ほしあかりをさがせ
山登り・サイクリング・星見・石仏探し 本命は何なのか、出たとこ勝負で行ってみましょう
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デルタ

Author:デルタ
四十才代、三重北勢在住の技術者です。ちょっとだけ営業マンもしてました。
ネット上では、磨崖仏の研究家としてごく一部の人から認知されてる(らしい)。磨崖仏・星見・歴史小説創作については、本館のHPを見て下され。

他の任務:東洋的リバアタリアニズムの確立。
       日本まんなか共和国 勝手に観光大使

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映画「劔岳 点の記」(マニアゆえの辛口評)
今週末封切りになった映画「劔岳 点の記」を見てきました。
最初に。
日本の映画って、こういう圧倒的な客観描写で完結させる伝統もあるんですよ、
ということを、世界に向けて知らせたいな、思い、世界レベルにある映画だとは思いました。
ヨーロッパで「おくりびと」や「楢山節考」といった作品の精神性が高く評価され勝ちなのですが、
あえて「思惟」から遠ざかった視点で、
ひたすら「自然」と対峙する、そんな作風も古くからあるんですよ、
その極致がこの作品です、とどーんと世界に打って出て欲しいと、見終わった瞬間には、感じました。

が、何かしっくり来ないのです。
こんな肩が凝るような話だったっけ?
これでは、仮に家でDVD鑑賞するとしても、あまりの「教訓劇」ぶりに、思わず正座して2時間見続けそうな圧迫感があります。
作られた(枝葉を省きすぎた?)物語ゆえに、かえってリアリティーを失っているのです。
夫人が貞淑すぎる、長治郎サンが従順すぎる(原作では、1度だけ怒った表情をつくり口をつぐむシーンがあります。そのシーンは室堂との確執にかかわる部分なので、映画を作る上で問題になるのを避けるため、省かれたのでしょうね……)。
つまり、できすぎた人ばかりになってしまっている……。

その観点でいうと、
私が今まで見た映画の中で、もっとも原作の雰囲気を壊した作品だと思います。
新田次郎は、ヒューマニズムや自然の荘厳さを描くことに執念を絶やさなかった人だと思いますが、そこにだけ注目して映画にしてしまっているのを、残念に思います。
主人公とその奥さんとの間には、言い得ない葛藤があったはずなのです(身の回りの準備に奥さんをかかわらせなかったために、彼女が傷つき無言で部屋を去ったりするシーンが原作にあったはず)、また山岳会との初登頂争いも、結局は彼を含め陸軍参謀本部の独り相撲であったことを、皮肉っぽい筆致で描いていたはずです。
そういうペーソスを含め、地味ながらほろ苦い話であるはず
(山頂で修験者の錫杖の一部が見つかること自体、ほろ苦いお話なのです)
一生懸命すぎるというのでしょうか。
もちろん、物語内の世界もこの映画を撮ることも、一生懸命にやらねば成し遂げられなかった仕事とはわかっています。
けれど、このままでは、単なるヒューマニズム賛美に終わってしまう。
原作が描きたかったところは、もう少し別なところにあったと思うのですが……。

もっと端的な言い方をすると、
新田次郎のエッセイ集を買ったら、本文より、藤原正彦サンによる解説のほうが長かった(爆)、
そんな、一種の肩すかしを食らった思いです。

藤原正彦サンの論調には、明治維新の精神だとか、日本人の美徳だとか、武士道だとか
その種のものが溢れている、
……なんとなく、あの感じへ、この映画が”修正”されて出来上っていると感じたのです。
新田次郎サンは、それらが、ある種建て前であること(自らを律する規範ではありえても、同時にその「規範」が、彼の祖父に象徴される恐怖政治的な家父長制と表裏一体だったこと*1)を明言している。

そんな明治の歪さの現れとして、「八甲田山・死の彷徨」で軍部のありようを皮肉ったり、「芙蓉の人」をあえて野中到本人ではなく、千恵子夫人視点で書き、気象学会の権威主義者と戦わせたりしている。
明治を間接的に知っている父新田次郎の世代から、明治を直接知らない子藤原正彦氏の世代(*2)に物語が引き継がれる時点で、
”明治”のリアリティが薄れってしまった、ということなのかも知れませんが……

”明治”の空気を知っていた著者や読者が、時代をほろ苦く(そして若干批判的に)振り返っている……そんな味わいを残して欲しかったです。
(*1)彼が幼いころ、父方の祖父に些細なことで張り飛ばされたことを、複数のエッセイで書いている。
(*2)この映画の監督木村大作サンも、この映画への協力者としてなを連ねている藤原正彦サンと同世代です

追記
映像の美しさと、長期間のロケ(しかも役者さんが実際に荷物を背負って歩いた!)ことによるリアリティに価値を置く、という映画の作り方には、実は私は賛成だ(そうでなければ、たとえば「SWING GIRLS」を高く評価するのはおかしいでしょう?)
けれど、その観点からすれば、もっと問いただしたい。
「仕事としての山登りの途中で、あんな小難しいことを考えたり、逆に能弁になったりする人がおるか?」と。
だれだって、あんなルートをあれほどの荷物を背負って歩いたら、あるくのがやっと。
むしろ、表情だけで「語り」合うサイレント映画として撮ることで、リアリティーとして完成しただろうと思うし、質感も高まったのでないか、と考えるのだ。
つまり、余計なセリフが多い、とも言える。

(おことわり
 以上の文章は、delta1215名義でYahoo映画に書いたユーザーレビューに加筆したものです)
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