ほしあかりをさがせ
山登り・サイクリング・星見・石仏探し 本命は何なのか、出たとこ勝負で行ってみましょう
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デルタ

Author:デルタ
四十才代、三重北勢在住の技術者です。ちょっとだけ営業マンもしてました。
ネット上では、磨崖仏の研究家としてごく一部の人から認知されてる(らしい)。磨崖仏・星見・歴史小説創作については、本館のHPを見て下され。

他の任務:東洋的リバアタリアニズムの確立。
       日本まんなか共和国 勝手に観光大使

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論湿寒貧
何度か書いたと思うけれど、
私は、「合理的経済人」という存在が、「自律的に」いるとは思っていない。
人とは弱い存在で、合理的とわかっていても、その選択肢を選べず妥協することは、日常的にあることだ。
「経済的に合理的な判断をさせる」のは、彼/彼女の縁者たちだ。
「なぜそんなムダなことをしたの」
親だったら、兄弟だったら、夫婦だったら、……生活を共にするからこそ、すさまじいチェックが入る。
まして自営業の家庭なら、その厳しいチェックは、私の想像を超えると思う。

そうして、我々は「他律的に」合理的経済人とされてしまうのである。

まさか、そんな論理で人を追い込むようなことを、普通するのか
と聞く方があるかもしれない。
しかし、実際にあるのだ。

天台宗に「論湿寒貧」という言葉がある。
有り体にいうと、比叡山での修行が他の宗派の修行に比べ、辛く厳しい点を4つ並べた言葉だ。
(実際、平安時代には、この修行環境に耐えきれず、命を絶ったり、人知れず山を下りてしまった僧も多いらしい)

湿:夏の湿気
寒:冬の寒さ
  これらはお堂が粗末だったから(らしい)
貧:これは、僧侶の多さの割に、公家から戴ける喜捨が少なかったことによる
それらを越えて、第一に辛いとされたのが
「論」なのだ。
論……つまり、法論での舌鋒の鋭さ、勝敗の容赦なさが、
他の悪環境にも増して辛いものだったというのだ。

私たちは、愚かだ。
愚かであるがゆえに、相互批判により、なんとか軌道修正していく必要がある。そして、その軌道修正は、本人が真剣であるほど辛いし受け入れがたいものにもなる
そんな真摯な社会が、いつのまにやら無くなっていないだろうか。
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テーマ:おぼえておくべきこと - ジャンル:政治・経済

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