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ほしあかりをさがせ
山登り・サイクリング・星見・石仏探し 本命は何なのか、出たとこ勝負で行ってみましょう
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デルタ

Author:デルタ
四十才代、三重北勢在住の技術者です。ちょっとだけ営業マンもしてました。
ネット上では、磨崖仏の研究家としてごく一部の人から認知されてる(らしい)。磨崖仏・星見・歴史小説創作については、本館のHPを見て下され。

他の任務:東洋的リバアタリアニズムの確立。
       日本まんなか共和国 勝手に観光大使

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「地球温暖化論のウソとワナ」(書評以前の評として速報)
伊藤公紀サンと渡辺正サンという、懐疑派の中ではわりに表に出ずに地道にこの問題を追いかけていた方が、ついに新刊本を出したということで、私も興味津々で読んでいるところ。
反論として、というより、「反証」としていろんな新しい知見(論文)を紹介しているので、それぞれに私なりの検証を入れていきたいけれど、その前に、ちょっとエラソウだけど、苦言を。
「陰謀論に走ってどうする!!」
実は伊藤サンの者の言い方を、これまで私は好ましく思っていた。
特に、「CO2をインデックスとして化石燃料の消費を抑制していくことには、意義がある」という見解には、私もいまだに賛成しているのだ。……が、どうしたのだろう。この本で、そういう意味での冷静な見解が消えているのだ。

日本という国の、経済力とCO2を出す量とは正比例している。今回、京都議定書で日本に大幅削減を強いて決着していることは、日本がワナにはめられたのだ。と

そんな陰謀論めいたことを書く人でないと思うのだけど……。
(お気づきだと思うが、私はこの点で武田邦彦サンを余り評価していない。彼の著書をこれまで取り上げなかったのは、この問題を重視したからである)
本質的には、経済力とCO2排出量との間には、正比例の関係があるだろう。そのためCO2削減により経済活動が停滞するだろう。しかし、そこには前提がある。「その比例係数は産業構造に依存する”パラメータ”でもある」のだ。
産業構造をソフト化することで、実は同じ経済規模を保ってエネルギー消費量を変化させることができる。あるいは、モーダルシフトだけでも、5%くらいは簡単に変るだろう。
そして、だからこそ、「国を単位としてのCO2削減義務」という手法に抜け道があって問題なのではなかったのか。
極端な話、経済官僚の一部が目論んでいるように(そう簡単に問屋が卸さないだろうけど)「知財立国」としてライセンス供与の報酬を主な収入源にする経済主体が増えると、「エネルギー消費」を国外へ「掃き出す」ことができる……費用の外部化ならぬ汚染物の外部化といってもいい。
あるいは、アルミ材を輸入して自動車・鉄道車両を作り、軽量化の結果として国内でのエネルギー消費を削減することもできる。この場合、アルミ材を作る国へ、CO2排出を他国へ転嫁することができる(具体的には、オーストラリアが苦しむことになる)
こういう矛盾を無くすためにも、産業毎のトップランナー方式などでの管理(というのか”鞭入れ”)が必要になるのでないのか。
つまり。国家間のパワーゲームの舞台にして逃げるな!ということだ。
「太平洋戦争」(文字通りの意味でのそれ)に、一分の理が大日本帝国政府にあるとすれば、”国”を挙げたエネルギー封鎖を受けた、ということであろう。ブロック経済のもとでハメコにし、エネルギー封鎖まですれば、あの時代でも経済活動の死を意味した。
現代でも、「多政府間」相互保障という同じ種類の国家間カルテルができあがりつつある。この際に、「国家が」という論理を過度に持ち出したら、国家が石油という入口とCO2という出口を押さえることで究極の経済統制ができる。いいかえれば戦後最大の「親方日の丸体制」が出現することになる。となると、「国が強くならないとハジマラナイ」と皆が政府へ肩入れすることになるだろう。政府は、それを望んでいるのだ。政府の求心力が低くなっている「グローバル経済体制」の中で既得権限を手放さないために、政府が「CO2」という数値目標を盾にとって最後のアガキをしているといってもいい。
なぜ、そのような、「(政府の)余計な仕事作り」(ダイオキシン騒動を描写した章での、この著書にある表現)に荷担するのだろうか。
もっとドライに言ってしまえば、日本政府が”妥協的”で”非協力的”と嘆く企業には、現実的な解決手段として「本社・工場をCO2排出権に余裕のある欧州へ移す!」という方法もある……献金などの工作で政府へ働きかけ、温暖化対策に抵抗する企業群が、なぜこの手段をとらないのか、私には本当に不思議なのだが。

私たちは……著者伊藤サンを含めて、政府を、商交渉のエージェンシーとうっかり見なしてしまっている、当然自分たちに有利になるように働いてくれる、と間違った期待をしている。けれど、この仕事が政府の本分ではない。仮にそういう仕事を引き受けるならば、税金以外の「顧問料」を受益者からとらないと、受益者負担の原則と合わない(税は第一義的には、公の秩序を維持するために使っている。いわば、税金とは審判団のお給料を出しているわけだ)。
また、あらゆる経済活動は「私」の活動、そこに法権力という「公」の力を導入することは、市場のルール違反でもある。どういう意味でのルール違反かといえば、政府には市場ルールを法律で括るという「ちゃぶ台ひっくり返し」の権利が与えられているからだ。この権限を経済活動の主体である「私」と結託して変えることは、この世から「審判団」を無くすことになり、ルールを変えたモノ勝ち、という浅ましい状態へと堕落していくことになる。

なるほど、京都議定書は政府間の取り決めである。その意味で、「政治的」で合理性を持たない手順書であるだろう。この点は、世の中からの非難を受けつつ、伊藤サンと同じ立場に立ち、私も応援していくつもりだ。
が、「プレーヤーの内の特定の誰か」が自分に有利になるよう、ルールが決まってからでさえ工作することは、慎まなければならない……少なくとも、その時に「審判」を抱き込んで工作しては、今度は審判の公正さに疑念が生じて、ゲームが成り立たなくなる。

京都議定書への抗議も、あくまで、我々民間人が、民間人の論理で合理的・科学的に行うものである。
せっかく反論の道具を手にしながら、合理性での説得を否定し、「政府をエージェンシーにして、あわよくばそこから脱退する」。将棋で負けそうだからと、将棋盤をひっくり返して帰るのは、子供のやることである。……到底合理的でも科学的でもない(そういう力を信じていない)者の振る舞いなのだ。
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テーマ:環境・資源・エネルギー - ジャンル:政治・経済

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