ほしあかりをさがせ
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デルタ

Author:デルタ
四十才代、三重北勢在住の技術者です。ちょっとだけ営業マンもしてました。
ネット上では、磨崖仏の研究家としてごく一部の人から認知されてる(らしい)。磨崖仏・星見・歴史小説創作については、本館のHPを見て下され。

他の任務:東洋的リバアタリアニズムの確立。
       日本まんなか共和国 勝手に観光大使

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敵の敵は味方?
あまりに粗雑かつ安易で、バカにされた気分だ。

この前取り上げた、赤木さんの「希望は戦争」という文章を起点とする月刊誌「論座」での論争だ。
もう一回だけ確認しておこう。
赤木サンの訴えているのは、「戦争」に象徴される「社会の流動性」-それも「例外のない流動性」の確保である。
しかし、7月号では、愚弄としかいいようのない返答が一部でなされた。
雨宮処凛サンと小林よしのりサンのそれぞれの返答である。

雨宮サンは、多分に情緒的な「生きにくさ」を理由にしている。
小林サンは、共同体やそれに従属する規範意識が消失したことに答えを求めている。

けれど、どちらも、近年になって生まれてきた現象でない。
まして小林サンのいう、規範意識の消失も彼自身が
「フランシス・フクヤマが日本にはトラスト(信用)がある、と言うでしょう」
と指摘するように、共同体の有無に関わらない契約的な意味での規範意識が濃厚にあるのを、乱暴にも無視している(彼自身、自分で矛盾したことを言っているのに気付いていない。インタビュアーも調子を合わせるだけ……)

問題なのは、社会の中で「共同体」の外に置かれた世界……昔でいえば炭鉱労働者の社会や日雇い労働者の世界のような、「匿名のままで居るのが普通とされる社会」が肥大化してきた今の状況で、その世界を「社会」の中でどう位置づけるか、旧来の「共同体」との間で整合をとっていくか?でないのだろうか。
あるいは、赤木サンのいうように、そんな周縁の世界と「共同体」との間にある”壁”をどう取り除いていくか、でなかったのか?

今なお残る、日本の「共同体」では、専業主婦や日雇い労働者、あるいは未成年の人たちが、「あたかも存在しないかのように」扱われてきている。そして今起こっている現象は、彼等やその代替の人たちを社会的に中途半端に位置づけているために、起きていることでなかったのか?たとえば、労賃が統計上「0円」とされていた専業主婦の家事労働が、「外部化」されたことために、労賃が極端に少ない労働者が出現しただけでないのか
……家事労働に関わる人の待遇は、かつての共同体社会よりはるかに良くなっている。
”0は何倍しても0なのだから、数値上は、無限大倍良くなっているのだ!”

格差が今になって現れたのではない、昔から法制度的に”保障されていた”格差が、顕在化し、新たな法律で固定化されはじめているだけだ
(たとえば、報酬の上限が法律で規定される介護保険制度など。正直違法ギリギリの線で運営せざるを得ない。負担額に頭を抑えられて、賃上げが不可能になっている)

その意味で参考になるのは、
単なる「福祉」や「相互扶助」の成功例ではなく、
(小林サンの大嫌いな米国での)「公民権運動」あたりでなかろうか?

そんな中、救われたのは、高原基彰サンの返答だ。
彼は、社会規範を再度構築することを、最終目標に論を進めてくれている。
彼が代替的な自由への試みとしてあげている4つの方法論がある。
(1)消費社会論
(2)アソシエーション論
(3)フェミニズム
(4)新しい働き方
どれもが今のところ行き詰まっているけれど、これらを工夫し進めるのなら、私も納得し協力するだろう。

(1)は資源の無駄遣いになりかねないから賛成できないけれども……。
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テーマ:格差社会 - ジャンル:政治・経済

この記事に対するコメント

おひさです。今までも格差はあったけれど、賃金ゼロだった「家事労働」や「介護」に値段がつくようになった、というのはおっしゃるとおりですよねー。
職場の近くの本屋はなぜか朝日新聞系と岩波系が迫害されているせいか、「諸君」はあっても「論座」がないんですー。読みたかったな。
読んでないんですけど、日本でもアメリカでも、戦後中産階級ができあがったのは、いったん戦前の超格差がこわれたからだというのは事実だと思うんですよねー。
ただ、それはあくまで両方とも全国民あげての総力戦だったからだし、今後日本で全国民に反対されるような「徴兵制」の戦争はもう起こらないと思うし、志願者による戦争は、アメリカのように、底辺のものがほかに行くところがなくて自衛隊に志願するという構図が固定する気がします。
【2007/06/20 02:35】 URL | みーぽん #- [ 編集]

旧秩序から”正しく堕ちよ、そして生きよ”(安吾風に)
みーぽんさん、こんにちは。
今の「論座」は面白くしよう、という気合いを感じます。なのに書店で置いて貰えないとは、恵まれまへんな~。
私のばあいは、三重県立図書館で読みました(苦笑)

さて、
>日本でもアメリカでも、戦後中産階級ができあがったのは、いったん戦前の超格差がこわれたからだというのは事実だと思うんですよねー。
一般的には、この辺りの事情を財閥解体などのGHQの政策に原因を求めようとされているみたいですね。が、私としては説明になりきっていない気が。というのは、同時に、戦勝国たる米国でも同じ現象が起きたからです。
大量消費の経済システムになったせいなのか、
はたまた、総力戦の戦争を経て、一度どこの国でも旧来の社会秩序が無力化したからか、……私はこっちに重点を置いて見ているのですが、それは、またいずれ。

>アメリカのように、底辺のものがほかに行くところがなくて自衛隊に志願するという構図が固定する
私も、これがもの凄く恐いのです。
意外な組み合わせで利害が強固に一致していて、まわりから止めようがなくなる……。
最貧層(この場合は、絶対的貧者を意味すると思いますが)、兵士ともに、上で書いた旧来の社会像では、「外の人」(「匿名のままで居るのが普通とされる社会」)です。だからそこに人格も認めて貰えないし、社会政策の上でも、”いないもの”に扱われます。……すくなくともそういう外部化が、戦前戦後を通じて行われていて、今なお一部の労働契約で当然とされているうちには、危険すぎます。
「社会から外部化された戦争」が起こってもだれも疑問に思わないでしょうから……
【2007/06/21 21:34】 URL | デルタ #JnoDGgPo [ 編集]


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日本は世界有数の過激な新自由主義国家ではないのか?

一昨日のエントリではテレビ朝日の報道番組2本を紹介したが、昨日(10日)はNHKの日だった。午後8時から教育テレビで 「福祉ネットワーク・作家雨宮処凛と考える 就職氷河世代のうつ... きまぐれな日々【2007/12/31 20:59】

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