ほしあかりをさがせ
山登り・サイクリング・星見・石仏探し 本命は何なのか、出たとこ勝負で行ってみましょう
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デルタ

Author:デルタ
四十才代、三重北勢在住の技術者です。ちょっとだけ営業マンもしてました。
ネット上では、磨崖仏の研究家としてごく一部の人から認知されてる(らしい)。磨崖仏・星見・歴史小説創作については、本館のHPを見て下され。

他の任務:東洋的リバアタリアニズムの確立。
       日本まんなか共和国 勝手に観光大使

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バージニア工科大乱射事件
逃げ回っていてはいけませんね。
日本で数少ないリバタリアンである以上、そして本場?米国のリバタリアンが「個人の銃所有」を当然の権利と見なしている以上、私の思うところを述べる義務がありますね(滝汗)。

主には、みーぽんさんがまとめておられる、「復讐の正義(感)」と「絶望」とが「銃」と結びつくことで増幅され顕在化する、という描写へ帰着するのだと思います。

バージニア工科大における乱射事件は、米国史上最悪のものになったそうです。

今朝CNNをつけたらこの報道で一色でした。アメリカでは昨年ペンシルバニアのアーミッシュの学校で乱射事件があったばかり。なのにCNN(正確に言うとLou Dobbs Tonight)では「学校における乱射事件はアメリカばかりで起こるわけではありません。カナダのモントリーオールでもあったし、日本でも学校における刺殺事件で8...
バージニア工科大乱射事件



以下、私なりの言葉でこの考えに具体的な肉付けを行って、銃を放棄できる社会のありようのヒントを探してみることにします。

今回の事件の米国での報道の中に、実行犯を「軽く」見ているものが数少ないですが、確かにあります。
「彼の残した文章の中の”彼女”は、空想の存在だった」
という報道など、実行犯の心象をたどる上で確かにある価値を持ちますが、それ以上に、「大人になりきれないナサケナイ奴」という蔑みの視線があります。

「自由」、「個人の平等」。
これらは米国をはじめとして、数多くの社会の根幹となっている約束ごとです。しかし、一方でこの約束ごとがフィクションであることは、よっぽどの子供でない限り、身に染みて知っています。
数多くの不平等の中で、如実に出る「格差」の一つに、体の格差があります。ジェンダー(Gender roleとすべきでしょうか?)としての「男」の場合、その格差を最初に感じるときというのは、……腕力で屈服させられたときになります。例外的な人をのぞき、そこで自尊心を打ち砕かれ、「個人の平等」という約束が”お約束”に過ぎないことを悟るのです。努力でその格差を埋めようとしますが、やはり「体格」という遺伝的な事項については、埋めようがありません。

そこで、誘惑が始るのです。
体力の格差、SKILLの習得の有無さえも、一瞬にして埋めてくれて、
「個人の平等」を確立してくれるもの……、と探し求め、銃にたどり着くことがあるのです
(大型の銃となると、体力的な格差やSKILLの差で命中率に如実な差が出てきます。だから、ここでいう銃とは、ピストルのようなものに限定されます。猟銃を使っても何の不思議もなかった今回の事件でも、ピストルを用いている、というあたり、象徴的だと思います)。

そのような思考過程に身に覚えがあるからでしょうか。
銃を「弱者が逃げ込むツール」と見なす、マッチョなひとびとが一方で沢山居ますよね。「卑怯なもの」とまで断言する人も、日本ではよく見かけます(特に武道の関係者が多いでしょうか)
本当ならば恐れおののかれるはずの「無差別殺人犯」を軽く見下す、そこが米国社会の強みでもあるでしょうが、一方実行犯からすればついに一生をかけてもその種の蔑みから逃れなかった……今回も、その図式にどこかはまっています。

そんな視線の中にあって、
真の意味で銃が必要でなくなる社会像を確立し、社会で理想と共有しないまま、単に銃だけを取り上げたのでは、上にいった「弱者(大阪弁でいうヘタレ)」は、「ヘタレ」との蔑みの中救われることなく生き続けることになります。……僕は、虐められた経験を持っています(そんな生やさしい言いまわしで表現しきれない経験です、小2から高3まで間断なく、なのですからね)。そのせいで、生理的な嫌悪から、この「形だけの銃規制」を拒否し続けるでしょう。日本中を敵にまわすハメになっても、……。

ただ、同時に、理性の部分で、こう解決案を訴えようとしています。
 「心の弱いまま、体の弱いまま、生きることを”罪”と見ないでください」
 「”無理矢理の競争”でなく、”棲み分け””ニッチな生き方”を認めて下さい」

「個人の平等」というフィクションは、個々の自信が大きな構成要素になって支えられています。(もうひとつの要素は、信頼。これも、自信ある人が信頼の対象になることを考えると、自信というのがどれだけ大きい要素であるかがわかることでしょう)

マッチョ主義を克服することで(あるいは、マッチョの対となる「女性に対する女らしさの強制」を克服することで)、自らの個体としての特徴へ素直に向かい合えるようになり、社会の1構成員として確信をもって”自分”を位置づけることができるようになります。

そのとき、やっと、武器……銃を誰もが手放すことでしょう。
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テーマ:アメリカ合衆国 - ジャンル:政治・経済

この記事に対するコメント
リバタリアニズムと銃
デルタさん、コメント&大変興味深いエントリをありがとうございます。

わたしは「リベラル」ですが、「リバタリアン」ではないんでしょうね。
やはり「個人の絶対的自由」を通すと、弱肉強食が避けられなくなるのでは、という思いがあり、共同体として、それを規制することが望ましいと思っています。
リバタリアン的な世界の中で、それぞれの個人が(特に自分が攻撃されるかもと不安に思う人間が)自主的に銃を手放すことに合意するんでしょうか?(これについては私とは違う考えですが、池田信夫blogに「へぇ」というエントリがありました。)
デルタさんの「リバタリアニズム」をもうすこしちゃんと読ませてもらう必要がありそうです。
わたしは「銃」でなく、「抗うつ剤&製薬会社」の観点でもう一回エントリの予定です。
【2007/04/20 17:46】 URL | みーぽん #- [ 編集]

武装解除……
みーぽんさん、コメントありがとうございます。

>リバタリアン的な世界の中で、それぞれの個人が(特に自分が攻撃されるかもと不安に思う人間が)自主的に銃を手放すことに合意するんでしょうか?

正直わかりません。確証できない……。

私としては、こういう問題を「制度」で片づけたくないのです。NHK受信料の問題と同じで、結局「正直者がバカを見る」から。
そして同時に、コネとかを使って例外規定を政府に認めさせる”ワル”を是認(”有能な男”と賞賛?)する風土が、この社会のどこかにあるから。

人をマトとしない、という、「心の武装解除」を優先したい、というニュアンスです。

>わたしは「銃」でなく、「抗うつ剤&製薬会社」の観点でもう一回エントリの予定です。
【2007/04/23 21:32】 URL | デルタ #JnoDGgPo [ 編集]


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乱射事件と抗うつ剤の知られざる副作用

【お詫び】以下の記事で「チョ・ヨンヒ」と記してしまいましたが、「チョ・スンヒ」の誤りでした。訂正させていただきます。(4/24)バージニア工科大の乱射事件について、気になっていることがあります。19日付の「ア みーぽんの社会科のお部屋【2007/04/24 11:59】

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