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ほしあかりをさがせ
山登り・サイクリング・星見・石仏探し 本命は何なのか、出たとこ勝負で行ってみましょう
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デルタ

Author:デルタ
四十才代、三重北勢在住の技術者です。ちょっとだけ営業マンもしてました。
ネット上では、磨崖仏の研究家としてごく一部の人から認知されてる(らしい)。磨崖仏・星見・歴史小説創作については、本館のHPを見て下され。

他の任務:東洋的リバアタリアニズムの確立。
       日本まんなか共和国 勝手に観光大使

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「中抜き=産消協働」の思想
四条大宮のホテルにて。久しぶりにTVの放送をみる(爆)「ブロードキャスター」でアメリカ産牛肉の報道を。
向うにも、完全処理をやる能力と意気込みがある業者さんもあるのだという。そこの社長さんにインタビューしていた。
なんでも、同業者組合からのお達しで抜け駆けができないのだと答えていた。
70年代の生協運動の全盛期、僕の親が生協の活動に係わっていたから、こういう話を聞くと、どうしても間抜けに見える。

それなら、この業者さんと直接契約を結んで共同購入すればいいんだよ
USAにもこういう取引形態がよくあるハズだし理解してもらえるだろう(というより、向うの方が本場だった記憶がある)。

その業者さんが、同業者さん圧力を掛けられるのを怖れているなら、その業者さんのお肉を全部買うという契約でもいい。量からいって問題ないだろう。
いまや、……消費者側も、生産者側も、こういう「努力」をおろそかにしているのでは?買い付けでの信頼関係作りを面倒がって、お互いに政府を代理人に立ててごり押ししようとする。だからメンツの張り合いになって膠着状態になったり、他の政治問題との交換条件に使われるとするのだから、何をかいわんや、だ。

確認しておこう。
政府だけが、食の安全を保証できる機関なのではない。

恰幅の良い牧場主の顔写真と「オレのところで手塩に掛けて天然飼料だけで育てた牛だよ、安心してくんな」とのコメントが入ったステッカーのある牛肉パックを、例えば生協のお店が売る(別にチェーンスーパーでもいい)。僕は、そういう「産地直送」的な流通を期待しているわけなのだ。

20年前ならこういう発想が、……少なくとも発想だけでも自然に出てきたはずだ。
なのに、ブロードキャスターのコメンテータをはじめとして、この手の提案が皆無。非常に不思議だ。
いつの間にか、世の中が硬直化している。
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テーマ:米国産牛肉BSE問題 - ジャンル:政治・経済

この記事に対するコメント
コメントありがとうございます。
私のブログ記事にコメント頂きありがとうございました。
結局、私の言いたかったことは、全てのことに対して、皆、外側の責任にしてしまうということです。文句があるのなら、全部自分でやればいいし、人にやらせているのなら、一切自己責任にするという姿勢がなければ、議論や口論、喧嘩や殺人や戦争はなくならないということが言いたかったのです。
究極、死に対する恐れを解消しなければ、肉体の保全を考えますので、それを維持するために行動選択をすることになる。だから肉体保全をたぐれば、人を支配コントロールできる。それを判っていて、その上で奴隷になるのは嫌といっているから、いつまでたっても外側の責任追求を続けることになってしまうんだと思います。
自分で奴隷に甘んじていて、自由な世を求めている姿勢では、絶対に自由な世にはならないし、他人の責任を追求する姿勢があるならば、他人を束縛することになるから、これもまた、自由な世にはならない。
求めている自由な世界を実現するなら、まず、自分が全ての責任を負うこと、肉体の死というものへの恐れがないこと、この条件をクリヤーしなければ論理的にも有り得ないと思います。
限定された自由というのは、自由ではないと思うのですが・・・・・。
【2006/07/07 05:12】 URL | 鏡マコト #- [ 編集]

えっと、状況整理から(汗)
鏡マコトさん、来訪ありがとうございます。

上の書き込み、ここのみ読んでいる方には唐突なので、まず、状況整理をさせてください。
====
鏡さんのBLOGで、
『狂牛病をめぐって、消費者,生産者,政府ともに他人へ責任転嫁して「外側からの安全保障」を求めてばかりいる』ことを批判された記事がありました(私なりの要約)
http://minakata100.blog68.fc2.com/blog-entry-5.html#comment1

それを受け、私がコメントしまして、
概ね上の記事と同じようなことを書き込みました、
鏡さんのここのコメントは、私のコメントを受けてのものです。
===
さて、と。コメント読みまして以来3日、いろんなことを考えました。
「自由」の定義に関わる、かなり難しい問題提起と私は感じます。

自分の意見をまだまとめられてませんので、論点をまず整理いたしました。
(1)自由の範囲:本当に「自分で判断を下す」ことのみが、「自由」かどうか。微妙に意見が分かれる点だと思います。例えば、「信託」という契約形態があります。対等な立場で自由意志に基づき信託契約を結ぶ場合は、自由と呼ぶにふさわしいか。

(2)自身で責任を負えない問題に対する選択について
特に子供のころは、将来を予測する智恵のないまま、選択を迫られます。多くの場合は親権者が代わりに判断するのでしょうけれど、些細だけど将来に大きく影響する判断てままありますよね?、駄菓子屋さんで添加物やら着色料のいっぱい入ったお菓子を、お小遣いで買い食いしたものですが(爆)、この報いである…腎機能の低下や味覚障害やらを、「自己責任」と引き受ける潔さを、我々自身が持てるかどうか?仮に「自己責任」と受け入れても、「リスクを取った反映として、予期した結果の一つだから」と受け入れたのでなく(これが自己責任の定義)、「諦め」でしかないかなと考えます。
(文面をお読みしたところ私と同年配の方とお見受けしたので、こんな例を出してみました)

3.『肉体保全をたぐれば、人を支配コントロールできる』との考え方について
正直、鏡さんが意図されていることを読みとれているか自信ありません。だから、とんちんかんなことを申したら、修正願います。

肉体に危害が及ぶ状況での選択は、そもそも「自由意志に基づく選択」といいません。肉体の保全するのは、行動原理の最初のしかも逃れ得ない前提であるからです。
コミュニティーや、国家に正当な存在意義があるとすれば、この「肉体に危害が及ぶ状況で選択を強いる」ことを防ぐ役割を期待しているのが大きいと思います。(それらの「POWER」が多重構造になっているのは、保護すべき「POWER」が誰かへ「肉体に危害が及ぶ状況での選択」を強いた場合の、避難先と期待されるからでしょうね)

以下、鏡さん、コメントよろしくお願いします。

また割り込み歓迎です>ALL
【2006/07/10 21:58】 URL | デルタ #JnoDGgPo [ 編集]

そうなんですね
勉強になりました。ヤフーからきました。コメントさせて頂きました。
【2008/11/06 16:05】 URL | sayaki #- [ 編集]


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