客観的に振り返ると笑ってしまうよね、 今年40歳になる男がさ、映画のロケ地めぐりだと称して、見ず知らずの町の旧家の跡を訪れて、最後には感激のあまり無言になるなんて。
そんなあり得ない(爆)行動を起こさせるほど、深いところでワタシの人生観に陰を落としている作品なのです。「羊のうた」という漫画は。 1990年代独特の空気なのかも知れないけれど、 「生まれてきてすみません」(人間椅子のファーストアルバムのキャッチコピー)的な、「生きる資格がないなんて 憧れてた生き方」(橘いずみ「失格」より)的な、内省的な自己への”思い”があった。 単なる閉塞感ではない、自分を包むこの閉塞感を”自分たちの手で”終わらせる必要がある”という自覚があって、そのくせその為には、自己否定しなければならないとも思い詰めているような。ラジカルではある、けれどそれ以上に、異様なほどの自虐。 少なくともワタシは、まだその気分を引きずっているが、そもそも、この”思い”は何をきっかけに持っているものだったろう。
偶然知ったことなのだが、映画・寅さんシリーズとテレビドラマ・水戸黄門、さらにテレビアニメ「サザエさん」は同じ年に始まっている、それがワタシの生まれた年でもある1969年だ。 それらのロングラン作品と共に育ってきた私達なのだが、悲しいかなこれらの作品は、連作の芸術作品というものの質上、いつかはマンネリと私達の目に映ってしまう。子供から馴染んできた、幸せな社会の姿……寅さんにしても水戸黄門にしても、サザエさんにしても、何とも戦後日本的な幸せな社会像の、象徴といっていい。その「幸せ」が目の前で、しかも自分達の「成長」とともに色あせていく。
「Out of harmony 小さなあたしにも 崩れていく音が聞こえてたの」 (五島良子「Out of harmony」より)
誰だったかが、90年代を「終わらない日常」と表現したけれど、ワタシの実感はちょっと違う。「自分を幸せにしてくれていた日常的が色あせたマンネリに見えてしまう、そんな自分の感覚って変だろうか」という恐怖。そして「そのマンネリと化した幸せは、やがて歪みが溜まってやがては終わる。大事にならないうちに、自分たちで幕を引く方がいいのかも」というひとり合点な覚悟(というとカッコよすぎる?)とが、背景にあるのに気付く。
う……ん。 漫然と考えかながら書いていたのでは、うまくまとまらないな。 考えが整理できたところで、続きを書くことにします。 (未完)
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