ほしあかりをさがせ
山登り・サイクリング・星見・石仏探し 本命は何なのか、出たとこ勝負で行ってみましょう
プロフィール

デルタ

Author:デルタ
四十才代、三重北勢在住の技術者です。ちょっとだけ営業マンもしてました。
ネット上では、磨崖仏の研究家としてごく一部の人から認知されてる(らしい)。磨崖仏・星見・歴史小説創作については、本館のHPを見て下され。

他の任務:東洋的リバアタリアニズムの確立。
       日本まんなか共和国 勝手に観光大使

最近の記事

最近のコメント

最近のトラックバック

月別アーカイブ

カテゴリー

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

自動WEBサイト翻訳(多言語)

ブログ内検索

RSSフィード

リンク

このブログをリンクに追加する

スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

産経新聞にも、良識的に「迷う」記者さんがいる
国籍法の問題って、産経新聞あたりが煽って、「大変だ大変だ、俺たちの既得権、もとい麗しき伝統が侵される」、と騒ぎになっているのだろうな、と思っておったのですが。

当の産経新聞の政治部の記者さん、福島香織サンが、社のBlogで国籍法改正に対する複雑な思いを書いておられるのを見て、私もほっとしました。

【記者ブログ】総理番のお仕事(6)国籍法のゆくえ 福島香織

5ページにも及ぶ結構長い文章なのですが、
福島サン自身のフィリピンを担当したころの記者経験に照らし、そしてまさに伝統的な家族の観念を省みて、DNA鑑定で割り切れない部分があることを、吐露しておられます。



以下引用
■では、認知の条件にDNA鑑定をいれればよいではないか、科学的根拠で親子関係が証明できれば国籍を与えればいい、という意見もある。


■これは一理あるのですが、そうすると、日本人の家族観、家族法を揺るがせる可能性もあります。生みの親より育ての親、という言葉があるように、日本の家族は血統主義ではありません。血がつながっていなくても、本当の親子のように関係がはぐくまれている場合、当然、家族、親子とみなされます。相手が外国人だとしても、当事者がのぞめば別ですが、政府がDNAで親子関係を証明することを強要することは、へたをすると、プライバシーの侵害や法のもとの平等に反する違憲、と判断されることもあるかもしれません。


■血がつながっていなくとも、日本人男性が外国人女性と道ならぬ恋におち、せめてもの誠意として彼女の子(自分以外の男性が父親だとしても)を息子として認知し国籍を与えたい、ということであれば、それは、一夜の低俗な快楽の末、うっかりできた子供、あるいは女性の方が国籍ほしさに男性を誘惑して作った子供との間にあるDNAで結ばれた親子関係より濃いかもしれません。


以上引用

日本だけに限らないのかもしれません(私にはわかりません)。
少なくとも日本での家族のありようは、まさにウェットなもので、血統主義なんていう原則論では、こぼれ落ちていくところがあるでしょう。民法はこのウェットな部分に対処するために、やたらと分厚くなっているのですが(苦笑)、それも止むを得ないこと。
また現行の民法のもとでは、認知の際にDNA鑑定が行われる可能性は、父親と目される人が鑑定を求めた場合だけ。言い換えれば、認知を躊躇っている場合だけなのですから、今求められているというDNA鑑定の義務化という厳格な規定とは、相容れないような規定になっている。

私のようなリバタリアンからすれば、家族という私事に公権力が介入することが、越権だと思うけれど、
それ以前の問題として、親子関係の多様であることに、皆が目を向ける必要を感じるのです。
スポンサーサイト

テーマ:国籍法改悪反対! - ジャンル:政治・経済

この記事に対するコメント

蔵です

ミもフタもないですが、やはり
そもそも自由移民にすればいいんですよ。
あるいは自由移民特区を設けてもいい。

なんで、人間が別の土地に生まれただけで
そんなに違いがあるというのか。
どう考えても「正論」ではないですよね。


【2008/12/05 00:44】 URL | kurakenya #- [ 編集]


蔵様
コメントありがとうございます。

私も身も蓋もない言い方をしてしまいますと、
”国籍”という制度が面倒に思えてまして(爆)

なにせ、パスポートを取る時に計3日も勤めの休みを取り、本籍地の市役所(それまで行ったこともなかった)、次の日は県庁、と走り回ったという、この面倒さといったら!
……脱線しました。

違いをあげだしたらキリもない、でもそれ以上に国籍(民族?……この点が議論でアイマイになってますね……毎度ですが)を越えた人間性の等質性があるのも間違いないことです。でないと、翻訳文学がこんなに売れる訳がないとか思ってしまうのです。

ただ、蔵さんがおっしゃっているように、
その人間性(本質)の中に、「利己性」も含まれているという考えに立つと、
国籍/民族は実は口実で、
自らの身に有利な環境を守るための営みかもしれず、
複雑な気持ちです。
【2008/12/08 21:39】 URL | デルタ #JnoDGgPo [ 編集]


この記事に対するコメントの投稿














管理者にだけ表示を許可する


この記事に対するトラックバック
トラックバックURL
→http://hosiakari.blog34.fc2.com/tb.php/625-b696f6dd
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。