ほしあかりをさがせ
山登り・サイクリング・星見・石仏探し 本命は何なのか、出たとこ勝負で行ってみましょう
プロフィール

Author:デルタ
三十才代、三重県在住の光関係の技術者です。
ネット上では、磨崖仏の研究家としてごく一部の人から認知されてる(らしい)。磨崖仏・星見・歴史小説創作については、本館のHPを見て下され。

他の任務:東洋的リバアタリアニズムの確立。
       日本まんなか共和国 勝手に観光大使

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発菩提心
天台宗の大寺「円教寺」の執事師が、
天台の一在家信者として、このお坊様にお聞きしたいことがある。
チベット民族だからといって、チベット仏教を信じることが、必然なのだろうか、と。

仏教にもじつは「発心」という入信を表明する段階がある。
発心=発菩提心(ほつぼだいしん)を明言し、
四弘誓願を唱える。

「衆生無辺誓願渡
 煩悩無尽誓願断
 法門無量誓願学
 仏道無上誓願成」
これを名付けて、菩薩の心という。
あくまでも、自らの意志として表明して、仲間(というのか導師)に承認してもらい、はじめて帰依したことになる。
決して、生まれついての菩薩などいない

チベット仏教は、この素朴だけど重大な「個人主義」を、どこかで失っている。
ましてダライラマ体制は、僧兵を沢山抱えていた頃の、延暦寺の体制とどれほどのさがあるのか?

確かに今の自体は「法難」ではある、
しかし、私には、今回の事態は「比叡山の焼き討ち」に見えて仕方がないのだ。
北京政府にも、ダライラマの体制にも、もろともに2つのNoを突きつけることが、
日本の仏教界がなすべきことでないだろうか。

テーマ:チベット問題について - ジャンル:政治・経済

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