ほしあかりをさがせ
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デルタ

Author:デルタ
四十才代、三重北勢在住の技術者です。ちょっとだけ営業マンもしてました。
ネット上では、磨崖仏の研究家としてごく一部の人から認知されてる(らしい)。磨崖仏・星見・歴史小説創作については、本館のHPを見て下され。

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クセ球だな…(続・勝手に裁判員裁判シミュレーション)
【<裁判員法>死刑廃止議連「死刑は全員一致が条件」
3月4日21時59分配信 毎日新聞】


亀井さんたちも、クセ球を投げるよな……。この提案がどのようにクセ球なのか、ゆっくり述べていくけれど。

==
まず、正直にいおう。
裁判員に選ばれ、死刑が求刑された裁判を担当することになったら、
私は、気持ちとしては、死刑判決を出す方向へ限りなく傾く。
それはもはや、思想的な(前にも述べた「新自由主義的な死刑廃止論」)理由や、天台宗在家信者という宗教的背景などをうっちゃって、これから先のことを考えてしまうからだ。

 その善悪は今はあえて問わないけれど、日本の刑罰は更生を最終目的にしている。ということは、全体として更生した、と判断が下れば、無期懲役囚でもいずれは仮釈放の時も来て不思議でない。
その時、万一「彼」が再犯したら(何も殺人でなくても)、かなり後悔するだろう、と「危惧」してしまう。
その芽を摘むためには、……「合法的」と言訳ができる、死刑判決を選ぶことに、どうも傾きそうなのだ。
あなたは、私を意志薄弱と笑うだろうか、死刑廃止論者として姿勢が定まらないことを糾弾するだろうか。
しかし一方で、誤解してほしくないのは、基本的に死刑廃止論者であり、法制度の議論としては、そう簡単に妥協するつもりもない。(人生経験やアイデンティティと深く結びついている2つの信条と不可分な思考過程から「死刑廃止論」へたどり着いたのだし)

このところの議論で、まるで死刑廃止運動をカルト教団のように言う人や、
奇しくもblog「ねぇ そう思わない?」で述べておられるように
「貴方の判断で仮に犯罪者ではあっても一人の人の命が奪われるのですよっ!」と強く、攻め寄られたら、果たして貴方はそれでもきちんと自分の考えを曲げずに通す事ができる自信をお持ちだろうか?
と、死刑廃止論者が「偏った(理解不能な)」思想でコチコチに固まった最強硬な人間であることを前提に話される人も多い。
が、現実には、理性の世界はともかく、心の揺れは大きな幅で絶えず起こっているのだ……。
亀井さんは、さすが元エリート警察官僚だ。このような心の揺れも当然あるだろうに、最も素朴な倫理観にしっかり根を下ろしている。「恨みを以て恨み報ぜば恨み即ち尽きず」という考え方だ……、
あ?違うわ「恨みを以て~」は伝教大師の遺戒の一節だ。亀井さんもよく似たこと言っているから、混同してしまった。
しかし、私は凡夫である。自らの考察にそこまでの自信も持てない。
まるで亀井さんに試されているような気分だ、「あんたはホンマ者なのか?」と。
……えー、受けて立ちましょうとも、亀井先生。経済格差を仕方がないと割り切る「新自由主義者」であっても(本当は、「新自由主義者」だからこそ、なのだけど)死刑廃止という結論への信念は、劣るところがないことを、はっきり世に示すためにも。
「死刑は、犯罪被害者からの民事訴訟提起を不可能にするという、強引な法的措置なのだ」という、厳然とした事実を、法廷でぶつけて見せましょうぞ。
なんか、東京裁判のパール判事のような高揚感で、裁判員として法廷に臨む私。(パール判事って、恐れ多いけど-苦笑)

しかし、そこには、沢山の目がある。
マスコミの目、被害者遺族の目、検察官の目、そして何よりまだ心の整理すらついていなさそうな被告人の目。
それらの視線が混沌としている空間で、私には、はっきりそう聞こえた。

「貴方の判断で、仮に情状酌量の余地があっても、一人の人の命を奪った者へ当然の報いを与えないという、非倫理的な刑罰が決まるのですよっ!」
だれもそう言っていないのに、確かに「世間」の誰かがそういっている、
……ああ、パール、レーリンク両氏への道ははるか遠い……

===
以上、多少自分自身の恥をさらしつつで、「新しく提案された裁判員制度」の法廷での情景を、思い描いてみた。
こうして、具体的に想像してみた結果、
世間で期待・危惧されているのとはウラハラ、この制度には死刑判決が増える要素を孕んでいる、と私は結論した。

しかし、自らを奮い立たす意味で、
「こうなったからは仕方がない。背水の陣で、考えを判事団の審議の席でぶつけてみるまでだ」

私には、どうもドン・キ・ホーテ気質がある様子だ。
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テーマ:死刑 - ジャンル:政治・経済

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