ほしあかりをさがせ
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デルタ

Author:デルタ
四十才代、三重北勢在住の技術者です。ちょっとだけ営業マンもしてました。
ネット上では、磨崖仏の研究家としてごく一部の人から認知されてる(らしい)。磨崖仏・星見・歴史小説創作については、本館のHPを見て下され。

他の任務:東洋的リバアタリアニズムの確立。
       日本まんなか共和国 勝手に観光大使

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中央州中央銀行(仮)闇の総裁のお忍び来賓記・四日市編
明日のために:四日市でエコまつり 20企業・団体が活動PR パネル討論も /三重
10月20日12時1分配信 毎日新聞

 四日市青年会議所(児玉光輝理事長)の「エコまつり」が19日、「環境問題を乗り越える最先端の技術に触れ、未来を感じよう」をテーマに四日市市の市立博物館と隣接の市民公園で行われた。
 20企業・団体がそれぞれブースを設けて、環境関係の活動を紹介した。中心商店街などで再利用するため、来場者らから使わないビニール傘を約1000本集めた。
 パネルディスカッションでは、学者、環境団体代表、環境ジャーナリストら5人がパネリストとなり、地球温暖化防止と環境行政をテーマに討論した。
 温暖化防止についてパネリストは二酸化炭素削減の是非などを巡り、積極的に意見を交換した。「近くエネルギーの転換を考えねばならない」「昔は木も木材や炭などにして使い切った。地球に少しでも長く住むために行動する必要がある」などの意見が出た。「未来のため現在の生活様式を改めていく」という方向性で意見が一致していた。【清藤天】

(以上引用)


このパネルディスカッションへも、闇の来賓(=一般参加者、ともいう)として出席していました、中央州中央銀行(仮)闇の総裁です。
高名な学者さん、ジャーナリストサンがパネルを構成していたので、期待があったのですが、どうも議論が本質からずれているような。
武田邦彦サン曰く
「物質文明の行き詰まりを強調するために、最近では若者たちの物理離れにつながっている。これでは国際競争で生き残れない」
武田サン自身、「自分でも感覚的にはちょっと違和感を持ちながらあえて言うのだけど」と言訳しつつも、議論を巻き起こした発言。
私は、科学と産業、そして世論との関係を考えたとき、逆な方向に、むしろ問題が発生していると感じている。
(これも、結果として、若者の理科離れが根本原因とも言えるのかもしれないけれど)
自然科学に興味を失っているというより、自然科学や技術に過度な理屈に合わない期待をしている人が多すぎる。
代替エネルギーの話題がいい例だ。
世間では、
太陽光発電、風力発電、メタンハイドレート、原子力発電、水力発電、核融合。あとは議論されることもない……、といった具合だろうか。

一方、技術者の目で公平に見て、実現性の高い順にこれらを並べ直すとこうなる。
地熱発電、太陽熱利用(ヒートポンプを含む)、波力発電、水力発電、太陽光発電、風力発電、、メタンハイドレートという順になる。原子力は放射性物質を扱うコストが高すぎて産業的にあり得ず、核融合はエネルギー的に収支がマイナスになるだろうから論外、というのが私の判断だ。
太陽光や風力はエネルギー供給が時間的に変動しすぎて、結局莫大な蓄電施設が必要になる。採算の点でも施設費が圧迫するし、だいいち、蓄電施設として一番蓄えるエネルギー量が大きく出来うる揚水発電の環境破壊など、火力発電の排ガス以上のインパクトだろう。
現に、三重にある有名な風力発電施設(青山高原ウィンドファーム)は、風車を50機まで増す予定があるが、今のところ蓄電設備を作る予定がないのだとか。……つまり他の発電設備の発電量調整で、自分たちの発電量変動を埋めてもらえることを前提にして話を進めている(だから、メインになり得ない!)
このような理屈で考えれば当たり前なことを、日本人の典型的な議論では魔法の言葉で片づけてしまう
「色々問題があるだろうけれど、技術が進歩すればすぐに解決するのでしょう?」
(その口調たるや、「外国に比べ技術者がサボっている」といわんばかり)
……あの……、この議論、原発の核廃棄物でもまったく同じことが成されていましたよね?40年以上前から。日本の原子力産業の輝かしい40年の技術開発をしても、核廃棄物から放射能を除くことはできていない。なぜだかわかりますか?
放射性物質を真の意味で無害化する(放射線を出さなくする)には、時間が経過する以外に何ら方法もないからなのです!
……それでも日本の世論と来たら、いまだに!!
こんな状態で、環境問題を論じたって本質に迫れないのは、ある意味当然なのかもしれません。
危機の根元はここなのです、と私は声を大にしていいたい。

枝廣淳子サン曰く
「有限の地球上で無限の経済成長ができると考えている。それが、問題の本質」
この考えには、私も大いに同感だ。この舞台の有限性を意識するあまり、木材を貨幣の代わりにしようなんて提案を試みたくらいだから。
しかし、今の世論に耳を傾けると、絶望的になってしまう。
この先1年くらいの日本社会では、経済規模が年率1%程度拡大していく、そんな予測が出ている。この予測を報道するときマスコミは、「低成長であり不況の足音が響いてくる。一刻も早く、経済成長を促す施策を」と論評している。そして生活感覚からも不況を感じつつある。”人口が減っている一方で、経済規模はともかくも拡大しているのに”。
一方、「地球1.4個あることを前提にして人類は消費生活を営んでいる」という分析結果からすると、スピードはともかくも、生産活動を縮小せねば、人類の活動が持続不可能だ。実施すれば、今どころでない不況に見舞われるだろう……。

「経済成長なしに利益を上げる」ことが、事実上不可能(※)である以上、残る活路は一つしかない。
産業構造を改造して「ものづくり」から撤退する、これこそが賢い選択なのだ。
実際、USAはゴア氏が副大統領だったころに「情報スーパーハイウェイ構想」をぶち上げIT産業を育成し、同時に金融資本主義の種を播いた。さすがゴア氏、物質主導の文明では「環境問題」で行き詰まることを見越して、巧みに別なルートへ産業界を導いたのだ。しかし、15年ばかり経った今、どちらの産業も大変な苦境にある。
しかし、ゴア氏を中心とするUSAの識者たちは問題を意識しているだけ優秀と言えるかもしれない。
15年後の日本人達は、「日本は世界に冠たるものづくり国家。ものづくりこそが産業なのだ~!」と宣い、威張り散らしているのだから……ほんとに、とんでもない矛盾である。
(※本当は、ここにメスを入れなければならない。またこの壁を突破することこそが、構造改革の核心だったハズだが)

広田奈津子サンによる、ドイツの事例報告
西ドイツ時代首都だったボンでの都市のグリーン化について報告があった。
確かに魅力的な試みで、
暗渠になっていた川を、十分な川幅をとって自然状態にもどしたり(なにより、蛇行するのさえ、流れに任せている!)、鉄道の軌道内……日本ならバラスト(砕石)を突き固めているところへ雑草をわざと生やしている(これはスゴい発想の転換)等々、見事な都市緑化である。
私は、これらの試みを技術者としては絶賛する(ただし手放しには賛成できない。理由は後述)。なぜなら気象分野でのもっとも大きな環境問題であるヒートアイランド現象への大変的確な対策となっているからだ。
しかし、、これは、地球温暖化への対策といえるのだろうか。地球温暖化というのは全球的な温度上昇を指すはずだ(「シミュレーションの結果によれば、低下する場所もある!」という現象とその再現実験結果との因果を逆に取るような、アホウな議論は無視させて頂く)。
広田サンをはじめ温暖化が大変だ、とおっしゃる方たちは、圧倒的に全球的な温暖化が問題として大きいと見なしているはず。なのに、それに対する”ヨーロッパの先進的事例”は全球的な現象への対策を一つも含んでいなかった

結局、この種の議論にありがちな、決定的なネジれを2重に重ねたゆえに、非常に的確な対策になっているだけなのだ。

さて、私は、ボンの事例を手放しには賛成できない、と書いた。スライドを見ながら、広田サンの解説を聞きながら、直感的に「マズイことが起きそうだぞ」と感じ取ったのだ。日本の中世・近世の社会史を囓っている身として……。

西洋の田園趣味にしても、日本の農本主義社会にしても、都市に住むインテリゲンチアが都市周縁部に住む1次従事者の庶民が無償奉仕してくれるのに依存することで、成立していた。特に日本の場合がわかりやすい。都市周辺部の農民が都市部へ肥汲みに来る……なるほど見事な”循環型社会”だ。しかし、この循環を確保するためには、都市民から「肥汲み百姓」(いまやこの言葉は差別用語と見なされますよね)と貶められる人々を、法制度的に身分・居住区を固定することでなんとか維持していたのである。当然、「豊かな」都市へ周縁部から人口流入が始まるが、都市はそのアメニティーを確保するために、移住者を排除しようとする。日本でいうと、江戸時代に何度も出た「帰農令(人返し令)」がそれである。
近代になって、都市自体が産業基地となり労働力を必要としだして、この事情が一変した。労働力を確保するために、都市を高集積化した……当然田園趣味的な都市のアメニティーは破壊され、代わって”忌むべき”物質的なインフラで住民を満足させるように、都市は再設計される(同時に、極貧の労働者も都市活動に必須となっていくのでスラムが都心にも出現しはじめる)……ボンにしても東京にしても、このような過程で都市部の自然がなくなっていった。

以上の都市と周縁部との関係は、別に洋の東西を問わずに起きている。

広田サンによると
「ドイツやカナダの友達は、日本の江戸時代を褒め称えるのです。江戸時代のような循環型社会に見習わなければならない、と」。
しかし、その理想は、紙の上の記録が残した社会像でしかない。
バブル期以降、日本には妙な文明論を唱える学者が増えた。循環型社会を単なる社会システムとして捉え、「よくできている、さすがは日本。ユーシューだ。ばんざーい」と雄叫びをあげるオナニストもとい学者様。国外のよく知らない人たちは、「おー、これぞ東洋の神秘」と共鳴する。YMOが茶化したオリエンタルマジックの構造が30年経っても解消されていないことを嘆いても始まらないけど、こんな上澄みを歴史と見なし、理想とする人々。
しかし、都市もその周縁部も切れば赤い血の出る人々が生きる場であった。そして、都市とは政治の場であり、都市が法律を作る側の人が住む場である以上、上に述べたような意味での寄生関係を維持するために、都市に優位な法・秩序を作ろうとする。そして、「あるべきでないもの」は周縁部へはじき出してしまう……、そのような「営み」を内在させているのだ。

ヨーロッパの先進的な都市において、都市の中心部からスラムがなくなった代わりに、周縁部でデモや暴動が起こっている……、これは都市が近世の姿にもどりつつある証拠でないだろうか。

彼らの試みが「先進的」であるが故に。
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テーマ:環境・資源・エネルギー - ジャンル:政治・経済

この記事に対するコメント
中央州の中心都市が、
亀山だと思うのですが、行ってびっくり、見てびっくりでした。
ご無沙汰ついでに久しぶり、無関係なコメントとなってしまいました。

過日、ヤマトタケルの墓所(結局行けずじまい)の近くの工場に行った。
帰途タクシーで亀山駅から滋賀県に向かうつもりだった。
5分列車に遅れたら次の便は1時間後だった。
所在無くあてどもなく付近を彷徨った。
中央州は日本でも有数の経済発展と思いきやでありました。
柘植で乗り換えると、草津線ははるかに立派でした。
【2008/10/24 17:11】 URL | 迎 秀昌 #- [ 編集]

ご来訪……
亀山へのご来訪、お疲れ様でした。

そういえば駅前に何があったろう、思い返すと……何も浮かばない。
あるのは昔ながらの簡易郵便局と、バスの待合室。通りをはさんで食堂2軒と、雑貨屋さん(この上に喫茶店があるのですが、私も入ったことがありません)、べーカリーと洋食屋サン各1。あとは石造の鳥居。
う……ん、この町の中心はどこなのでしょう(悩)

関西線の待ち時間まで、ということでしたら、
むしろ、隣の関駅までTAXIで出られたほうがいいかも知れません。
同じ亀山ですが、あちらはなんとなく観光地っぽいですので、
1時間くらいなら飽きないで済みます……
【2008/10/26 00:55】 URL | デルタ #JnoDGgPo [ 編集]


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