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山は「生」を見つめる場所 記事、拝見しました。コメント残して良いのかどうか、迷ったのですが...。
>直感として、「死に場所を求めて」の登山ではない、と思った。
私もそう思います。もし死に場所を求めていったのなら、山行の装備など携えていかなかったはず。あれらは非力な人間が“山と闘う”ための道具ですから。
自分の経験から言うと、山は「生」を見つめる場所。俗世からの逃避の場所であることも間違いはないですが、それとて、俗世から離れた根本的な「生」を見つめられるが故。そして皮肉なことに、死に近づくほどに「生」をより近くで見つめられる。条件の厳しい冬山は、生死を賭して「生」を見つめる場なんです。
そう、生死を賭して。もしこの「遭難」事件がそうした意志の結末であるとするなら...。結末を受け入れることは意志を受け入れることでもありますね。
【2008/01/29 10:35】
URL | 愚樵 #- [ 編集]
ヘタレなんですな>自分 愚樵さん、コメントありがとうございます。
私は親から笑われるほどのヘタレで、
積雪期には山にはほとんど近づかないのです(まれに1000m前後の山に入ることはあっても)。
ですから、
>そう、生死を賭して。
という山行は、想像するよりないというのが正直なところです。
けれども、予期せぬ事故というのは、無雪期でもあるわけでして、
死の可能性……正確には、死地に陥ったときの対応策というのは、
絶えず気にかけています。単独行ですのでねぇ。
山でも俗に出あう昨今ですけれど(苦笑)
彼にも、その俗からの一時的離脱との意識があったのだとは、私も信じているところです。
【2008/01/30 00:37】
URL | デルタ #JnoDGgPo [ 編集]
簡単には死なない 愚樵さんや、デルタさんの、「死に場所を求めて」の登山ではないに同意見です。
山は死ぬ場所ではないし、人間、そう簡単には死なない。
デルタさんの『あり得ない』の結論は妥当な判断でしょう。山を知っているもので、山に死にに行く者はいない。
今回の件が、不幸にして遭難事件であったとしても、偶然の失敗の結果である。
しかしいくらか不可解な家族の判断が気にかかる。
山に入ったとして、「夜にも帰ってこない」はないでしょう。
家族が「翌日探す」のも不思議。
「家族の方は、警察に届けず、昔の上司や同僚たちへ相談に行った。」 のは当然の判断ですが、しかし、「どうも息子には、『覚悟』があったみたいに思えるのです」 は問題で、何か思い当たる何かが有った可能性がある。
普通、冬山に入って二三日帰って来ないのは常識で、一日目に探した家族には、何か事情が有ったのでしょう。
これは遭難事件ではなく、失踪事件の可能性がありそうです。御本人が無事に家族のもとに帰って来る事を祈らずにはいられません。
この記事を読んで私よりずっと山にのめり込んでいた昔の友人の事が思い出してしまいました。彼は夏は山小屋、冬はスキー場でバイト暮らしでヨーロッパ遠征費用を捻出する為に、金の良い鳶のアルバイトもしていた。
コメントありがとうございます。 逝きし世の面影さん
コメントありがとうございます。
山の中でも、事故の時はあっけないですが、なかなか死なないものですね。
死のう(死んでもいいや)と心に決めていても、体が勝手に動いて、受け身を取っている……なんて話も、聞くことも多いですし。
彼の場合、ご家族にかなりの不安感を与えていたように思われます。
本人はそのつもりでないでしょうが、三十歳代後半になって仕事を辞めて……となると、親御さんとしては神経質になられることでしょうし。
さらに今回は、何ごとも言い置くことなく、山行の装備だけを持っていった、ということで、
余計、不安を助長している様子でした。
>失踪事件の可能性がありそうです。
この可能性を、ちっとも考えていませんでした。
話してみることにします。
【2008/03/06 00:19】
URL | デルタ #JnoDGgPo [ 編集]
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