夏至の一夜にライトダウンし、ロウソクの灯りですごそうとのイベント、 この亀山でも、いや”ロウソクの亀山”だからこそ(爆)、麗々しく行いました。 とはいえ、梅雨空です。今年は雨にならなかっただけマシだけど、 う……ん、蒸し暑さも堪える。 夕涼みのイベントにはちょっとほど遠いのが、毎年のことながら困ったところ。
最近はご無沙汰してしまってたけれど、ときどき顔を出している「坂下星見の会」も 共催者の一つだったので、 ふらっとお手伝いに顔を出しました。 お城の脇にある400mくらいの商店街のアーケード(歩道)に、計2000本並べました。
これくらいの規模でやるのが、つつましくていい感じになりますね。大都市でやっているような、お祭りにしてしまうと、かえってエネルギーの浪費につながりそうだし、だいいち疲れる。 亀山に移り住んで3年あまり。すっかり、人混みが怖くなった(苦笑)
関連イベントでは、室内楽(弦楽四重奏)、省電力のための照明への工夫、夏の星空、CO2排出に関する講演。
ところで思い出したのですが、 室内楽をロウソクの灯りの中でやるのなら、 一度聞いてみたい曲があったんだ。
ハイドンの交響曲45番「告別」 だいぶん昔に、Daichiさんというクラッシックに詳しい方に教えてもらって、題名だけは忘れられない(この人とは、SWAYのファンのイベントで出会った)。だが、まだ公演を見たことがない。
最終楽章で奏者が自分のパートを終えると、目の前のロウソクを消し、椅子をたたんで退席していく。最後には、弱音器で音を抑えたバイオリン2人だけが残って、ひそやかに終わる、そんな演出をしている曲だ。 ……たしか、もともとの楽譜では「椅子をたたんで持ち去る」という指示があったのだけど、今ではロウソクを消す、だけになっている、とかいう話だった。
なぜこのような演出を入れた曲を作ったか。
ハイドンが彼の楽団とともに、ハイドンのパトロンの貴族に従って保養地に滞在していたときのこと。 滞在が長引き、彼(貴族)に音楽を聴かせる役目の楽団のひとたちも残る必要があったのだが、あんまり長引くと、自分たちの音楽活動が停滞する(ようは「音楽家としての”出世”の機会を逃しかねない」)……そんな風に考え、ウィーンに帰りたがっていた。 ハイドンも責任を感じて、楽団員の思うところを暗示するように、この曲を作った。
……ロウソク照明の時代にさえあった、首都を離れることへの恐怖。 ヨーロッパのしかも近世……まだ形式的にはローマ帝国が残り、小公国が乱立していたような”権力が分散していた社会でさえ……、都市がそれだけの引力を持っていたとは。
ロウソクをかかげ、古きよき時代にもどって、 心静かに”小国寡民”の楽土を実感できても、 やはり、都市は絶対的な威力を持っている事実を知る。 ああ……。 テーマ:環境・資源・エネルギー - ジャンル:政治・経済
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