ほしあかりをさがせ
山登り・サイクリング・星見・石仏探し 本命は何なのか、出たとこ勝負で行ってみましょう
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デルタ

Author:デルタ
四十才代、三重北勢在住の技術者です。ちょっとだけ営業マンもしてました。
ネット上では、磨崖仏の研究家としてごく一部の人から認知されてる(らしい)。磨崖仏・星見・歴史小説創作については、本館のHPを見て下され。

他の任務:東洋的リバアタリアニズムの確立。
       日本まんなか共和国 勝手に観光大使

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社会への諦観としての「立憲主義」
思わせぶりなタイトルですが、
「国家は僕らを守らない」(田村理著 朝日新書)の書評です。

原理原則に忠実な論理展開。だからこそ、日本的な「護憲主義」お人たちから見ると、かなり異端の書に見えるのでないでしょうか。

憲法とは何か/なんのために憲法を作るか
この問いには、最近の多くの啓蒙書のおかげで、皆さんためらいなく答えることができるようになってきていると思います。
「国家権力の及ぶ範囲を明確に限定するためだ」と。
この本も、最初の1章を割いて、この大原則を説明しています。
が、その先が、多くの人を戸惑わせるのでないでしょうか。
「では、国家権力以外の者どおし紛争において、憲法は意味を持つのか」
と問いかけるのです。例えば大企業による個人への人権侵害を、「憲法違反」と訴えることができるのか、と問題提起しています。
田村サンは、一章での命題を受けて、「憲法の担当範囲外だ」と断言しています。
「だって、憲法でそう書いているじゃないか。政府がなんとかしてくれよ」と国民が主張するのは、”『クルリン』と立場を変えた”という柔らかな表現を使いつつも、一種のダブルスタンダードなのだ、と喝破さえしています(なぜなら、その救済行為が、残りの国民の権利を侵害する可能性があるため)

そうして、この本が各社会問題につき分析し、たどり着く結論……。
 ・結局は、人々はその信条や理想に基づき、私的な結社で結びつきあう”個人主義”が必要になってくるのだ(それが、「自由」なのだ!)
 ・政府が人の生き方を規定できない以上、また命を道具として使うことが許されない以上、「自衛権」はあり得ないのだ

そうか、私の言っているのは、「新自由主義」ではなくって、原則を忠実になぞった結果現れる「立憲主義」だったんだ、と気付きました。
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テーマ:法律全般 - ジャンル:政治・経済

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