ほしあかりをさがせ
山登り・サイクリング・星見・石仏探し 本命は何なのか、出たとこ勝負で行ってみましょう
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デルタ

Author:デルタ
四十才代、三重北勢在住の技術者です。ちょっとだけ営業マンもしてました。
ネット上では、磨崖仏の研究家としてごく一部の人から認知されてる(らしい)。磨崖仏・星見・歴史小説創作については、本館のHPを見て下され。

他の任務:東洋的リバアタリアニズムの確立。
       日本まんなか共和国 勝手に観光大使

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「虐め」考
……あえて、「イジメ」と書かず「虐め」と書きます。文字が示す通り、それは「シイタゲル」ことなのですから……

旅先、岡山・新見市のホテルにて。夜TVを点けたら、NHKで「虐め」について討論番組をやっていました。
正直に感想を書きます。
「何を毎度おなじみな堂々巡りを繰り返すのだろう」
「実態の証言」から始り、「解決に乗り出すときの虐められた子の親と教員さんたちの感情のコジレと相互不信」、そしてそれに起因する「親と教員との非難の応酬」そうしてあげくの果てに、「虐め経験者の子たちの不満が爆発」
25年以上も繰り返している、救いようのない「堂々巡り」です。

以上キツイ書き方ですが、小学校2年から高校卒業まで間断なく虐められてきた僕だから、……虐められている子たちの不満爆発までをも含めて、聞き飽きた”お話”なのです。

この番組を最後まで見ての感想というのか、二つだけ問いかけを出しておきます。

(1)「寛容さ0」(=問答無用の厳罰主義)を、社会が許しますか?
この番組に出ていた弁護士サンの、虐められている子たちへの同情心には、深く感謝します。が、そもそも弁護士=法律家がこんなに極端な『超法規処置』、刑法の大原則に反する「親告罪の事件を、被疑者に対する事情聴取なしに罰する」という主張するのに疑問を感じるし、手法自体も現実離れしているからです。
想像してほしいのです。虐めに参加した人間は全て「限りなく退学に近い無期限停学」という処分にした場合の、学校現場の混乱を。「ただの通学停止ではなく、教員が指導する」とのことですが、今実際に起こっている虐めの形態から考え、一クラスの3/4以上が停学ってのが常態となるでしょう……確かに彼等のフォローは教員を補充することで可能です。が、そこまでの労力を割く覚悟があるならば、1クラス10人以下の少人数学級を作るほうが手っ取り早いです。
中学生以下のレクレーション指導のボランティアをした経験から言って、集団の人数に依存して虐めが起きるか起きないかが決まります。10人くらいを境にそれ以下だと虐めが起きず、それ以上だと虐めが起きます。(経験則だから、理由がよくわからない。大人数になると「世間」というものができるからでないか、と推察していますが)

また、そのような手段に「虐めた」とされた親が納得しないでしょう。1対1ならば神妙に「悪いことをしていたのですね、うちの子も」となるのですが、同類が他人数になると、「こんなに沢山の人間が理由もなく”虐める”訳がない。虐められた方に絶対原因があるハズです」と抗議されることほとんど間違いありません。それが、人間の心理というものです。
(約20年前、滋賀県の草津市でそのようなことが起き、PTAが大混乱に陥ったことを当時上記のボランティア仲間から聞いたことがあります。傷害事件に発展した事件で虐めていると名指しされた数人を停学にしたところ、「虐められているヤツの方が挑発したのを責めないのか」とクラス中の人が呼びかけあい同盟休校に入ったという事件でした……)

(2)「子供達の声を聞け」で「解決する」のか?
この種の議論が起きると必ず声高に言われるのは、「当事者の子供達に聞け」です。が、これは、「解決」にはつながりません。
簡単なことです、虐めの原因が、「言葉=論理」で形容できるものでないからです。虐めている原因も、いや「虐めはいけないことだ」というのも、彼等自身漠然と理解してはいるのです。ただ目の前で起きている事態を、言語化できないので、「理性でコントロールできない」のです(そして、あとから理由付して行為を”合理化”するのです)。そんな彼等に、「言葉」や「高圧的な態度」で事態を正常化しようとしても、逆効果です。「彼等自身が、何をやっているのかはわかっているけれど、それを表す言葉を知らない」以上、理由を聞いても「嘘の答え・説明」しか返ってきませんし、”大人の目が届かないところで虐めが進行する”だけのことなのです。

大人にだってありますよね、「理由がはっきりしないけれど”虫の好かない人”」という存在が。大人の場合、それを理性でコントロールできる訓練を終えてますし、だいいち問答無用に四六時中”虫の好かない人”とつきあうことを強いられることもありませんから、虐めにまで発展しないだけ。

ただ、これだけは、言い添えておきます。何も言わず「言うことをなんでも聞いてくれる」大人は、是非必要です。虐められる方にとっても、虐める方にとっても、それが心の安定につながるという意味で。……そう、あくまで「癒し」として。

非常に酷な言い方だけど、「虐め」は子供が社会性を獲得する過程で起こす心理的な事象です。通過儀礼とさえ言えるかもしれません。だからこそ、「原因究明」ではなく「癒し=心のケア」が絶対に必要なのです。

ここから本筋からそれますが、
じゃあ、現状を黙認するのか?と詰面されそうなので、対症療法として2つ提案しておきます。
(1)虐められている子は、休ませてでも緊急避難させる。自宅学習で卒業認定してもいい、と国が宣言すればいいのです。
(2)子供にいろんな「世間」へ放り込むよう勤めること。同じ顔ぶれで四六時中つき合うから、というのが虐めずにいられなくなる最大の理由なのです。だから学区の異なる人たちだけと課外活動で定期的に合うように仕向ける、というのが、もの凄く効果的なのです。私の場合、「おやこ劇場」の青年部の活動がそれにあたりました(上で書いた「中学生以下のレクレーション指導のボランティア」がそれです)。
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テーマ:いじめ - ジャンル:学校・教育

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