ほしあかりをさがせ
山登り・サイクリング・星見・石仏探し 本命は何なのか、出たとこ勝負で行ってみましょう
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デルタ

Author:デルタ
四十才代、三重北勢在住の技術者です。ちょっとだけ営業マンもしてました。
ネット上では、磨崖仏の研究家としてごく一部の人から認知されてる(らしい)。磨崖仏・星見・歴史小説創作については、本館のHPを見て下され。

他の任務:東洋的リバアタリアニズムの確立。
       日本まんなか共和国 勝手に観光大使

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あなたの30分をいただけませんか
よく考えると、なぜほとんど毎年というペースで、政治家さんを選ぶ選挙へ、私らを投票しているのでしょうかね。
選挙公報を読むのだって一苦労、立候補者の各人が提案しているプランは、お互い比較不可能だし、仮に可能だとしても、費用対効果が不明。
用語だって、背景にある法律だって、戦後体制60年の積み重ねのうち、専門家でも解釈不能になっている(年金が良い例ですね)

そういうものを、あたかも、「そんなの常識じゃないの」と知らない方が悪い、
「リテラシーのない」「社会への関心のないダメな奴」と、決め文句でやっつけられる。

もちろんね、それぞれの「専門」な部分で判断すれば、それも一理あるのだけど、
そんなことをしているから、我田引水が始まるわけで。

結局、誰ひとりも、「正しい」判断をできないわけだ。

そんな、面倒で、稔りが少ない、おまけに「頭のよさを測る」ような行為に、
なぜ、わざわざ律儀に私もつきあっているのだろう。
その暇に、ボランティア活動に行くほうが、本当は稔りあることになりかねないのに……。

政治が、社会問題の最終解決手段だ、と信じる人は、政治活動に「価値」を感じるだろう、
だからほとんど例外なく、政治に関わる人は、投票を呼びかける。

けれど、社会問題を解決する手段として、……宗教活動、ボランティア活動……と自由競争を繰り広げたとき、優位性を何で主張できるだろうか。

私が思うに、「浅くしかし社会へまんべんなく行き渡る」可能性が、政治にはある、という一点でないだろうか。
少なくとも、宗教的な良心から社会を明るくというならば、宗教活動に徹したほうがいい、限られた空間に影響する取り決めならば、地域のボランティア活動のほうが直接的だ。
だから、それらを政治に取り込むときには、既存の競争相手と政治とが、市場原理で費用対効果を競う必要がある。
……それは、政治に勝ち目がありませんね。

そう考えると、政治は、「浅くしかし社会へまんべんなく行き渡る」という原則の宿命として、とらえどころなく、抽象的になる。
結果、「よくわからない」となる。

そんな、哲学的に難しい課題へ、日曜大工的に平凡な市民につき合わせるわけである
政治の世界からのアプローチも、ちょっと違って良いかなと思うのだ。
「義務」なんて硬いことをいったり、「損しますよ」と脅すのでなく

「あなたの30分を、社会への知恵だしに、貸して頂けませんか」と、
それくらいは言って欲しいな、と思ったわけである。
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テーマ:衆議院解散・総選挙 - ジャンル:政治・経済

この記事に対するコメント

現在のアメリカを見てもそんな悠長な事が言えるのですか?
悪人が政治を牛耳るようになったら、人の命さえも商売の種にしかねない、
武器業者は戦争が有るほど儲かると言う事を考えたら、
政治はボランティアに及ばないなんて、のんきな事を言ってはおられないと思いますが?
【2009/09/05 09:44】 URL | 和久希世 #dN1wHbUA [ 編集]

権力を与えないことです
和久さん、こんにちは。

> 現在のアメリカを見てもそんな悠長な事が言えるのですか?

私が思うところ、
アメリカにしても、日本にしても、
「そこに暮らす人が、分を弁えて、自治する」という大原則を見失って、
政治を権力と見ているので、暴走している、と見ているのですが、どうでしょうか。

仮にそれぞれの政府が、ボランティア団体なみの予算しか持っていなければ、
兵器を買うことができませんし、兵士を動員することもできません。
武器業者も商売を成立させることができなくなるでしょう。

私は、むしろ、こんな世の中だからこそ、
政治をダウンサイジングし、ボランティア活動や宗教活動と同じ土俵で戦わせる必要を感じるわけです。
(もちろん、それらが相互に牽制しあい、暴走を抑制しあう、ということも狙っています)

> 悪人が政治を牛耳るようになったら、人の命さえも商売の種にしかねない、

たしかに、悪人が「政治」を牛耳ることもあるかもしれません。
……というより、権力を握ればどんな善人でもその権力を恣意的に行使したくなるものなのです。
(韓国の元大統領、ノ・ムヒョン氏が典型例でしょう)
その現実を考えれば、政府の権限・権力・予算を削減することが、
戦争から遠ざける、なによりも強い「制約」となる
と私は考えるのですが、いかがでしょうか。
【2009/09/07 23:29】 URL | デルタ #JnoDGgPo [ 編集]


そういう意味ですか。

でもそのように法律を改正させるためにも、
国民は政治を見張っていなければならないのでは有りませんか?
でないと、現政権にやりたい放題を許すことになってしまうでしょう。

気がついたら戦地に行かされていたりして・・・・・
(私は老女ですから、その恐れは有りませんが、そんな事になったらは若者が可哀そうです。)
【2009/09/16 17:26】 URL | 和久希世 #dN1wHbUA [ 編集]

Re: タイトルなし
ご返事遅くなり申し訳ないです。

> でもそのように法律を改正させるためにも、
> 国民は政治を見張っていなければならないのでは有りませんか?

いや、それ以上に、政府へ、予算を与えないことのほうが本質でないでしょうか。
日本のように、憲法に書いてまで、非軍備を法制化しているにもかかわらず、
やはり、安心毛布として、軍備が欲しくなる。
その軍備へ実質を持たせないようにするには、予算で頭を押さえ込むほうが得策です。

また、政府が、「何かを生産する機関でない」にも係わらず、
政府をあたかも「生産的な経済主体」のように扱っている現状(たとえば、公益事業体が政府の出資で作られたり、年金保険の利回りを政府が保証していること)と、
「納めた金以上のベネフィットを、それらへ国民が求める」特性とが相乗すると、
最終的には、「政府が他国から軍事的に富を略奪する」ことでしか、両立できないことになります。

つまり、「国民を守る」ための法律が錯綜していく内に、例えば傭兵をやとって他国の鉱山を占領する、という方向が是認されることになりかねない、
私は、むしろそんな危惧を持っているです。

だから、予算を断って軍隊を干上がらせよう、と私は考えるのです。

【2009/10/09 00:22】 URL | デルタ #JnoDGgPo [ 編集]


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