ほしあかりをさがせ
山登り・サイクリング・星見・石仏探し 本命は何なのか、出たとこ勝負で行ってみましょう
プロフィール

デルタ

Author:デルタ
四十才代、三重北勢在住の技術者です。ちょっとだけ営業マンもしてました。
ネット上では、磨崖仏の研究家としてごく一部の人から認知されてる(らしい)。磨崖仏・星見・歴史小説創作については、本館のHPを見て下され。

他の任務:東洋的リバアタリアニズムの確立。
       日本まんなか共和国 勝手に観光大使

最近の記事

最近のコメント

最近のトラックバック

月別アーカイブ

カテゴリー

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

自動WEBサイト翻訳(多言語)

ブログ内検索

RSSフィード

リンク

このブログをリンクに追加する

スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

死ヲ司ル社会-死への社会的要請と法-(序章)
今日、臓器移植法案の改正案が衆議院を通った。
いわゆるA案という案が過半数の賛成を得たと聞き、いろんな感慨を持ったが、今日はそれを書かない。

実は、A案の中にある、
「15歳以下の人についても、本人の意志表示のありなしにかかわらず、家族の申し出によりドナーとできうる」
という一文を見たとき、
リバタリアンとして、根本命題を突きつけられた、と焦っていたのだ。

焦りながらも、これらの法案が採決に入る前までに、何かをリバタリアン的な見解を自分なりにまとめたい、と思った、が、あまりに広がりのある問題なので、とうていまとめきれず今日が来てしまった。

今日は、とりあえず、私がどのような問題意識を持っているか、を紹介しておきたい。

一言でまとめると、
「ヒトは、勝手に死ぬことを許されない時があるようだが、
 社会がヒトの死を定めるときには、どのような自制が社会の側に必要なのか
 その合意をどのように作っていくか」

……そんな問題だ。
今回の改正法案A案を見ると判るように、親族に次の「権利」を与えている。

本人の意志とは関わらずに、親族の合議により次の事項を決めてることができる。
 ・いつ死ぬか(死んだ、とするか)
 ・死とは何か
 ・延命措置の打ち切りの可能・不可能の「判断」
 ・死後の「自己」の扱い

A案を社会的な合意としていく上で、次のことがらを前提にしなければ、ならないだろう。
 ・死とはかならずしも自己決定のみで決められる問題でもないこと
 ・(言い換えれば)「死」が社会によって規定されていく

そんな事実を突きつけられ、
今まで、私がリバタリアンとしてどうも引っかかっていた、「国(正確には行政)」と「個人の死」との関係の問題に同じ図式となっていることに気づいたのだった。

例えば、臓器移植
例えば、医療トリアージ
例えば、死刑
例えば、国防
いずれも、死を単なる「ある個人が生命をなくすこと」とのみ見なさず、
社会的に制約を科して、「死」のありようを法的に規定できる、と前提を置いて決められている。(これを”「死」への社会的要請”と今後呼ぶことにしたい)。


リバタリアンの言葉の原義
「ヒトは、自らの意志決定に基づき、人生を選択しうる存在である」
私は、そう信じたかった
正確にいうと、人間のもつ「社会性」という制約が、個人の人生へ過当に干渉するのに対して、”理性的”反論あるいは”合理的行動”を市場・社会で訴えることによって「逃げ道」を確保しよう、と考えていた。(この内容は、今回の連作記事で、深く書こうと思う)

とすると、先に挙げた”「死」への社会的要請”リバタリアン的な理想状態とが正面からぶつかることになる。
しかし。。。
私だって、リバタリアンであると同時に、ひとりの社会人だし、ひとりの在家仏教信者でもある。そんな多面的な社会的存在が考える内容と、リバタリアンの原則との間で、緊張感を保ちながら、どのような「合意の可能性」があり得るかを探っていきたい。

懺悔するけれど、
いままで「ひとりのリバタリアンとしての見解」をBlogで書くといいながら、世の中でいう「市場原理主義」の擁護と、「温暖化問題という政治的イシューへの疑義」と、あと若干の「自己責任論」や、「リバタリアン的ジェンダー論(フェミニズム論)」くらいしか書いてきていなかった。
それらが、リバタリアンと深く結びついているのは確かなのだけど、正面から、リバタリアンらしい課題を考えていなかった。
ちょっとは、らしいことをしておかないと……。
スポンサーサイト

テーマ:医療と行政 - ジャンル:政治・経済

この記事に対するコメント

この記事に対するコメントの投稿














管理者にだけ表示を許可する


この記事に対するトラックバック
トラックバックURL
→http://hosiakari.blog34.fc2.com/tb.php/741-5aeb8f07
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

命の選択~臓器移植法改正を問う(東京新聞5月26日~30日連載)

1997年に臓器移植法は制定され、3年の見直し規定があるにもかかわらず、一度も改正されたことがありません。ところが、今国会において... Because It's There【2009/06/19 23:12】

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。