ほしあかりをさがせ
山登り・サイクリング・星見・石仏探し 本命は何なのか、出たとこ勝負で行ってみましょう
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デルタ

Author:デルタ
四十才代、三重北勢在住の技術者です。ちょっとだけ営業マンもしてました。
ネット上では、磨崖仏の研究家としてごく一部の人から認知されてる(らしい)。磨崖仏・星見・歴史小説創作については、本館のHPを見て下され。

他の任務:東洋的リバアタリアニズムの確立。
       日本まんなか共和国 勝手に観光大使

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論文短評「神仏分離と門前町坂本」
年の初めに、坂本での廃仏毀釈について示唆が得られそうということで紹介を受けた吉田ゆり子先生の論文を、県立図書館まで読みに行った。
江戸時代、延暦寺の門前町として坂本がどのような社会構造にあったか、そして、延暦寺と門前町の町民との連接点としての集団「公人(くにん)」がどのような集団だったかから説き起こし、明治維新前後の公人の行動(「延暦寺を選ぶか、日吉大社を選ぶか」)と、それに対する延暦寺の政策とを、記録・日誌類をもとに描写されている。
これまで日吉大社の神官(生源寺三位や樹下石見守など)を中心に、廃仏毀釈を分析する研究例が多く、受動的な立場の公人視点での研究は目新しかった。
しかし、なぜ公人の特定の一部が、還俗し日吉大社所属になろうとしたか、までを追い切れていない。さすがにそこまでは、彼らも日誌には書かないだろうし、推測しか追求する方法がないのだけど。
ヒントはある。かれらのうち2者が大地主であり、明治2年に小作の”壊チ(打ち壊し)”の襲撃を受けているという事実である。
上坂本の町内には、目立った農地がない。しかし、その上坂本を行政的に引き継いだ今の坂本地区には、かなり広い農地がある(今は住宅地になってほとんどなくなったけれど。当の私がそんな住宅地の出身なのだ-笑)。惑わすような書き方で申し訳ないけれど、江戸時代”上坂本”の町内と数えられなかった地区があったのだ。……被差別部落である。どこまで歴史的遡れるかは私にはわからないだけど、明治維新時点でもこの地区の人々は小作であり、また延暦寺との縁がほとんどなかったと思われる。この地区の人々は、真宗のお寺を菩提寺にしているのだから。にもかかわらず、山王権現の代官でもある公人は、この地区の土地を所有し小作料を取っていた……とすると、この土地が日吉大社と結びついている、と考えるのが自然だろう。もと住民の私に推測できるのは、現時点ではここまでだ。非常に残念だけど。

解放同盟的な「被差別部落中心の歴史記述」にする必要まで、私は主張しないけれど、この論文が取る方法論では全体像が見えてこないと、私は怖れるのだ。

現在においても、坂本(論文と照合していうならば「上坂本」の範囲)の人口の1/3は優に超える人々が暮らすコミュニティーが、この論文からこぼれ落ちている。無論、このコミュニティが、門前町としての”坂本”の枠外とされていた(政治的には小作料を納める以外の機能を持っていなかった)ことは、当時の絵地図でこの地区が一切……集落の存在や戸数どころか、地名すらも記入してないことから考えても、推測がつく。このような状況だから、従来の歴史学的な史料から読みとることは不可能だろう。

大変ツライ、読み解くのが困難な事象と、私が廃仏毀釈を見なしている理由はこのあたりにある。
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テーマ:歴史 - ジャンル:学問・文化・芸術

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