ほしあかりをさがせ
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デルタ

Author:デルタ
四十才代、三重北勢在住の技術者です。ちょっとだけ営業マンもしてました。
ネット上では、磨崖仏の研究家としてごく一部の人から認知されてる(らしい)。磨崖仏・星見・歴史小説創作については、本館のHPを見て下され。

他の任務:東洋的リバアタリアニズムの確立。
       日本まんなか共和国 勝手に観光大使

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続・死とはひたすら悲しいものなのです
死刑判決が最近増えた、というより、死刑求刑自体がかなり増えたのかも知れないですね。
今日も、闇サイト事件の判決が出ました。
「被告に謝罪や反省のカケラも見えない」
と見なし、死刑が検察からも、遺族からも、裁判官からも、死刑が肯定されました。
刑事裁判で、「謝罪」や「反省の弁」を求めるのは、本来変ですよね。犯して”しまった”(完了過去形)罪への罰を定める場なのですから、井上薫サンじゃないけれど、今どう考えているかは「裁判に関係しない余計なこと」であるはずです。
謝罪……、刑事裁判の最中に「謝罪」したところで、それは言葉以上に示しようがありません。誠意が見えるはずだ……、と考える方もいるかも知れませんが、数々の薬害民事訴訟の経緯を見るまでもなく、言葉だけでは、「しょせん上辺だけだ」と被害者に受け入れてもらえないものなのです。
本当の謝罪の機会があるとすれば、民事訴訟でないのかと思うのです。
被害への実質を伴う”償い”、予防措置……、そんな色々の「実質」が伴うことで、謝罪に対する納得性が、高くなっていくことでしょう。

とにかく、
法秩序が問答無用に”死刑という場”へ完全な隔離することを要求するために、民事解決の可能性すら閉ざされた結果(※)、
遺族が、「三人ともが死刑にならないことが無念でなりません」と行って仕舞わざるを得ない現状は、私には悲しいし、社会のありかたとして不健全ですし、さらには、遺族にも救いがありません。

(※この1行のみ、3/20追加)
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テーマ:死刑 - ジャンル:政治・経済

この記事に対するコメント
哀れなあなたへ
死刑制度に反対する者の一人として教えてあげます

>刑事裁判で、「謝罪」や「反省の弁」を求めるのは、本来変
 刑法の理念を知らないとその通りでしょう、しかし刑法が基本的には犯罪者も反省し共に法を守って社会秩序を守っていくことを期待しているためこうなるのです。即ち犯罪者も裁判の過程で、裁判所の示す秩序にひれ伏し、後悔し、反省し、行動をあたらめることが期待されている。その表れが謝罪や反省の弁と受け取られている訳です。

>今どう考えているかは「裁判に関係しない余計なこと」
 上記から「今考えている事」が大事になってくる。即ち反省の兆候がない被告は再犯を犯す可能性が高いと判断され、より反省を求めるべく重い刑罰を与える傾向にある。一方すっかり反省したと見える被告にはすでに社会秩序を守る姿勢は明確で、これ以上処罰する必要はない、従って刑罰は軽くてよい、と判断されるわけです。

>遺族にも救いがありません。
 あなたは2つの点で間違っています。
(1)これは某所にも書きましたが、刑法は遺族のためにあるのではありません。刑法は復讐を禁じており、遺族は法的には基本的に被告に刑罰を求める立場にはないのです。刑法の理念は社会秩序の維持にあり刑罰はそれを維持するためにあるのです。それをまず理解すべきです。

(2)その上で「遺族にとって何が救いか」であなたは完全に間違っています。遺族が損害賠償などの保障を受けることは必要でしょう、また加害者がそれなりの処罰をうけることが精神的にも必要でしょう。その処罰は遺族のおかれた立場が社会的にも同情されるべきものであり、遺族と加害者との関係を明確にするからです。

 しかし処罰は遺族が満足する量刑である必要はありませんし、又そうすべきではありません。なぜなら殺人事件の遺族の精神的な回復(いかに幸福に近づくか)は加害者の量刑とは基本的に関係ないからです。これは心理臨床的な研究成果から言えることです。即ち犯罪被害者など悲惨な体験者のその後の精神的安定性・回復度合いは、遺族がその事態をどう受け入れて生きていけるかという、遺族自身の精神的成長にあり、加害者が重い罰を受ければそれで救われるという、図式的なものではないからです。

簡単に言って遺族の精神的幸福は事件をいかに順調に忘れていけるか(忘れたふりをしても差し支えないようになるか)にあるのです。関心のない人、酷い目にあった事のない人にはわかりにくいでしょうが、過去の悲惨な体験を毎日思い出しそれに向かい合うのではなく、一定の喪の作業をした上で、それを内包したまま普通に生活できるようになる事がこうした悲惨な体験をした方の精神的安らぎなのですよ。

ここで遺族がメディアへ露出して、加害者へ重罪を要求したり量刑にこだわったりする事は、遺族にその事件を決定的に印象づけ、忘れづらくさせることになり、むしろ弊害の可能性が大きいと私は危惧しています。


>現状は、私には悲しいし、社会のありかたとして不健全
 上記から私も現状の社会にあり方が不健全であると思います。簡単に言ってメディアは極刑を煽りすぎです、又あなたのような、何も知らない方(多くの方が実際何も知らないのですが)がそれに乗っかって騒ぎすぎです。そしてそれらが結局、当事者全て、遺族も被告も、双方にとって不幸な結果しか招かないように推測されるので大変悲しいです。

 私から見てあなたも哀れです。なぜなら、あなたがこうして極刑を要求し、ニュースの上の抽象的な人間とはいえ、他人の不幸を願ったことが、今後あなた自身の不幸にしかならないと思うからです。私の書いた事を冷静になって読むべきです。もし疑問があれば必要ならお答えしましょう。
【2009/03/19 19:34】 URL | machiko #mQop/nM. [ 編集]

machikoさんへ
さて、困りました。どうお答えを返したものでしょうか。
ネットで書き物をするようになって15年以上、ここまで困った事態ははじめてです。
もちろん、勘違いされるような文章を書く私の未熟さにも問題あるのだけど、
同じ死刑廃止論者の方に、こうも頭ごなしなコメントされますと、
ストレートな答えを返すのも、どうかなと思うので、
ちょっと変化球投げてみますね。

以下、沙村広明さんの「無限の住人」からの引用です。
「あなたの復讐のために今まで何人の人が死にました?」(槙絵)
「人を……人を殺すのが正しいだなんて思いません。 でも……他人をキズつけずに生きていけるほど器用じゃないし……。大義名分を振りかざして残虐になるくらいなら……肉親のために手を汚すほうがよほど人間らしい。あたし ま……間違ってるでしょうか」(凛)

結局、死刑を望む人たちに一番欠けているのは、
この槙絵さんのセリフを投げかける人なのでしょうね。
これ以前は凛は、「お前だけはこの身を鬼に喰わせてでも殺す」とか言ってましたから。
【2009/03/20 12:18】 URL | デルタ #JnoDGgPo [ 編集]


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