ほしあかりをさがせ
山登り・サイクリング・星見・石仏探し 本命は何なのか、出たとこ勝負で行ってみましょう
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デルタ

Author:デルタ
四十才代、三重北勢在住の技術者です。ちょっとだけ営業マンもしてました。
ネット上では、磨崖仏の研究家としてごく一部の人から認知されてる(らしい)。磨崖仏・星見・歴史小説創作については、本館のHPを見て下され。

他の任務:東洋的リバアタリアニズムの確立。
       日本まんなか共和国 勝手に観光大使

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磨崖仏薩長同盟
お盆に行った山口と鹿児島での、磨崖仏探査の概略を報告します。
早く、本館のリストをメンテナンスしないとな……。

山陽小野田市有帆 菩提寺山磨崖仏
薬師如来(地蔵菩薩立像へ改作の未遂?)   1体
地蔵菩薩(もしくは弘法大師)座像      1体
(不明)立像                1体

熊野神社の裏山の山上、頂上まであと10mくらいの位置に
イワクラがあり、そこに輪郭のみを残す僧形の1.5mくらいの坐像が刻まれている。
そして、もう一体。大いに物議を醸す磨崖仏が、南面に面した大岩にある。
その姿(特に顔立ち)から、いったんは日本最古の磨崖仏(薬師立像)と判定されながら、
追刻されている跡があると明らかになって、「この仏像は本来何だったんだ」と大もめになっている現場なのだ。
(もとから彫ってあった仏像へ、細工を加えたために、原型をとどめていないのでは、と疑われているわけ)
実際に見てみると、厚さ3cm以上の浮き彫り(陽刻)でずんぐりした薬師如来になっているのだけど、薬壺の周りにはっきりと錫杖の輪っかが残っている。……だからもとは地蔵さんであることは確定的。しかも錫杖のもっとも高い面よりも薬壺のもっとも高い部分のほうが、背景よりも浮き上がっている。……「岩を削って彫る」ということは、こういう経緯があると私は推定した。

(1)もともと薬壺が彫ってあったところに、
(2)錫杖へ修正しようとして背景を削り(錫杖を陽刻する)、
(3)薬壺を削ろうとしたが諦めた。
……ということで、薬師如来立像を、地蔵菩薩立像へ改作しようとしたのだが、
それを途中で放棄した、と推定できる。


出水市高尾野町 洞亀寺跡磨崖仏
 地蔵菩薩立像1体
 造成時期  17C
ごろごろさんに示唆していただいて、探してみました。肥薩オレンジ鉄道の高尾野駅から山手へ。田んぼの中に伸びるまっすぐなあぜ道の入口に、獅子と金剛力士の石像があり、まさに小さいながらもお寺の参道という感じ。
その奥、岡の裾の竹藪の中に、かわいい顔立ちの地蔵菩薩。
なんでも、川に転落し溺れた小僧さんの供養にと、住持のお坊さんが発願して彫ったものなのだとか。

薩摩川内市樋脇町 倉野磨崖仏
 梵字17
 阿弥陀如来座像1体
 五輪塔    3体
 造成時期 14C(1318年9月)
当時、瑞泉庵という禅寺があり、寂円房が亡き親の供養のために作る。瑞泉庵自体は、1250年に入来院(荘園)の地頭となった渋谷氏(相模の今の大和市あたり)からのさらに分家である倉野氏が建てた。
ほとんどの”仏”が梵字で表現されているのに、阿弥陀如来ひとりのみ、仏像として彫られているのが興味深い。
そういえば、禅宗と阿弥陀信仰とがむすびついていた時代があるのかな。

薩摩川内市東郷町 小路磨崖仏
 梵字1
 阿弥陀如来座像1体
 造成時期 16C(1517年9月)
上に書いた倉野氏の居城の東側にある断崖に、祠をつくり阿弥陀さんを彫ってある。
添えて彫ってある銘から造成年が確定しているが、その時期は、お城がまだ使われていたころにあたるという。武運を祈ったのでは、と解釈するよりないけれど、
かなり希有な作例です。

霧島市横川町赤水 岩堂観音
 阿弥陀如来座像1体
 勢至菩薩立像 1体
 観音菩薩立像 1体
造成時期 14C(1334年)
霧島温泉駅から南へ歩くこと1時間強。肥薩線がトンネルを掘ってくぐっている丘から、南へ向かって流れる谷川の水源付近にある。
オーバーハングの岩に守られた幅20mくらい岩壁に向かい合う境内。物音が反響し、ちょっと神秘的な空間(試しに読経してみると、ほんま、妙に宗教的でした)

南さつま市 坊 下浜滝磨崖仏
 地蔵菩薩像 1体
造成時期 不明
顔の大きさと同じ程度の大きさがある杖先端の輪っかが特徴的で、地蔵菩薩像と判定。
せっかく薩摩に来たのだから、と有名な坊津を訪れ、その町並みや歴史資料館を訪れた帰り……、実は枕崎への帰りのバスが2.5時間待ちだったので、枕崎へは歩いて戻ることにして途中寄った滝の脇にあったのを、偶然にも見付けたのです。犬も歩けば棒に当たる、って感じでしょうか(汗)
ただし、急傾斜地でもあり、周りも公園に改装してあるので、磨崖仏は堰堤の向う(岩面まで5m以上ある)。しかもコンクリート吹きつけに埋もれかかっているという保存状態の悪さ……(怒)
ともかく、日本最南端の磨崖仏と認定。

小括
さて、鹿児島の磨崖仏に、他ではまれな特徴がある。銘文があることで、造成時期が年月日まで確定できていると言う点だ。例に出して申し訳ないけれど、山口の菩提寺山磨崖仏の曖昧さと好対照だ。それどころか、銘が入っている磨崖仏は、全国的に見ても、10箇所に1箇所くらいだと思う(あとで数えてみます)
中世のしかも禅宗がらみの仏像と言う点でも統一されているので、一種の禅宗文化と考えるべきかも(といっても、禅宗と銘をつけるマメさとに関連があるか、私にも判らない)
もちろん、例外はあって、坊(坊津)のものは埋もれていて、銘文があったかどうかも疑わしいわけですが……。
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テーマ:神社仏閣 - ジャンル:学問・文化・芸術

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