ほしあかりをさがせ
山登り・サイクリング・星見・石仏探し 本命は何なのか、出たとこ勝負で行ってみましょう
プロフィール

デルタ

Author:デルタ
四十才代、三重北勢在住の技術者です。ちょっとだけ営業マンもしてました。
ネット上では、磨崖仏の研究家としてごく一部の人から認知されてる(らしい)。磨崖仏・星見・歴史小説創作については、本館のHPを見て下され。

他の任務:東洋的リバアタリアニズムの確立。
       日本まんなか共和国 勝手に観光大使

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磨崖仏雪中行軍(滋賀・甲賀市信楽編)
10時、信楽駅に着いたそのとき、標高が低いとはいえ、ここを高原だと意識した。
ひんやりした空気が、ダウンジャケット越しに染み入ってくる。
信楽というと古窯・信楽焼の窯元が並ぶ信楽川沿いの盆地が知られるだけだけど、実は懐が深い。南へ長いスロープを詰めていくと、伊賀の国へ直接たどり着く。そんな伊賀にもほど近い山間の集落に多羅尾というところがある。滋賀出身でわりと県内をくまなく訪れている人でも、名前を聞くだけの土地だろう。わたしもそんな1人だが、もう一つ多羅尾について、知っていることがある。
磨崖仏があることだ。
それも、相当名の知れた磨崖仏なのだ。
わたしのリストを見ても明らかなように、滋賀の湖南から伊賀そして奈良の山添あたりにかけては、磨崖仏が群れてある。それらの磨崖仏の中で、この磨崖仏が典型例とされている。とりわけ、島ヶ瀬の磨崖仏(3群ある)は、ここと同じ人が彫ったと推測されるのだという。
下調べでは、多羅尾への便は土日運休だけど、近くの六路川の集落まで市営バスが運行されているはずだった。が、停留所の立て札に付いている時刻表には、「六路川」の名前がない、あれ?と思いつつ、結局自転車を借りることに。

駅の事務所に入って自転車を借りる。全日600円、3段変速のママチャリは、なめらかに走ってくれる。これで600円は安いわ、とご機嫌だったのは、最初の20分ほどだった。
強い西風にあおられて、雪が降り出したのだ。
ただ、これも想定内。天気予報も、「降っても午前だけ。午後から晴れる」といっていた。……が、天気予報が平野部を基準に出していること、そしてここが「高原」であることを私は忘れていた。
風の当たり方にもよるのか、血行の良し悪しもからむのか、左手親指の爪の付け根あたりから、ヒリヒリし始める。この風の中で手袋なしの走行は、少し無理があったか、とか思いつつ、ムキになったのが悪かった。
緩やかな上り坂を走るうち、道も平になって、そろそろ集落へ入る道に分岐するのかな、と思ったとたん大きな標識が現れる
「三重県 伊賀市」
その裏手には、非情にも、ある。「滋賀県 甲賀市」という標識が。
そう、ここは、県境の桜峠(標高320m)。分岐はとっくに過ぎていた。
言い換えれば、目的地の多羅尾集落は、ここから西へ約3km(直線距離)。
間にある笹ヶ岳を迂回するためには、これまた4km弱戻り、鋭角に折り返して5km以上登り返す道を走らないといけない。

下り坂は、まあよかった。
問題は、多羅尾へ登り返す細い車道だった。ほぼ向かい風。傾斜も強い。行程の半分以上を、降りて押し続けた。林間の道なのだけど、半端に幅があるので風を遮ってもくれない。息苦しさえもある。
そんな路傍……左手に流れる小川に、1か所朽ち始めた丸木橋。気配を感じて見ると、やはり磨崖仏があった。地蔵の立像が2体、将棋の駒のような彫り窪めの中に、並んで立つという、独特のものだった。(こちらの磨崖仏は、少なくともネット上では「報告」の類が一切ない。場所を伝えるのも難しいので、近くにあった電柱の番号だけ書いておきます。「タラオ242 S32」)

路面の日陰に雪が凍てついているところなどが現れ始め、いよいよ自転車を乗り捨ててて先へ行く必要があるか、と思い始めたころ、やっと、集落への入口にあたる「小峠」についた。この峠をはさんで、北への川は琵琶湖へ注ぎ、南側の流れは西へ進んで瀬田川へ直接注ぐ。標高こそ低いけれど、この付近の地形は結構複雑だ。

目的の磨崖仏は、大戸川(瀬田川へ注ぐ方の川)沿いに西から来る道との交差点よりさらに東側の、集落外れにあった。
3群に別れそれぞれに20mくらいの間隔が空いているけれど、見るからに同じ時期同じ手で、同じコンセプトで彫られたもの。
それぞれの像は、30cm前後の背。
いちばん東の群は、集会所と使っているらしい平屋の建物の右手にあるガレージの脇。在家信者をかたどったものかなと思う合掌像1体と、阿弥陀坐像、それに例の地蔵立像2体が並ぶ組からなる(他に、宝筺印塔をかたどったもの4つ)
もっとも派手に群れるのは、まんなかの群。こちらは、道路に面して、1mほどの岩の上に載っている大岩の側面に彫ってあるので、嫌でも目に付く。(写真を撮るときには、注意して下さいね。幅が1車線ぶんしかない車道のまんなかあたりまで出ないといけないほど、道に迫っている像なので)
阿弥陀像と、右手に剣を持った不動立像と思われるものを中心に据えて20体くらい彫ってある。
左脇には、「愛宕山」と彫った立派な天然石の灯籠があるのは、愛宕権現との関係があるのかもしれない……けれど、磨崖仏があきらかに中世(13Cとされる)の作風なのに、石灯籠は古く見積もっても化政期くらいの雰囲気(苔すらない)、後付のような気がする……。

一番西の群れは、どうやら岩からそげ落ちたらしい仏像が、地面に置いてあるものだった。いずれも地蔵2体の立像を組にしたパターンが、3組。それと、たぶん地蔵だと思える劣化が進んだ1尊立像。

大漁や~!とひとりニヤニヤしてました。通り過ぎる車で、怪訝な顔をしていた皆さん、ごめんなさい。

ちなみに。天気予報は外れではなかった。
13時過ぎに多羅尾を出た時点では、冷え切った風に乗り執拗に降っていた雪も、長野(信楽の中心街)まで下ると、気配すらなくなって、日射しもあるわ、風も凪ぐわ。体感温度で5℃は間違いなく違うほどになったので。
よかった。寒中を走ること計3時間以上。あと1時間あの風と雪が続いたら、手の指が間違いなく感覚を失うところでした。
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