ほしあかりをさがせ
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デルタ

Author:デルタ
四十才代、三重北勢在住の技術者です。ちょっとだけ営業マンもしてました。
ネット上では、磨崖仏の研究家としてごく一部の人から認知されてる(らしい)。磨崖仏・星見・歴史小説創作については、本館のHPを見て下され。

他の任務:東洋的リバアタリアニズムの確立。
       日本まんなか共和国 勝手に観光大使

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「商人がつくる平和」
新疆ウイグル自治区での暴動のニュースを読んで、こんな時間まで起きてしまっている。

お前は、このような人権侵害(迫害)を前にして、そんなつまらないことしか言えないのか、とお叱りを受けるとしても、あえて書きたい。

この種の暴動が起きるたび、なぜかかならず壊されるものがふたつある。
Taxiやバスなどの車両と
商店だ。

今回も、当局発表で、ウルムチのみで203の店舗が破壊されたという。

中国 新疆暴動140人死亡 警官隊と衝突、数百人拘束
7月6日23時37分配信 毎日新聞

商人はそんなに憎いのか
Taxiやバスといった移動手段がそんなに憎いのか
では、なぜ「彼ら」にとって憎いのか?と考えたとき、
ふと思い当たることがあった。

この両者は、実は「武力闘争」にとって、邪魔になる存在
なぜなら「交流」のための手段だからだ。
「交流」は武力闘争を行ううえで、足手まといでしかない。
商人のように、
だれに向かっても愛想笑いし揉み手していて、
すべてのお客さんの利益に奉仕する人間は、やはり邪魔ということか?

戦争の対義語は平和でない、「通商」だ
という仮説が、経済史の学者さんから提出されたことがある(西洋の人です、お名前を忘れました)。
今この説の含意を痛切に感じる。

商人を大切にできない社会は、暴力肯定と表裏一体にある。

私は、商人とTaxi運転手とバス運転手とを守るために戦いたい。
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テーマ:中国問題 - ジャンル:政治・経済

この記事に対するコメント
凶悪な漢族を退治しましょう。
東トルキスタン(ウイグル)の独立に向けて、みんなでがんばりましょう!!ウイグル族を虐殺した漢族は必ず日本人にも同じ虐殺をおこなう。ウイグル族は明日の日本の姿です。
【2009/07/07 05:46】 URL | さちこ #- [ 編集]

商ハ社会ノ本也
さちこさん、コメントありがとうございます。

もちろん凶悪な限りにおいて、漢族の人たちを排撃しますが、
同様に凶悪なウイグルの人たちをも、私は排撃します。

上に書いた通り、今回、私は、商人と運転手さんたちの味方でいます。
民族主義こそが、今回の事態の発信源である以上、
どの民族でも、民族を政治の原理にして、商家やノリモノを襲っている人たちは、
私にとって相容れない存在です。
【2009/07/08 21:52】 URL | デルタ #JnoDGgPo [ 編集]

強者の論理
デルタさん、こんばんは。
今回のご意見、なるほどと思うし面白い見方だとも思うのですが、やはり違和感を感じます。

たしかに通商行為は、平和でないと成り立たないし、いざ騒乱があったとき、真っ先に狙われるのは仰せの通りです。

しかしながら、交流と言っても、経済的侵略とか経済的搾取という一面も厳然と存在するわけで。
一方的に利益を上げていながら、その地のコミュニティに全くなじまない人々がいますよね。例えば、ユダヤ人とか華僑とか。

>商人を大切にできない社会は、暴力肯定と表裏一体にある。

確かにその一面は否定できません。でも、果たして単純にそう決め付けてよいのか?

世の中の大勢は、資本主義で動いていますから、絶対的な価値になりがちですが、中には「商」行為が卑しい価値観の社会もあります。

そうした社会は、「商」行為に長けた人々の攻勢に弱いです。一方的搾取になりがちです。
そうした社会の人たちから見れば、デルタさんの意見は「強者の論理」に見えるかもしれませんね。

「通商」は、平和が必要ですが、私には戦争の対義語が、「通商」というのはいささか疑問を感じざるを得ないのです。
【2009/07/08 23:20】 URL | 一知半解 #f2BEFQoE [ 編集]

一知半解さんコメントありがとうございます
おそらく、一知半解さんが持たれた違和感は、
通商が、Peaceの状態とかけ離れている
という点に発しているのだと推察します。
けれど、もし、Peaceでない通商が成り立つとすれば、
それは政治権力を背景にした強制性があるときでないでしょうか。
もちろん、中国的な(あまりに”中国”的な)現象として、現地政府と漢民族の商人とが贈収賄で結びつき、現地の商人を排除する、という現象も起きていると推察できます。が、それは、あくまで政治の腐敗なのであり、(1)商取引から政治権力を排除する(それを求めてボイコットする)、あるいは(2)地方政権の役人の腐敗を北京政府へ越訴することにより回復可能であるものです。
ご存知の通り、共産主義の謳い文句を自ら放棄した今、共産党政府は自分たちの正統性を疑われることをもっとも怖れています。だから地方役人の粛正にやたらと熱心であり、それを知っている民衆も、最近では北京詣でを繰り返しています。

資本主義との関係でいえば、
産業のうち、資本家(出資者)や資本財が必然的に必要になるのは、商社(卸売業)や近代化後の製造業であって、商店と呼ばれるような小売業は、資本財も他人からの出資も本来は必要ありません。もちろんチェーンスーパーなどは資本財を必要とするでしょうけど、財を持たないからその商売から排除される、という現象は起きませんよね?
というより、ウルムチのような都市において、無一文の人が無一文状態から脱するためにはじめる職業は、それこそ小売業か運転手、あるいは建築労働者のどれかではないでしょうか?

たとえばウイグルにカルフール(べつに大陸中国系の大型小売店でも同じ)が進出して、周りの零細商家がバタバタつぶれていっている、というなら一知半解さんの「強者の論理」「搾取」という評も当たると思います
(が、かりに大型小売店の脅威があるにしても、それはそれで、零細小売商も共同仕入れシステムを作ったり合資会社を作ったりして対抗できるはずなので、政治の介入が必要とは、無条件に思いませんが……)。
が、今の事態は、五分の関係での商行為へ民族という無関係な原理を持ち出すことで、「他者を排除」しようとする者どうしの利権の引っ張り合いとしか、私には映らないのです。
【2009/07/13 19:59】 URL | デルタ #- [ 編集]


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