ほしあかりをさがせ
山登り・サイクリング・星見・石仏探し 本命は何なのか、出たとこ勝負で行ってみましょう
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デルタ

Author:デルタ
四十才代、三重北勢在住の技術者です。ちょっとだけ営業マンもしてました。
ネット上では、磨崖仏の研究家としてごく一部の人から認知されてる(らしい)。磨崖仏・星見・歴史小説創作については、本館のHPを見て下され。

他の任務:東洋的リバアタリアニズムの確立。
       日本まんなか共和国 勝手に観光大使

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侍ジャパン
私だけの偏見だろうか。

日本代表の野球選手たちを、侍と呼ぶのは、実体からかけ離れていると感じるのは。
侍、それもとりわけ、あの種の”武芸”で身を立てた侍の典型例は、宮本武蔵、塚原ト伝、夢想権之介、まああとは柳生但馬守が典型例だろうか。
これらの人を思い浮かべると、その年収は、今の貨幣価値でいったらどの程度だったろうか。夢想権之介は確か蔵米をもらっている立場で、5人扶持程度だから、せいぜい中流サラリーマン程度の年収だといえよう。武蔵にしても、細川侯に遣えた最晩年でさえ蔵米をもらっていたはずだ(7人扶持+300石)。まあ5000万円から6000万円といったところか。待遇こそ家老職待遇だったとはいえ、武芸だけで稼げる年収というのは、この程度のものだった。
豪族出身で、ある意味武芸者としてはサラブレッドの柳生但馬守にしても、柳生家としては1万石の所領を拝領していたけれど、いわば奈良市の一部を束ねる程度の大名家だから、個人としての実収入は今でいうと3億円に乗ったかどうかだろう。

それに対して、今の侍たちは……。
いうだけヤボだというものか。
収入からいうと、人よっては室町時代の小国の守護大名に匹敵するひとも居る。
だから、かれらは、お大名様ジャパンなのであって、侍と呼ぶのは失礼にあたるだろう(笑)。
侍というのは、とりわけ武芸者たちは、大抵のひとは末路がアワレなものだったし、成功者にしても、自分をもっとも高く売れるときを見定めて仕官しても、今の中流家庭を営める程度だったのが実体だ。

などと思いつつ、この夜は、名古屋駅前の宮本むなしで飯を喰らった。
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テーマ:WBC - ジャンル:スポーツ

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