ほしあかりをさがせ
山登り・サイクリング・星見・石仏探し 本命は何なのか、出たとこ勝負で行ってみましょう
プロフィール

デルタ

Author:デルタ
四十才代、三重北勢在住の技術者です。ちょっとだけ営業マンもしてました。
ネット上では、磨崖仏の研究家としてごく一部の人から認知されてる(らしい)。磨崖仏・星見・歴史小説創作については、本館のHPを見て下され。

他の任務:東洋的リバアタリアニズムの確立。
       日本まんなか共和国 勝手に観光大使

最近の記事

最近のコメント

最近のトラックバック

月別アーカイブ

カテゴリー

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

自動WEBサイト翻訳(多言語)

ブログ内検索

RSSフィード

リンク

このブログをリンクに追加する

スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

続・米国依存?
益川先生がノーベル賞受賞にまつわる一連の行事で、英語を使わず日本語で通したことが、NHKラジオの18時頃のニュースで妙に賞賛しているのが、気になる。

英語に”毒されない”態度がそんなにエライのか?
益川先生が偉いのは、その物理学的な業績とそれへの探求心の為なのに。
彼に敬意を表して、ということで授賞式の司会者(プレゼンターかな?)が日本語で賛辞のコメントをされた、それで、アナウンサ氏も解説者氏も、リスナーコメントも上気している。

ちょっと待て。
英語支配が気に入らないからといって、スウェーデン人の……しかもノーベル賞のプレゼンターに選ばれるくらいだからヒトカドの業績と見識を持った研究者であろう彼に、
「日本語=異国語」を話させたことに喜ぶのは、英語支配と同じ「罪」ではないのか?

英語支配に異議を唱えるのならば、益川先生は「スウェーデン語で一言お礼を申し上げたいのですが、あいにく話せませんでして」と切り出すべきだったのでないだろうか。
……別に益川先生を責めたいのでない。彼を「文化的ナショナリズムの英雄」に祭り上げたい人たちへ、皮肉を送りたいだけなのだ

私や、多くの非英語圏のビジネスマン、研究者は、英語を単に便利だからという理由で使う。それ以上の意味は、実はない。エスペラントがわりともいっていい。
だから、私たちの多くは恐らく英語圏の人が不快になるほどに、英米文学や英米の歴史に疎い(私だって、文学といえばキャサリンパターソンさんの作品を3つほど読んだだけだ)。英語支配と怯えたフリしつつ、じつはその背景の文化をないがしろにして”利用”するしたたかさが、私たちの腹の内にある。
そんな取引?のもと、重宝に英語を使わせてもらっている私だって、むしろ「英語支配」の可能性に危機感も同時にあり、韓国語とポルトガル語とを……片手間としかいいようのないスローペースで学んでる。これは、英語をそして日本語を相対化し、同時に目の前にいる異国の人の言葉を学ぶことで、内なる異国を意識しようとしての試みだ。

スウェーデン語といえば、ひとつ思い出したことがある。
高校生時代、私の居た高校へフィンランドから短期の交換留学生が来たことがある。眼鏡を掛けた小柄な女性で、今にして思うと結構な秀才だった(高2の時点で、スウェーデン語と英語と日本語とを日常会話で困らない程度に身につけていたのだ)。
だから若干割り引いて考えないといけないエピソードだ、とは一応お断りした上で。

英語の授業後、ちょっと雑談になったときのこの言葉……、今にして思うと私が韓国を意識したきっかけでもあるのだけど、皆さんはこの言葉を聞き、どうお考えになるだろう。

「え?ChineseもKoreanもどちらの言葉も習ったことがないの?うそだ~。私ら、英語と一緒に、Swedishも習うんだよ。隣の言葉を習わないのなんて、不自然だと思わないの?」

だめ押しすると、馬鹿者と蔑まれる”あの”ブッシュ大統領は、カタコトながらもスペイン語(隣国メキシコの公用語)を日常会話程度には話すのである(それも、歴代米国大統領ではじめてだとのこと)。
少なくともネイティブたちの韓国語の会話についに参加できなかった私よりは、利口で誠実に見えることだろう。

……それができないのを、努力すらしないことを、当然といいたげな顔をして、
「英語ができるかよりも、内容が大切なのだ」とか、「気持ちがあれば日本語でも伝わるのだ」
とか言ってのける精神主義が、どれほど危険で傲慢か。

靴くらい投げつけられても仕方がないと、私は思うのだが。
スポンサーサイト

テーマ:憂国 - ジャンル:政治・経済

この記事に対するコメント
自戒もこめて、コメント(勉強中)
いやー、おはずかしい。当方英語を現在勉強中なのですがその
英語でさえも当方は全然習得できていないので情けない限りです。
内容のノーベル賞ですが、そういえば昔っから日本語云々って言われてますよね。
「美しい日本の私」?で講演した川端さんは
日本語で演説したことが評判だったようですし
大江さんは川端さんとの対照で、英語で講演したことが話題になりました。
(しかし大江さんはなぜ「大江語」でなぜ演説しなかったのでしょうか(笑))
まぁ、上記は文学賞ってことで少しはわかるんですが
今回の益川先生は物理なのでそれがどうしたの?って気は確かにしますね。

>「英語ができるかよりも、内容が大切なのだ」とか、「気持ちがあれば日本語でも伝わるのだ」とか言ってのける精神主義が、どれほど危険で傲慢か。

いやー、こういうことをいわれる方ってそもそも、その日本語さえもどうなのかなって?のはありますね(笑)。
自戒もこめていいますが、先日私の職場に、ある本に載っている大石内蔵助がある人に送った書の掛け軸の内容と読みを教えてほしいということで、本とその掛け軸の図像をみせられたのですが…草書で全然よめないんですよ、これが(涙)。
日本史好きとか仮にも自称する身として、くずしとか草書とかある程度は読めないといかんと思いますし、また漢籍的教養も少しは必要だと思いますが、今の自分はほとんど出来ていないなと改めて反省させられました。
と、同時に職場にいる上記の精神主義者らしき方も全く読めなかったようですので、
いわゆる「国語主義者」というのもその程度のものなのかと思いますね。





【2008/12/18 08:44】 URL | きなぞう #- [ 編集]

ことばに魅入られて
きなぞうさん、こんにちは。
川端康成が、英語で講演したら、さすがの私もガッカリしているだろう、
そう考えると、実は微妙な話ですね。「国語」に対する我々の期待というのは……。
通じないと意味がない、とかいいつつ、美文にウットリするのも、事実。

と考えると、解決法は別の方向にあるのかもしれません。
いろんな言語の、美文名文を味わい、敬意を持つこと、
では?
そんなことできるわけない、
ハイ、その通りです。私も英語ですら出来やしません(罰杯)

きなぞうさんや、職場の方同様、私も、日本のいにしえぶみにすら絶対の自信を持てません。
きなぞうさん、Kazuさんと以前上野の東照宮に行ったとき、
三十六歌仙の額を見て「読めない~」と泣いていたあのころから、
私もぜんぜん進歩ありませぬ。
自慢ではないですけど、これでも高校時代、、古文だけは校内で誰にも負けたことなかったのですが……。ということは現代日本人の実力が知れようというものですね

--出直して参ります、お師匠様(謎)
【2008/12/24 20:09】 URL | デルタ #JnoDGgPo [ 編集]


この記事に対するコメントの投稿














管理者にだけ表示を許可する


この記事に対するトラックバック
トラックバックURL
→http://hosiakari.blog34.fc2.com/tb.php/634-459fb0ce
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。