ほしあかりをさがせ
山登り・サイクリング・星見・石仏探し 本命は何なのか、出たとこ勝負で行ってみましょう
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デルタ

Author:デルタ
四十才代、三重北勢在住の技術者です。ちょっとだけ営業マンもしてました。
ネット上では、磨崖仏の研究家としてごく一部の人から認知されてる(らしい)。磨崖仏・星見・歴史小説創作については、本館のHPを見て下され。

他の任務:東洋的リバアタリアニズムの確立。
       日本まんなか共和国 勝手に観光大使

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天は「人」の上に「人」をつくらず……
福沢諭吉サンの有名な言葉だけど、裏に含みを持っている。
今日の人権意識と決定的に違う点として、2つある。
ひとつは「人」=尊厳のある個人のカテゴリに振り分けられなかったヒトは、その限りでない、というニュアンスを持っていること(現に、福沢サンは「志のないヒトは人と扱わない」という意味のことを、同時期に書いている。それが後年の”亜細亜東方の悪友を謝絶するものなり”との有名な社説の論拠にもなっていった……)
もう一つは、人権の起源を「天」……超論理の力に拠ったという点だろう。もちろん、政治思想上の「起源」としては、ありふれた論拠だけど、それに頼り過ぎると、人権が持っている本質的な問題……、社会に参加する人たち同士が相互に保障しあうことで維持されている現実が消え去ってしまう危険性がある。

抽象的なことから書き出したけれど、従軍慰安婦への日本政府の対応に対するUSA下院の決議について、これから整理していきたい。
従軍慰安婦……いや娼婦全般に言えたことだろうけれど、日本では正式な社会の成員にカウントされない、よく言えば「聖なる人」悪く言えば「尊厳ある個人」見なされないヒトと扱われてきた。そのもっともわかりやすい証拠は、彼女たちにほぼ例外なく、浮世離れした「源氏名」が与えられたことだろう。
さらに、彼女たちの場合はいる場所も、戦場の間近だった。この点も、世間から彼女たちを隔絶する原因になっていた。(実はその点が他国の軍相手の売買春と違う点。ふつうは、前線から離れた補給基地に売春宿を置いていた)
兵士にしても同様である。源氏名の代わりに階級だけを呼び合う奇習……それによって、世間から切り離した。さらに戦陣訓や伝説化した「滅私奉公の態度」が軍内部だけに通用する規範として植え付けられ、これまた「世間」から切り離された。
その結果、明治憲法下での軍は、世間の「共同体」にいる一般人から「名前も知られないままに」畏怖され尊敬され、……そして彼等のありように無関心になっていった、という過程が、特に大正期以降にあった。
畏怖にしろ、尊敬にしろ、排除にしろ、……それらの態度は、一般社会の常識から隔絶する理由になっており、人に扱われない素地となった。

一方、USAの民衆は良くも悪くも「尊厳」どころか「自己主張」の集まりである(異論あるでしょうが)。それこそ数代前のご先祖さんたちが、自ら「アメリカ人になること」を選んで集まった……という社会である。
この鮮やかな対称を思うと、USAの兵士達からすると、日本軍に関わる人って、「人間」という自意識があるのだろうか、どうも持っていないように見えるけれど、それは、社会から排除されているからでないか……、という印象を持っても不思議でなかったろう。

Blog人工樂園さんに掲載の今回の決議の全文を参照させていただいた(さすがにあの原文を素早く読めなかった)。その全文に貫かれているのは、「一方の行為者=政府による、被害者の尊厳回復……言い換えれば人権規範の例外なき適用」を要求する、という一点に集約している。だから他のあらゆる思惑……例えば、日本の全ての行為が非人道的だとか、人権活動に熱心でないとか、国際秩序に反しているとか、といった「非難」は実態にあっていないと慎重に分析指摘した上で、決議本文へとつなげている。

それをも、USAの一方的な決めつけ、と排除したがる気持ちが、もし沸いたとすれば、
慰安婦や彼女たちを買わざるをえなかった兵士達を、尊厳ある個人=人と見なせていないからでないか?……「公僕である兵士」と「古代から続く聖なる職業※の売春婦」という組み合わせで、「人」と集合から隔離して考えていないかと、反芻してみたいものである。
(※中世、実際に聖者として扱われていました)

そうしても、なおかつ治まらないならば、
リー・クァン・ユー氏よろしく、
「日本には、守るべき日本的価値がある」と、一つセリフで反論すればいい。
ただし、その「日本」に、「兵士」や「慰安婦」と同じ立場の「世間から切り離された人たち」が愛想を尽かし、今後協力を見込めなくなるとの覚悟と引換えとなることだろう。
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慰安婦問題の今後 パート2

 ワシントンポストに出した全面広告について、名を連ねた有志や、お祭り騒ぎのブロガーさんたち、そしてそれらの人々を揶揄して楽しんでいる人達にも、理解していただきたいお話です。 前回のエントリー「慰安婦決議 湖北庵通信(旧 浦安タウンの経済学)【2007/06/30 22:57】

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