ほしあかりをさがせ
山登り・サイクリング・星見・石仏探し 本命は何なのか、出たとこ勝負で行ってみましょう
プロフィール

デルタ

Author:デルタ
四十才代、三重北勢在住の技術者です。ちょっとだけ営業マンもしてました。
ネット上では、磨崖仏の研究家としてごく一部の人から認知されてる(らしい)。磨崖仏・星見・歴史小説創作については、本館のHPを見て下され。

他の任務:東洋的リバアタリアニズムの確立。
       日本まんなか共和国 勝手に観光大使

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年頭のご挨拶に代えて、私の中にある思いを、述べたいと思います。

私の生まれ育った家のすぐ近くに、未舗装の道がある。
小さな団地からJRの駅へ出る時に近道になるので、きっちりした踏み跡はあるけれど、田圃とそれをつぶしてできた駐車場などと、斜めに流れる川とに挟まれた、細長い三角形の空き地に踏み跡ができているだけで、道というのは正しくないかもしれない。だが、その距離約100m、街灯もないけれど、確実に生活道として機能している。
かつて、この場所は雑木林の中だった。今から20年前、すべての木が切られ、真ん中を横切ってバイパス車道ができた。
それでも、その踏み跡はほとんど位置を変えていない。川岸ぎりぎりを通っていく。
結局、道は、人がどう歩きたいか、その欲するあり方を重ね合わせてできるもので、周りの環境が多少変わっても、道は変わらないのだ。
この道の場合も、つまるところ、目的地--駅前へ通じる車道への出口--への最短距離となるようにできている。


今や、道ができるとき、ほとんどすべての道は役所によって舗装されることを、住民は期待する。そして、その道をどう引くかも、地元民が歩く動線とは無関係に、自家用車の能力を意識してルートを決める(そうすることを、地元民が疑問にも思わなくなっている。地元民も歩かなくなったためだろう)

以上は、実際に私の郷里(滋賀県大津市)の片隅にある、せいぜい100人程度が使う小道のことだ。が、願わくば、私の寓意を汲んでくださると、うれしい。
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テーマ:雑記 - ジャンル:政治・経済

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