ?)。

続いて、県境を越えて新疋田(しんひきだ)駅でも降りました。鉄道写真を撮る人の間では、有名な駅。というのは、北へ歩いて30分くらいの場所を起点にループ線があり、よくその筋では話題になっているところ。
本当に山の中、駅があるだけ、という状態が長らく続いた場所だと聞いていたのですが、生まれて始めて降りてみてびっくりしました。
……駅舎もログハウス風に新しいものだし、近くにニュータウンもできている。
けれど、近郊型の真新しい電車4両編成(どれもこれも”姫路行”とか”網干行”とか)は、場違いでした。やっぱり、2両編成で十分な気が。

今日も、ホームに5人ほど写真を撮る人が居ました。バックがのっぺりとした山並みになるというのに、望遠レンズでひたすら電車だけを撮ってはります。おまけに駅舎のテーブルには、誰の持ってこられたものか「鉄道ダイヤ情報」という非常にマニアな雑誌が置かれている、というあたり、多分一般のお客さんが降りて来られたら、目が点でしょうね。

かくいうワタシも、湖西線(比叡山坂本駅方向)へ行く電車を待つ30分ほどの間、写真を撮ってみました。ポケットサイズのデジカメしか持ってないし、第一走っている電車を撮るのは中学時代以来だから、あくまで”お遊び”です。(駅から出て線路脇の変電所の隣から撮影。山の雑木林が色づいているのも画面に入れたかったので)
こういう写真も撮るけど、テツではありません




そんな寄り道をしているから、西教寺の最寄り駅比叡山坂本に着いたのは家を出てから約6時間後の13時前。もと地元民の強みを活かし、近道を通りつつ西北西1.5kmにある西教寺へ歩きました、とあっさり書きますが、誰か他の方と一緒だったら「これを歩くのか?」とツッコミを受けそう。標高差が50mはゆうにあるので。そういうケースのために、1時間に1便”西教寺行”のバスが走っていることは付け加えておきます。

その道々、地元民ですら知っている人の少ない史跡があるので、写真だけ紹介。日吉台という住宅地と坂本との境目にある丘の上に、最澄が育ったお寺の跡があります。後に「紅染寺」という結構大きなお寺になった様子です(中世の坂本の絵図を見る限り)。今はその丘も宅地造成でずいぶん削られ、石碑の周り5mくらいを残すだけになってます(涙)

さて西教寺。
小学校5年の時以来です。
境内は、紅葉がそろそろ色づきだしており、華やかでした。総門は古風な味を出していましたが(なんせ言い伝えでは、坂本城の城門を移築したといわれている)
西教寺総門


秋真っ盛り


平家物語の本が展示してあるのは「西教寺文庫」という書庫なのですが、お寺の拝観券が必要ということで、600円を払い、だいぶ忘れかけている本堂、客殿をまず拝観。本堂の本尊丈六の阿弥陀さんは、昔通りキンピカ。平安時代の作というのが信じられません。このお寺の象徴というべき「不断念仏」の鉦が、10秒くらいの間隔で響き、普段はのどかな雰囲気です。今日みたいにバスで団体サンが来られると、「観光地」ぽくなりますが。
さて、ここから先は今回はじめて知ったこと。
このお寺、平安から応仁の乱まで京都にあった大寺「法勝寺」を、合併しているとのこと。法勝寺といえば、平家物語の発端で出てくる俊寛の本拠地だから、なるほどそういう繋がりか、と納得しつつ、周り終わって西教寺文庫へ。
西教寺文庫の一室、広く仏教関連の参考書籍を集めた資料室の一角にショーケースに入れて、1巻と11巻を開いて展示してありました。手で書写したもので、隣に置いてある芦浦観音寺(草津市)蔵の木版本より、なんというのか、勢いがあります。ただ、案外シンプル。てっきり朱筆でメリカリの記号とかが書き込んであるのを想像したのですが、一部の漢字にふりがながあるだけ。……あるいは、こうして書写される時期になると、「語り物」ではなく「読み物」になってきていたのかもしれません。

むしろ驚かなければいけないのは、安土桃山時代に平家物語全巻の版木ができてて刷られていたことかも。一口に平家物語といってもページ数からすると結構な分量ですよね~。
手にとって見たわけではないので、正直物足りなかった。5分も見ると、間が持たなくなったので、係の方へこの本の寄進の経緯を教えて頂いたりもしました。

……と、ここで本題は終わりなのですが、
実はさらにこのあと、大津市立歴史博物館で山王曼陀羅の企画展示も見てきた。中世~近世期、比叡山と日吉大社とがどのように結びついてたか、実感を持つにはいい史料なのだけど、じゃ具体的にどういう人事交流があったの、とか、山王祭への比叡山関係者の関与は?といった基礎的な認識がなかったので、図案の面白さ以上の興味が持てなかった
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