ほしあかりをさがせ
山登り・サイクリング・星見・石仏探し 本命は何なのか、出たとこ勝負で行ってみましょう
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デルタ

Author:デルタ
四十才代、三重北勢在住の技術者です。ちょっとだけ営業マンもしてました。
ネット上では、磨崖仏の研究家としてごく一部の人から認知されてる(らしい)。磨崖仏・星見・歴史小説創作については、本館のHPを見て下され。

他の任務:東洋的リバアタリアニズムの確立。
       日本まんなか共和国 勝手に観光大使

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「自由」開港地……(磨崖仏またも海を渡る都市列伝Incheon編)
最初にお断り。
この項目は、映画「子猫をお願い」を見た人でないと、理解不能な文が含まれてます


ここIncheonには、中国へのフェリーが発着するフェリーターミナルがある。
丹東、営口、大連、秦皇島、天津、煙台、威海、石島、青島、連雲港……
東北地方を中心に12都市に向かって航路が延びている。
こんなにも航路が……

夕刻が迫り、翌朝中国の港に着く船が出る時間帯に、フェリーターミナルを訪れた。TaehwiJionがサウナのチラシを配りに行ったものの、人混みに飲まれてしまうあの場所だ……と書きたいところだけど、建物が建て代わっていて、構内もずいぶん広く明るくなっていた。2万トンクラスのフェリーが出航したあとなのに、次の便を待つ人たちが100人以上、椅子に座って出国手続きを待っていた。段ボール箱を括りつけてある買い物に使うようなカートへ片手を掛け、にらむような視線で辺りを見るおばさん、3人ほどでコップ酒を立ったまま呷るおじさんたち。国外に出るという緊張感が、どうも感じられないのが面白い。

中華街は、できたてという感じを免れない。華人街としては古いのだろうけれど、商店街としてはここ数年で新しいお店ができたという感じ。Inchen駅から登ってきた入り口には、チャジャンミョン発祥の地と記念した碑があったりして、観光地と化している。月餅だの饅頭だのと店先で売っているのを、皆買っていて、何も口に含んでいないのは私だけ、というような状況。なんだか悔しく、月餅を1個買う。W1000也(月餅なんて、韓国語でどういうか知らないので、「イゴ、ハナジュセヨ」で押し通す私)。
工芸品屋さんも何軒かある。店先にはW3000の中国風刺しゅう入りの札入れなんかが置いてあるけれど、中に入ると、W100000を越える高級工芸品をケースにも入れず平然と並べている(苦笑)。さすがに観光客のみなさんも、へーと眺めているだけ。
中華街夕景

さらに自由公園の方へ登っていくと、三国志を題材にした壁画が、派手に施されていた。

いっぽう、レトロな建物も保存・公開している。こんなところも、横浜そっくりだけど、どうもチャチなのだ。規模がというより、建物の大きさが。第一銀行の支店として造られ、後に朝鮮銀行(*1)の仁川支店になった間口の広い建物も平屋建で、とても職人地時代の発券銀行の支店と思えないのだ。(ただし屋根だけ立派!このアンバランスさは何だろう)



植民地での経済体制が「銀行」という機関を現地に必要としなかったから、と考えるしかない(実際、銀行なんかより東洋拓殖会社の方が圧倒的な資産を持っていたのだし)。
なんというのか、無理矢理取って付けたような「近代化」だった様子が伺えるのだ。生活感がないというのか……。
映画にも、華僑3世と思われる双子(ピリュオンジョ)がこの界隈のお祖父さんを訪ねるシーンがあるのだけど、ほんとうに質素なコンクリートブロック造りの長屋(*2)の一室に閉じこもって、孫娘たちを迎えようともしない。華やかさとはほど遠い、慎ましい貿易港の労働者や小商いの商人たちの世界が、この一角に広がっていたのでなかったのだろうか。
 脈絡もなく、同じ開港地横浜に生まれ育った谷山浩子サンが、85年頃エッセイに書いていたことを思い出す。
--このごろの横浜は、よそ行きでキレイになりすぎたように思う。昔は、アパッパ着たおばさんがウロウロしていたけど、ああいう光景のほうが横浜らしい……
たぶんこういう光景のほうが、港町らしいのだろうな。
引込線

(写真は、Incheon市内第一埠頭への引込線)

確かに、にぎやかな方がいい。寂れる港町なんてそれこそ真っ平な光景だ。だから経済的に自由な試みでどんどん上書されていって、繁栄へ向かうのが理想だろう。今のような「無秩序」が、中間にあるにしても。
けれど、……やっぱり無理矢理は、長続きしないんだよな、
3棟残った銀行の近代建物群をカメラに収めながら、考え込んでしまう。(*3)
旧朝鮮銀行の建物 レトロ界隈(むかしの日本人街)



これらの近代建築のうち、まんなかの1つが内部公開されている。一応日本人と判ったのだろう(爆)日本語のパンフレットを渡され、簡単な展示館となっている内部に入った。子供の日らしく近郊から来た家族連れでいっぱいだった。

時間の経過とともに、古いものも新しいものも、新たな意味を持ち、「新しく」なっていくのだろう。
そんな変化のなか、約10年前の大不況でキヅついた世代も、新しい生活の場を得ていける、のだろう、そう信じたい。

--チオン、どう過ごしてる?連絡ちょうだいよね?
(映画「子猫をお願い」でTaehwiがJionに送ったショートメッセージより)

(*1)さらに終戦後、資産を「内地」へ引き上げて(というのか勝手に持ち出して)出来た銀行が旧長銀だったりする。
(*2)中華街界隈にロケ地らしい場所を探したのだけど、取り壊されて更地になっていました。
(*3)旧植民地時代の建物で唯一現役なのが、少し離れた場所にある郵便局。こちらは今でも「中央郵便局」として立派に役目を果たしている大きなもの。やはり建物は現役で使われているのを見るとほっとします。

おまけ。
これは、”子猫”マニアでもレアな写真だろうから、おまけで掲載。
あの5人が卒業したことになっている、「インチョン女子商業高校」です。第一国際フェリーターミナルの真向かいの丘の上にありました。
5人の母校

……どうでもいい?
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