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ほしあかりをさがせ
山登り・サイクリング・星見・石仏探し 本命は何なのか、出たとこ勝負で行ってみましょう
プロフィール

デルタ

Author:デルタ
四十才代、三重北勢在住の技術者です。ちょっとだけ営業マンもしてました。
ネット上では、磨崖仏の研究家としてごく一部の人から認知されてる(らしい)。磨崖仏・星見・歴史小説創作については、本館のHPを見て下され。

他の任務:東洋的リバアタリアニズムの確立。
       日本まんなか共和国 勝手に観光大使

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佐渡周遊自転車旅行(4日目)
佐渡白山YH 8:30発
外海府YH 16:50着
行程52km(全行程県道45号)

前日夜、白山YHの奥さんとしばらく一周ロングライド(佐渡を一周する自転車のイベント)やトライアスロンのお話をしばらく聞いていたが、私としては明日の天気が気が気でない。気象通報で天気図を書取り、昨日引いた天気図との差分を取る。そして得た結論、
「午前10時までいったん雨が上がる、10時から13時頃まで雨が降り、その以降は高曇り」
この読みに従い、相川でお昼過ぎまで金山を見学し、そのあと必死に走って夕暮れまでに外海府のYHを目指す、とのプランにした。
相川までは10km、資料館が開く時間を考え8:30に出発。
山間にいく県道31号に入るころに急な大雨になった。我が天気予言おお外れ(涙)、交差点の傍らに立つ公民館の軒先で、情けない気持ちになりながら雨具を着る。
こうなると気持ちの上でささくれ出ってくる。
相川の観光協会がある佐渡会館までぶっ飛ばす!
そうしてたどり着いた佐渡会館の前、手前にあった合流点での信号待ちの都合もあって、会館とは向かい側の歩道の上で自転車をいったん降りた。

目の前に信号がある。私は知っている、これはしばらく待てば「渡れ」の青になる。善良な市民である私は、たとえ大雨の中で雨具ひとつであっても、その時まで待つつもりだ……。が、車も通らないのに、いつまで立っても赤のまま。ふと見れば歩行者用の押しボタンがある……(苦笑)
……くそう、イナカモンをバカにしやがって!!

わけのわからない怒りに震えつつ、外海府YHに宿泊予約の電話を入れる。1人なのですが、と申し出ると、もっと連れてきてくださいよ、と電話口のご主人に笑い飛ばされた。参ったな、と思いつつも、一気に気持ちがほぐれた。

相川の町はもと天領、しかも江戸期最大の金山のお膝元。今も残る町並みはさすがにお上品だ。
相川郷土資料館を見学。こうなると雨はどうでもよくなる。
江戸末期にはいったん金山としての魅力を失い、明治初年にヨーロッパの技術を導入して復活、平成元年まで技術を駆使しつつ金を掘り出したものの、鉱石の純度がさすがに低くなりすぎて降参、という歴史は、日本全体の産業の盛衰をよく反映している。江戸当初に比べ、今残っている金鉱石の純度は10万分の1にまで下がっているのだという。
華やかだったのは、やはり明治期だったのだろう。その時代の遺物が沢山展示されていた。
金山の遺構


その建物の隣には、伝承技能伝承館というものがあった。「裂織」という独特の民芸がある。木綿のボロ布を横糸代わりに、木の繊維などを縦糸として織るもので、背の低い地機を使って織る。……織り上げるのに、相当力がいるらしく、木を当てる音がかなり鋭いのが印象的だった。

ここからは定番、佐渡金山(江戸時代の坑道)を見学して、もういっかいマチナカを散策する。郵便局の近くにある、地元の大工さんが造った自宅兼事務所の旧宅に見とれた。妙に縦長なガラス窓をさらに2段縦に並べて1階分の窓にしているのが、オシャレ。天井の高いゆったりした作りが偲ばれる。
洋館

相川の光景


13:40相川発。雨は上がっている。だが、寒冷前線が抜けたのだろう、肌寒く雨具を脱ぐことが出来なかった。
尖閣湾までは地形が徐々に荒々しくなりつつも、けれどさすがは観光地、暗い空のもとでも、浮かれ気分で走っていられた。が、平根崎という岬に登りあたりにあるはずの温泉宿を見るあたりから、さみしさが襲いはじめた。
空も暗い。結構なスピードで走っているハズなのに、変わりばえしない風景……。
トドメは入崎というキャンプ場のある岬であった。
100m四方くらいの草地のキャンプ場にドーム状テントが2張り。フライシートは大きく風をはらんでる。空の暗さに夕暮れが近づいているのかと思って、携行しているラジオの時計を見直す。15:10、まだそんな時間?と目を疑った。
荒涼…


入崎でたたずむ


この先、どれだけ人が居なくなるのだろう、光景が荒涼としてくるのだろう。
風が冷たい。朝入れてきて相応に冷えているハズのテルモスの紅茶が、舌に熱かった。

北田野浦という集落の北の外れ、誰もいない農地の中にある簡易郵便局で、「二度と来ることなさそうだな」という気持ちに駆られ、意味もなく貯金を1000円下ろす。トンネルの脇にある解説板も何もない菜の花に囲まれた「韃靼塚」という石碑に手を合わせる。置き去りにされたものへ、スピードの遅い私だけは気に掛けていきたい。
「韃靼塚」


清水寺というお寺にある大銀杏の木で、ようやく光景に生気を感じられ、一息着けた。傍らにある湧水(この水が有名で清水寺の名がある)は都での茶会に所望されたこともあるのだという。こういうところにも、人の足跡を感じることができたのが、妙に嬉しい。そして、行く手に鮮やかな桃色の八重桜。
久しぶりに見る暖色系のものだった。
清水寺の銀杏


外海府のYHはバスの終点、ロータリーになっている広場の隣にある、わりと新しい木造平屋建の細長い建物だった。
同宿の人が合計4人になるとのことだったが、私が最初に到着していた。

夕飯には、山菜と自家製のお米、そしてアンコウの鍋、さらに蟹。
埼玉からこられたご夫婦連れのダンナさんが、おもしろいことをいってその海幸山幸を称えていた。
「日本列島が全滅しても、佐渡の島だけは自給自足で生きていけますよ」
おけさのCDがかかる中で、宿のご主人が笑いだし、
夜が更けていった


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テーマ:自転車旅行 - ジャンル:旅行

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