ほしあかりをさがせ
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デルタ

Author:デルタ
四十才代、三重北勢在住の技術者です。ちょっとだけ営業マンもしてました。
ネット上では、磨崖仏の研究家としてごく一部の人から認知されてる(らしい)。磨崖仏・星見・歴史小説創作については、本館のHPを見て下され。

他の任務:東洋的リバアタリアニズムの確立。
       日本まんなか共和国 勝手に観光大使

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コモンズでの所有権行使~公海での捕鯨を例に~
scepticxさんが、この前の捕鯨についての記事へ、たびたびコメントを下さったのですが、結局相違点がひとつだけと判明しました。
曰く「クジラを獲る自由自体を否定するな」

私は、これっぽっちも「クジラを獲る自由」を否定していないのですが、それは、ひとまず置きます。
しかし、scepticxさんは「自由(権利)」としばしば書いておられる。……これを見ると、自由が即ち権利のある状態、と考えてはる様子なのです。

自由と権利
……リバタリアンにとって、これほど大好物な話題があるでしょうか!(爆)

scepticxさん。
リバタリアンである私の前で、自由論をはじめたアナタは非常に鋭いと思います。よい着眼点だと思います。
(多分、自由論を前面にだせば、リバタリアンが自由を侵す、という矛盾に陥ると考えはったのでしょうね)

いい機会ですので、クジラを例にして、私達がモノを所有する権利とは何か、
その権利には、自由という「概念」から具体化する過程で、どのような前提や制限が生じるか、を整理しておこうと思います。
そして、リバタリアンな考え方で通常「泣き所」とされている「共有物の悲劇」への
対処法を提案したいと思います
(1)公海と排他的経済水域の区別(公共空間の定義)
公海と排他的経済水域とには資源とは、権利関係に明確な区別があります。
わかりやすい例でいいましょう。

今、scepticxさんが言われる通り、
公海であろうと排他的経済水域であろうと区別なく、何人にもそこで経済行為を行う「自由」がある、という仮定に立ちましょう。
とすると、日本の排他的経済水域内で、北京政府傘下の石油・天然ガス会社が、天然ガスを採取する自由もありますし、ロシアや韓国の漁船が、日本の排他的経済水域内で漁をする自由も認めなければなりません。
これって直感的に変ですよね。わざわざ排他的経済水域を国際海洋法条約で決める必要がない(爆)
排他的経済水域は、文字通りある国籍を持つ人(あるいは、その人から正当な授権をされた人が、優先的・排他的に経済活動ができる、と互いに認め合っているわけです。一方、公海はコモンズ(共有地)です

排他的経済水域での、捕鯨に「原則的に」反対している人はごく少数です(私のように、資源保全の観点で、自由を制限し「自生的秩序」を打ち立てようとしている人は多いでしょうけど)。
一方公海での捕鯨は、そのクジラの所有権が「公共」にわたるため、別な考え方をしなければならなくなります。

(注記。話を単純化するために、クジラが回遊性を持つことを無視して話を進めています。回遊性を含めて考えると、日本国籍所有者が、排他的経済水域において、「原則的に」捕鯨の自由を持っているかは、グレーな状態である、と私も考えています)

(2)コモンズにあるモノに対する権利--権利の発生原理とコモンズの保全との整合
 scepticxさんは、自由(権利)というものをどのように考えていますか?
 明確に所有できているモノ(無形物も含みます)には、自由を主張できます。ただし、その自由が他人とオーバーラップする場合がありますね。そのときには、自由が制限されます。古典的でかつ最低限の制限として、『他人の権利を侵さない限りにおいて』という但し書きです。
 公共空間(公海も含み)にあるモノが、経済活動の対象になるときに、モノがたちまち枯渇してしまう、という現象が起きます(以下「コモンズの悲劇」と呼びます)。この現象が、政府(法権力)による経済調整(経済的自由を制限すること)の正統な理由づけとなっています。
が、私は、法権力による調整を必須と思っていません。他の手段により実質的に同じ調整機能を得ることができると考えました。
 コモンズの悲劇が起きる原因は、公共空間にあるモノが、誰にも属さないもの(無主物)と見なされているから、早い者勝ちに取られていくことにあります。公海のクジラの場合でいうと、クジラを早い者勝ちで獲る「捕鯨オリンピック」の時代での考え方です。……その考えに従った結果、クジラが絶滅の危機まで追い込まれたわけです。

一方、見方を変えれば、公共空間にあるモノは、誰のものでもあり得る……つまり、「皆が所有権を持っている」と見なしても正しいでしょう。
公海のクジラに関していえば、世界中の人間が所有権を持っている、と考えるわけです。しかるべきルールに基づき管理しながら捕鯨する、という方法論とも、この考え方は整合しますね。

 我々が所有しているモノを、贈与・交換したり売ったりする場合には、二種類の自由があります。(1)今、処分するか/しないかを自ら判断する自由と、(2)どのような条件で処分するかを決める自由(誰に、いくらで?という問題)です。
公海のクジラで考えると、共有権の一端を持つ日本人(日本の捕鯨会社)が「今、このクジラを市場に出して対価としてお金を得たい」と思っても、他の人々;極端な例として動物愛護論者が”我々と同等に共有権を行使して”、その”処置”に反対するのも、至極まっとうな権利行使です。
もちろん、「もっと太らせてから!(爆)」なんて考えでもあり得るでしょうし、「クジラを見ている方が幸せだから」という理由もあるでしょう。私のように「まっとうに事業採算が取れるようになるまで禁猟にしよう」という考えの人も居るでしょう。
それらの要求は、「今クジラを食べたい(市場に流したい)」と考えるひとたちの要求と、まったく同じ重さを持っています。……それが、共有物をめぐる掟です。

単純に言い換えると、「クジラを捕る自由」も「自由(共有権の行使)」ならば、「クジラを今あるがままにしておく自由」というのも同じ「自由」なのです。
scepticxさんは、おそらく後者の自由を意識しておられなかったのでしょうね。
しかし、後者の「自由」を認めないと、私達はモノを「所有し続ける権利」を保てなくなってしまいます。分譲マンションで喩えると、区分所有者の誰かが「このマンションを売りに出そう」と言った時点で、全ての人が問答無用に売らなければならないことになります。

結局、これらの「所有物に対する自由」を共有者各人の間で整合させていくことが、必須です。まさに「他人の権利を侵害しない限りにおいて」という制限に、行為を起こす人の「自由」が制限されているので、調整が必要になるわけです。
たとえ共有物に対してでも……いや、「共有物であるからこそ」、「自由(権原)」を主張するだけでは、権利(「所有権」)が発生しないのです。

((2)の議論は、森村進サンの「自由はどこまで可能か」での論拠を参考にしました)

(3)クジラは、現在、人間の所有物と成りうる存在か。
最後にクジラはあくまで野生動物です、と指摘しておきます。
上の議論では疑いなく所有できるとしていましたが、クジラは所有権を明確に確立できる「もの」と異なります。
人間はものを所有する条件とは何か?私は、3条件挙げたいと考えます。
(A)所有者がそのもの自体を保全し管理していること、
(B)所有に正統性があること。そのためには
  (B-1)前の持主から正当な手続きで譲渡を受けていること、
   あるいは
  (B-2)所有者自らが生み出したものの、いずれかでなければならない。
(C)所有物自体が自らの意志をもっており、かつ明確に所有されることを拒否している場合、所有できない場合がある(意識・意志の程度による)

少なくとも、海を泳いでる状態で、クジラは、(A)(B)を明かに満たしていません。また仮に完全養殖に成功したとしても、(C)の観点で所有が不可能と判定される場合があるかも知れません
((C)は、奴隷の所有を否定するために立てた原則です。これに準じていえば、クジラの場合でも、「所有されたくない」と”意思表示”と見なして、所有権が否定される場合があるかも知れません。例えば、餌が不足するなど、生死に関わる場合に、”生け簀”から逃げ出したときなど……。
以上は、アニマルライツの考え方で、法理論的に整理していかなければならない観点です。人間が特別な生物でない以上……)

ではクジラはいつの時点で、所有されうる存在になるか……。捕鯨などの猟の場合には、狩りを行っている者の工作物により、行動の自由を失った時点からと考えねばなりません。このときはじめて(A)(B)の条件を満たすことができます。((C)は、今の時点では留保としましょう)

危害原理から考え、これから所有しようと行為を起こすときに(所有の自由を行使する)、それを妨害する自由(行為の自由、公海での場合には共有物に対する区分的所有権を保全する自由)も同等にあると認めなければなりません。

捕鯨の例で具体的にいいましょう。
クジラを見つけ銛を発射しようと捕鯨砲の砲手が狙っている時点で、煙幕を張ったり、放水を行ったりして砲手の視界を遮ることは、所有権の行使を遮る不法行為といいきれない。それも、妨害する人の「自由」だからです。
そのクジラは、砲手の所有物にまだなっておらず、砲手の「所有権」を侵害していないからです。そのような行為も、公共空間での自由な行為、と言わねばなりません。

つまり、自由(権原)を主張するだけならば、例えばミルの「危害原理」に基づくと「相手に具体的な危害を与えない限り」、あるいは、先にあげた但し書き「他人の権利を侵さない限り」、全ての自由を認めねばならなくなるのです
(繰り返します。銛で狙っている時点では、まだ所有権が発生していません!だから、妨害しても「他人の権利を侵している、とは言えないのです)

私の立場からいうと、確かに我々(人類誰にでも)クジラを捕獲する自由はある。しかし、その自由を無制限に認めさせたときには、我々の所有物になる以前には、どのような妨害を受けることになっても、その妨害行為自体を「自由」として認めることが引換えになります。それで、はじめて正統な権利として主張ができる、という結論です。
アナルコキャピタリズム(直訳の「無政府資本主義」より「無政府市場原理主義」と意訳する方が、わかりやすいかな?)の典型例を示したM.ロスバードが、あらゆるものを売る自由を認める代わりに、それに対しボイコット運動をする自由も認めた(威力業務妨害にあたらないとした)のも、同じ思考過程によっています。

(4)まとめ
scepticxさんは、「自由」を主張しつつ、それを具体化する上で国際的な合意のもとでの捕鯨という姿を認めています。
その論拠はなぜでしょうか。言い換えれば「自由原理主義」に徹することができないのはなぜでしょうか。
結局、上に書いた通り、このような多数の「自由」が輻輳し争う社会は、非能率的と認識されているからでしょう。

そのために、各個の「自由」が社会的合意により互いに制限されていくことは、私もあり得ると思っています。
しかし、そのときには必然的に、「自由」だけを認めさせても、それ自体では我々に「権利」が発生しなくなります。
その権利は利害関係者に「承認」してもらわないと、効力を持たないのです。
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テーマ:捕鯨・反捕鯨問題 - ジャンル:政治・経済

この記事に対するコメント

        ∧_∧:::   >>Mr.デルタ
       ( ´Д`):::   おいらの登場が嬉しいなんて、嬉し過ぎだぜっての!
     /⌒ 丶'   ⌒)::: エコテロリストのSSがオージー国家に捜索受けたけど
     / ヽ     / /::: 感想はいかがかな?
    / /へ ヘ / /l:::
    /  \ ヾミ  //:::
   (__/|  \___ノ/:::
       〉    /:::
       / y   ):::
      / /  /:::
     /  /::::
    /  /:::::
   (  く::::::::
   (\  ヽ:::::
    |  \ ヽ:::::
    |  .i:::\ ⌒i::
    | /::::  ヽ 〈::
    | i::::::  (__ノ:
  __ノ  ):::::
 ̄(_/ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄




【2009/02/22 22:47】 URL | カイザ(ほげー改め) #yL5K9kSo [ 編集]


デルタさん親切で忍耐強い(^^;;
何かというと"公""公"という割に、世界の"公"についての認識が欠けているのが日本の右よりのヒトたちの特徴かもしれませんね。。
【2009/02/24 01:47】 URL | kkneko #2sQQXnjA [ 編集]


kknekoさん、一つ御教授願いたいのですが。

>世界の"公"についての認識が欠けているのが日本の右よりのヒトたちの特徴かもしれませんね。

世界の”公”とやらが、どういうものか具体的に教えていただけますか?例えば捕鯨問題における”公”とは一体何を指すのか?

私も、右よりなせいか、どうやらそうした認識が欠けているようです。
よろしくお願いします。
【2009/02/24 19:55】 URL | 一知半解 #f2BEFQoE [ 編集]

To Mr.カイザ
カイザ様
……「奢り」のお誘い……でなくて、
コメントありがとうございます
(あはは、期待するなよ>自分)


>シーシェパード
……暴走しているとは思いますが、
テロ集団というの、言い過ぎかと。
テロリズムというのは、生やさしいものでないようで、
政治目的を達するために、無差別殺人も辞さない、くらいの強烈さがあります。
(私ら戦後の日本に育った者には、実感が持てないですが)

シーシェパードは、せいぜい威力業務妨害か、傷害の未遂犯で何人か書類送検されるだけでないかと思います。
もちろん、私は、目的が手段を浄化する、という(よくいるタイプの)暴力革命主義とは、死闘してきた人間だから、
目の前にそのような手段を執る人がいたら、罵倒するでしょうけどねぇ
幸い、今の日本って、そういうタイプの政治活動家は皆無に近いです。
ご安心のほどを。
【2009/02/24 20:23】 URL | デルタ #JnoDGgPo [ 編集]

公とは何か、私見
kknekoさん
一知半解さん
コメント、ありがとうございます。

私から、「公」という概念を、たたき台を提示しておきますね

私のBlogへ、私も気付かない間に、Kknekoさんと、一知半解さんとが、あいついてレスを書かれるような状況が、「公」だと思っています。
私の予見をを越えることさえあるほど、通りがかりの人が行き交っている状況……という像です。

この国籍・思想……が異なるかどうかも判らない人たちからなり、「予定調和が起きるかどうかもわからない」という状態が、”公”なのでして、
公に参加する人たちに、自分の行為を納得してもらえるよう説明することが、「説明責任」なのだと思っています。
わたしが、「誰が読むねん!」といわれかねない、この記事を書いたのも、「市場原理主義者」が、捕鯨モラトリアムに賛成するという判りにくい主張に対する説明責任を果たすためなわけで。

……というわけで、
kknekoさん、ご指名ですので、
レスを加えて下さると幸いです。
(といっても、定期的にはみてくれてはらへんかな、
と思い、主宰の私が出しゃばりました-苦笑)

もうひとつ、私から付け加えると、
認識する公の広さは、最近では、思想の左右と関係しにくくなってきていると思っています。
(2000年頃からでしょうかねぇ)
左というより、世間から「売国奴」と評価される者(私のような)が、より公を広く考える傾向は、あると思います。
米国産牛肉に対する態度は、右・左に係わらず(あるいは日本や韓国といった民族にかかわらず)、
単に排斥するか、米国の生産者に乗り込め!というか、
……そのあたりへ、公の認識の広さが反映するのでないでしょうか
【2009/02/24 20:44】 URL | デルタ #JnoDGgPo [ 編集]


>一知半解さん
デルタさんの当該ブログ記事本文とコメントが大変わかりやすく素晴らしい内容ですので、私から付け加えることはありません。
が、もう一つのわかりやすい例として、拙ブログの記事にお寄せいただいたみんくさんのコメントをご紹介いたします。(リンク)
http://kkneko.sblo.jp/article/16190800.html#comment

そもそもデルタさんの記事に対する感想を申し上げたまでだったのですが・・"公"とはつくづく難しいもんですな。。
デルタさん、お邪魔さまでしたm(_ _)m
【2009/02/26 00:15】 URL | kkneko #5IxCOZfY [ 編集]


デルタさん、こんばんは。
元記事も含めて、感想というか、意見というか述べさせていただきます。

大変、丁寧にscepticxさんの意見に対して主張を展開していると思いました。
またその内容も、至極もっともだと思いましたが、果たしてデルタさんの主張が、「現実」に即しているか?という点で非常に疑問に思います。

まず、日本側は、何も無制限に獲らせろなどと主張しておりません。
そして、妨害する自由はあれど、その自由を行使するため「違法行為」まで許されるわけではないことに言及していないところもおかしいと思う。それとも「違法行為」による妨害も認めておられるのか?

実際、日本は法を遵守しながら、調査捕鯨を続けています。つまり「自由」を主張しながらも、ルールを守る姿勢を取っている。それに対して、SSは明らかに違法行為を働いています。

そうした「前提」を無視されては、どうにもこうにも議論がかみ合わないような気がします。


kknekoさん、お返事ありがとうございました。
みんくさんのコメント参考にさせていただきました。

ただ、やっぱり納得できない処がありますねぇ。
すべて桜の喩えのように扱ったら、一部の反対のために何にも獲れなくなりますよ。

私は、ルールに基づいて利用する権利は行使しても構わないと思いますけどね。
【2009/02/26 23:54】 URL | 一知半解 #f2BEFQoE [ 編集]


kknekoさん、こんにちは。
「公」……ほんと難しいです。
私の書いたことが、いつリバタリアンなかまのゲキリンに触れるか、もとい、沸騰的議論のターゲットになるかと(爆)、びくびくしております。
【2009/03/01 08:15】 URL | デルタ #JnoDGgPo [ 編集]

法の抜け道、と言うべきでは?
一知半解さんこんにちは。
今水産庁がやっている「調査捕鯨」は、違法ではないですが、胸を張って合法といえるか、私には疑問です。
浮かぶ喩えとしては、こんな感じでしょうか。
「道路補修工事」と役所へ届け出て(届け出は原則却下されることがない。この点調査捕鯨の”許可”と同じ)、工事中と看板を立てた上で、工事事務所だといって道路の端にプレハブを建てて住んでいる、というような、”事業”のすり替え。。
つまり、誰もこんな規模でクジラを捕獲してまで調査する必要を感じていない。
現に、過去にあった他の国の調査捕鯨は、各々1~数年間続けただけで、総計でも水産庁が1年で獲る頭数がに及ばないはずです。
(詳しい頭数までは知りませんが、グラフを読む限り間違いないです)。

まさに、法の抜け道を見つけただけに過ぎず、これを「合法」と言い張り続けるのは、ホリエモンの時間外取引を問題ないと言い張るのと、同じレベルでしょう。確かに「権利」はあるのですが。ねぇ(苦笑)。

それと、今回の書き込みでは、アイマイに書いていますが、
私が反対している理由は、一知半解さんのいう、
>何も無制限に獲らせろなどと主張しておりません。
という、その制限に則った場合の、採算性なのです。
今の調査捕鯨の3倍という事業規模で、バックヤード部門や営業部門の人件費、あるいは、船団の減価償却や年々の補修費が絶対ペイできない、と分かり切っているからです(総売り上げが200億円に乗らないのに、100億は確実にする船団を、船の寿命…約15年…で償却するなんて無茶です。地方の第三セクター鉄道並の酷い財務状況になることでしょう)
商業(事業)である以上、低報償で働いてもらうわけには、いかないですし、事業体が赤字を垂れ流して第二・第三の公社になられても困ります。

採算があうほどにクジラの数が回復して、はじめて事業を行える、……それが市場原理に忠実な態度ですし、逆にいえば、採算が合わないということ事業をしないという態度が、市場の社会や環境への節度にもつながります。
(リバタリアンの立場から言わせれば、多くの場合「国策だ、と強弁して行われる公共事業が、もっとも環境破壊する」のですから。共産圏だったころの東欧・ソ連を考えれば、私のいわんとしていることが判ってもらえるはずです)

また、これが、私の考える「現実性」でもあります。
今のまま、国策的に商業捕鯨を再開しても、採算があうまで人件費が削減されるか、今のように国が年数十億円レベルの補填をするか(船を国が所有し、会社へ無償貸与するとか)、さもなければ、採算が合うまで捕鯨頭数を増やして絶滅に追いやるか、がオチです。
【2009/03/01 08:18】 URL | デルタ #JnoDGgPo [ 編集]


デルタさん、こんばんは。
レスが遅れて申し訳ないです。

デルタさんの仰るとおり、日本の調査捕鯨は、違法ではないが、完全に合法とまではいえないでしょう。

ただ、私個人的には、十分許容レベルだと思いますけどね。
そもそも、こうした方針は日本が自ら選んだものではありませんし。反捕鯨国の言われなき横暴によって、南氷洋がサンクチュアリ化されてしまった経緯を見れば、こうした手段で対抗するのもやむを得ないでしょう。

そうした経緯を全く無視して、脱法行為だと言われても納得できないでしょう。

採算性については、デルタさんの見方は大方頷けるものですけど、現況における”採算だけ”で判断するのは余りに早計ではないか…と思います。

コストオンリーではなく、南氷洋における権益確保や食糧供給手段の確保という安全保障面からもこの問題は捉えるべきではないでしょうか。

結局のところ、そのためのコスト負担を国民がどう思うかですけどね。
SSの行為は、そうした判断にどのような影響を及ぼすか?

実際のところ、調査捕鯨を止める方向ではなく、意固地に続ける方向へ向かうような気がしますけどね。
【2009/03/06 17:37】 URL | 一知半解 #f2BEFQoE [ 編集]

Re: タイトルなし
一知半解さん、こんにちは> デルタさん、こんばんは。
わたしは、当時の状況からいって、サンクチュアリ化はあたりまえと思っています。
危機的に個体数が減っていたことは、そもそも狙って獲れる頭数が大幅に減ったことが何より示していました。

>結局のところ、そのためのコスト負担を国民がどう思うかですけどね。

「国民」がなぜおわなければならないか。というのが、私には納得できません。
コストは当然受益者が負担しないと、公正な取引とはいいません。
もっともその場合の、「受益者」が、クジラを捕る水産業者なのか、それを食べる人なのか、「権益確保」した結果-例えば鉱産資源だったら採掘に係わる鉱山会社なのかという差があるにしても、これらの利害関係者が直接的に負担することで、事業の公正さが保てます。そこに政府……というより、税金を投入するのは、私企業に対する不当な補助にあたる、というのが私の判断です。

それと、根本的な問題として、
食糧供給手段として、南氷洋のクジラに期待するのは、ケタ外れな期待過剰です。
次ぎに、捕鯨を継続して行うことで、この海域での権益確保を狙うとのことですが、
それなら、例えば鉱産資源の採掘権を最初から主張すればいいのであって、クジラ(捕鯨業界)を巻き込む必要がありません。そのために採算割れの事業を強いるのも気の毒ですし、関係しないことで殺されるクジラもそれこそかわいそうです。
さらに、南氷洋で、日本が正統な権益を築くことも無理と考えてます。南極条約で保留状態になっているとはいえ、南極条約を結ぶ前の時点で、すでに領有権を主張する国で溢れています。
一方で、日本が南極に関して領有権を主張できる根拠は、白瀬隊の探査くらいだと思われます……が残念ながらこれは、海氷の上です(大陸の上まで行けなかったのです)。
と考えると、深入りは無用でしょう。
【2009/03/09 23:05】 URL | デルタ #- [ 編集]


デルタさん、レスがおそくなりスミマセン。
デルタさんの論旨に頷けるところもあるのですが、やはり反論すべきところもありますので再度コメントいたします。

>当時の状況からいって、サンクチュアリ化はあたりまえと思っています。

「あたりまえ」ではないと思います。
当時からIWCの科学委員会は、このサンクチュアリ化に「科学的根拠」を認めてはいませんでした。科学委員会から科学的助言の無いまま、一方的にサンクチュアリ化された経緯をご存じないのでしょうか?

>食糧供給手段として、南氷洋のクジラに期待するのは、ケタ外れな期待過剰です。

むろん、クジラで全て代替できるなどと考えてはいません。
食の供給手段の多様化として有効な手段だと主張しているだけです。
代替手段を確保することで食の安全性や交渉力を高めることができるのは至極当たり前な考えだと思いますが。

>捕鯨を継続して行うことで、この海域での権益確保を狙うとのことですが、それなら、例えば鉱産資源の採掘権を最初から主張すればいいのであって、クジラ(捕鯨業界)を巻き込む必要がありません。

そういうことを主張しているわけではありません。
私は欧米の論理に従って、調査捕鯨を諦めれば、将来永久的に南氷洋で獲る事が断たれるかもしれないという恐れを抱いているのです。
捕鯨にかこつけて、他の権益を狙っているわけではありませんし、実際日本にそのような意図はないでしょう。

>「国民」がなぜおわなければならないか。というのが、私には納得できません。

権益確保の為なら、ある程度のコストは背負ってもよいと思います。
そもそも、なんでもすべて受益者負担で済ませられるでしょうか?
その論理を突き詰めれば、一切産業育成・保護ということが出来なくなります。
(リバタリアンにとってはそのほうが理想かもしれませんけど…)

もちろん、そのコストが適正であるかどうかは、慎重に判断する必要があるとは思いますが…。
(その点において、SSの行為は判断を誤らせる可能性があると思います。何しろあそこまでやられれば普通の日本人なら反発するでしょうし。今は冷静な論議ができない状況かもしれませんね)
【2009/03/16 00:23】 URL | 一知半解 #f2BEFQoE [ 編集]

Re: タイトルなし
一知半解さん、こんにちは。

>IWCの科学委員会は、このサンクチュアリ化に「科学的根拠」を認めてはいませんでした。このときの理屈は、すでに禁猟になっているのだから、聖域に設定する必要がかならずしもない、という主張だったと記憶しています。

私はリバタリアンだから国策事業に反対しているのでなく、
国策である事業を奨励した場合に、ろくでもないバブルが起きてしまうのを、目の前で見ているために、リバタリアンとなったという経緯です。
ITバブルの端緒のころ、扇千景さんが「アタクシは~」を連発し、光ファイバー敷設事業を国策で急がせたために、国内のファイバー生産会社(古河電工とか)に供給義務を負わされ、事業が止んだ途端、過剰設備のためにそれらの会社が倒産しかかった……そんな光景を見たのですもん。オカミは、見栄えする事業には熱心ですが、終わればあとは知らず存ぜずですからねぇ(捕鯨も、同じ構造があるのを、後述します)

クジラを捕ること自体は、もう枯れた事業(新規の技術開発を要しない事業)ですし、今後捕鯨自体にお金をかけたからといって、捕れるクジラの頭数が増えるわけでもないでしょう。(海洋汚染を浄化して……というところから根本的なところから着手するなら、非常に意義深いですが、それはもはや「捕鯨を推進するための公共事業」ではないですよね)
技術的に枯れた、しかも採算性の非常に悪い産業に、なぜ固執するのでしょうか。
食の多様性ということでしたら、
羊や馬の畜産へお金をつぎ込むほうが現実的でしょう(どちらも、日本国内で、クジラの肉より沢山食べられています)。あるいは、ソバや稗の栽培奨励に、同じ100億円単位のお金をかけてもいいでしょう……と書くと、非常にナンセンスに見えることでしょうね。

それほどに、バランスを欠いた論法に陥ってしまっているのです。
過去のマスコミの論調を見ていると、、SSのことがなくても、日本の「世論」と言われるものは、この種の冷静さを完全に失っていました。「南氷洋での捕鯨」という”聖域”を20年前に心理的に作っているとさえ思います。
現に、IWCの管理対象にならない種については、近海での捕鯨をしているのですから。誰からも公に非難されることなく、嗜好品として十分な量を捕獲できているというのに、
この地場産業を保護・育成することなく、勇ましく響く「公海での捕鯨」に固執しているのでは、むしろ在来の沿岸捕鯨産業に失礼でもあるでしょう。
(前の総会では、公海での調査捕鯨を続けるために、近海捕鯨の停止を取引材料に日本政府が使ったくらいです。一体どうしたいのか、と考えてしまいます)
【2009/03/18 21:41】 URL | デルタ #- [ 編集]


デルタさん、こんばんは。

今回、やり取りしていて確かに冷静な議論が出来なくなっているという点については、同意です。
確かに、私自身SSに対する悪感情が捨てきれないということもあり、感情的なことが判断に影響しているのを否定できません。
冷静にメリット・デメリットを計算できない状態なのかも知れませんね。

ただ、欧米の腹黒いやり方を見ていると、日本の対応というものも、あまりに裏表無さすぎるような気もしてなりませんが…。
人種偏見や、世論操作の具にされてしまった捕鯨問題に対して割り切れない思いを抱いてしまいます。
【2009/03/21 22:59】 URL | 一知半解 #f2BEFQoE [ 編集]

コメントありがとうございます
一知半解さん
たぶん、業者の方自身は、もっと深刻な問題として、水産業……捕鯨も含めてですが……の行く末の、利益確保を考えておられることでしょうから、
外野が騒ぎすぎるのは、確かにオカシイですね(汗)

欧米が腹黒いかどうかは、いわば観測理論の問題があるので(笑)
それぞれの判断ということで……。
【2009/03/28 12:13】 URL | デルタ #JnoDGgPo [ 編集]


さて、とりあえずkknekoさんと懇意になさってるブロガーさんとその閲覧者の方達にだけ御知らせしておきます。

ttp://suisantaikoku.cocolog-nifty.com/genyounissi/2010/01/janjan-no-3f7e.html?cid=41301870#comment-41301870

kkneko氏の「鯨肉は環境負荷最悪の食材」などという吹聴は完全に根拠の無い妄言だという事が科学的ソースによって証明された事を示しましたところ、氏は一切の反論を諦められたようです。
YAHOO掲示板等、公共のBBSで反論する事もしない、と

捕鯨船団の空調・冷凍設備に関するLCAについてもナニやらゴネておられたようですが、それらは基本畜産飼料海運船舶に於いても同様であります。
飼料運搬船舶に於けるそれを畜肉生産LCAに加えようとはなさいませんのに、捕鯨船団のそれのみに「鯨研は数字を出せ!!」と息巻いておられます様子を見た時点で気付かなければいけない事ではありますが・・・w
【2010/01/26 17:36】 URL | toripan #- [ 編集]

狩猟と牧畜
toripanさん、情報ありがとうございます。

けれど、
牛肉にくらべてクジラ肉は、食肉になるまでの消費エネルギーが小さい
というのは、私には当たり前に思えるのですが(爆)

クジラと牛とを、生産セクターでの消費エネルギーを現状で公平に比較するには、
クジラを家畜の牛なみに増やして、同じ程度供給できる状態を作ってからでないと比較になりません。
おそらく、食肉牛と同程度までクジラを自然に増やすことは恐らく不可能でしょうし、仮に出来るとすれば、クジラを養殖するよりない。
クジラの養殖・肥育(つまり狩猟から畜産へ切り替える)することでの、エネルギー消費、私には想像もつかないですが、うまくやっても牛並にできればいいところでないでしょうか。

ともかく、産業の規模や仕組みが違う2つの業種を、このような比較にかけること自体がナンセンス、と考えます。
たとえていうなら、風力発電と火力発電とを、二酸化炭素排出量で比較するのと、同等の無理があります。
【2010/01/28 23:16】 URL | デルタ #- [ 編集]

kkneko氏に関する続報です。
以前もkkneko氏の件でお邪魔しましたtoripanです。

デルタ様。

>もかく、産業の規模や仕組みが違う2つの業種を、このような比較にかけること自体がナンセンス、と考えます。

それを「鯨肉の環境負荷は最悪」と言いながら「牛肉はコレまでどおり食って良し」と仰ってるのがkkneko様ですので・・・
問題はその比較が愛護反捕鯨である氏の恣意によって歪められてる、という事です。

kkneko氏がこの件についてネット中に嘘を撒き散らしていたので私が「それは嘘だよ」と訂正してして回った所、この度、kkneko氏が私toripanを告訴に踏み切られるんだそうで↓

ttp://kkneko.sblo.jp/article/35211430.html

ttp://messages.yahoo.co.jp/bbs?action=m&board=1834578&tid=a45a4a2a1aabdt7afa1aaja7dfldbja4c0a1aa&sid=1834578&mid=41937

私がkkneko氏関連でやった事といえば、

・カメクジラネコ氏が嘘・出鱈目で事実を歪め、誤魔化して捕鯨・鯨肉の悪宣伝をしている、という事を「客観的証拠に基いて否定した」・「一般のネットユーザー・第三者に向けた氏の嘘を覆し、事実を伝えた」

というネットユーザー・市民として極アタリマエの行為だけ、ですので告訴事由が全く不明なんですけれど・・・w

とりあえず反訴の為の準備としてkkneko氏が如何に嘘出鱈目と誤魔化しで捕鯨の悪宣伝をしてるのか、という証拠固めを済ませましたのでココにまとめて御知らせしておきます♪

先ずはkkneko氏自身から事実無根の信用毀損/業務妨害罪に抵触する発言があった事↓

ttp://messages.yahoo.co.jp/bbs?action=m&board=1834578&tid=a45a4a2a1aabdt7afa1aaja7dfldbja4c0a1aa&sid=1834578&mid=41754

そしてこれは単なる一例に過ぎませんが、氏が一ブロガーの書いた短い記事に癇癪を起こし、攻撃的な口調で非常に悪辣なコメントを残した事↓

ttp://messages.yahoo.co.jp/bbs?action=m&board=1834578&tid=a45a4a2a1aabdt7afa1aaja7dfldbja4c0a1aa&sid=1834578&mid=41169

実はココからが本題なんですが、kkneko氏が鯨肉生産の環境負荷だけを不当に高く見積もり、逆に比較対照である牛肉LCAを小さく見せかけるような嘘と誤魔化しをネット中に撒き散らしておりましたので、氏のまやかし㌧でもブログ記事・嘘で固めた捕鯨悪宣伝を各論逐一全て覆してあります↓。

http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&action=m&board=552019607&tid=ja7dfa4ha5afa58a5ijdd8n&sid=552019607&mid=62970

↑の投稿から全18投稿分で氏の「鯨肉はエコじゃない」を事細かに潰しましてみました♪
↓はその概略です。

http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&action=m&board=1834578&tid=a45a4a2a1aabdt7afa1aaja7dfldbja4c0a1aa&sid=1834578&mid=41948
(↑とその次の投稿まで)

私側からの反訴の材料として、

・カメクジラネコ氏が嘘・出鱈目で事実を歪め、誤魔化して捕鯨・鯨肉の悪宣伝をしている、という事を「客観的証拠に基いて否定した」・「一般のネットユーザー・第三者に向けた氏の嘘を覆し、事実を伝えた」

という事を証明する証拠はこれで一通り揃ったかと思いますが、嘘を告発し、正しい事実を第三者に伝えようとした私を、嘘を撒き散らした張本人、kkneko氏が告訴する、というのは非常に面白い構図かと思います・・・w

捕鯨問題に関しては愛護反捕鯨さん達による嘘出鱈目が罷り通ってる現状がありますので、今回の裁判沙汰の背景にあるその様な『膿』の存在を広く知らしめ、健全な方向へ導く一助にしたいと思っております。

この「告発の行方」に御期待下さいw
【2010/02/12 19:06】 URL | toripan #- [ 編集]

toripanさんへ
コメントありがとうございます。

ま、彼の細かな間違いは、それとして。
私が、上に書いた考えについては、どうお考えですか。
カメクジラネコさんの論法だけが、「調査捕鯨に反対」する際の話の進め方でないですから。
私のいう、
野生動物に関する「自由」論からの観点
経営学(?)的な観点、
あるいは、そこから派生してくる「投入エネルギー対製品アウトプットの効率」の観点で、捕鯨を拡大させることは、競争力として疑問がある(だから、「商業捕鯨を再開するための準備」と言う限り、調査捕鯨は「無駄」となる)という意見については、どう反論されるのですか?
【2010/02/14 12:16】 URL | デルタ #JnoDGgPo [ 編集]

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【2010/02/16 02:20】 | # [ 編集]

てすと
スミマセン、トラブルがあったので投稿できるかてすとしてみます。

本文に対する返答は後程・・・
【2010/02/22 20:41】 URL | toripan #- [ 編集]


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