ほしあかりをさがせ
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デルタ

Author:デルタ
四十才代、三重北勢在住の技術者です。ちょっとだけ営業マンもしてました。
ネット上では、磨崖仏の研究家としてごく一部の人から認知されてる(らしい)。磨崖仏・星見・歴史小説創作については、本館のHPを見て下され。

他の任務:東洋的リバアタリアニズムの確立。
       日本まんなか共和国 勝手に観光大使

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黒い月
日本には、かつて、月を黒く描くシキタリがあった。
日本画とよばれる全ての画法に共通していたのとは違うが、
大和絵と呼ばれる流派では、何の疑いもなく、空へ黒丸を描き込んで月を表すことにしていた。17世紀くらいの作品でも、ほぼ例外なく、そのように描いていた。
もちろん、理由があってのことだろう。
私が推測するだけでも、二つくらい理由がある。

(1)太陽と区別するため
絵に描くときには、月にしろ太陽にしろ、それらをアップで書くことがなかった。
だから月に見える「海(黒い模様)」を書き込めば、太陽と区別がつけられるにしても、それを筆で描ききれるものではない。……とすると、太陽も月も「白い丸」で描くよりなくなる。が、両者を区別つけなかったら、場面が、昼なのか夜なのかを区別する術がなくなる。その混乱を避けるため、陰陽に大別すれば陰のものである月を黒く描くようになった。

(2)夜の空を「黒」で表現できなかったため
画面を黒・灰色に塗りつぶす風習がなかった昔の日本の絵にあって、白の丸は、描いたところで目立たない。まして、ハーフトーンなしのベタ絵である大和絵では、漆黒の空と、月に照らされる雲と、さらに月影の浮かぶ遠景、それらを描き分けることができない。……夜の場面をすべて黒に描いては絵としてなりたたないわけで、必然的に夜の空をも白で、月を黒で描くよりなかったのだ……。
そして、(2)にも関連するけれど、月自体を絵の主題にすることがなかったから、ということも理由だろう。月はあくまで光源なのだ。重要なのは、それに懸かる雲や、地上の人々や桜の花であって。
となると、前述の通りハーフトーンを使いこなす技法に乏しかった大和絵の世界では、「白黒つけるぜ!」(ゼブラーマン風に)と、描きたい世界を白(色彩のある世界)とし、光源の月をあえて黒(色彩のない世界)として描く、というあべこべを許したのだと思われる。

月にウサギが住んでいる、
そういう話を信じていた私たちの先祖。
竹取物語を語り継いだ私たちの社会……
けれど、月そのものを、注意深く絵に描くことがなかった、私たちの先祖たち。

結局は、「月」という目の前にある天体を、
観念でしか捉えていなかったということか。
その観念を破ろうとしても、絵の技法という「抑圧」が遮ってきた、ということか。

もちろん、やがてこのタブーは破られたのは
室町期以降の水墨画などをみればわかるのだけど、
母国在来の伝統文化(手法)の限界を見るようで、
1天文マニアとしては、さみしい話だ。

最後に。
なぜ、こんな話を唐突にはじめたかを、説明しますと。
桑名市博物館で現在開催している、「王朝のみやび 伊勢斎宮」展を訪れ、普段は斎宮博物館に収蔵されている(常設展には出ていない)「伊勢物語色紙貼交屏風(右双)」を見てきたからでした。
源氏絵合わせ貝(平安時代から続く遊び「貝合わせ」に使う蛤の貝殻。ただし、江戸時代のこれは、源氏物語の絵が内側に描いてある)など、かなり華やかな展示物が並んでいます。普段収蔵庫に眠っているものの虫干しを兼ねてのだそうで、結構お得な展覧会のようです。

 会場 桑名市博物館(桑名駅から徒歩15分程度)
 入場:無料(<-ここ重要!)。
 会期は、3/7まで。


追記)
同展示で、徳川美術館にある有名な「源氏物語絵巻」も写真パネルで展示してあった。
(六条御息所が実在の斎王「斎宮女御(徽子女王)」をモデルにしている、という縁で、斎宮博物館は、源氏物語関連のものにも力を入れている、とのことらしい)

その竹川の条で、大姫と中姫とが賭碁をする場面の絵もパネルの1つにあった。
(この条が宇治十帖に属するのは、辛うじてわかるけど、源氏物語は皆目検討がつかない私。なぜ大姫と中姫とが賭碁をはじめたか 等々詳しいことは、他のサイトをあたって調べて下さい。お願い……)

最近、詰碁にもはまっているので、どんな手筋が12世紀の日本で流行っていたのか興味もあり(爆)、盤面を見た。
驚きました。黒の碁石だけが20くらい置かれているけれど、白の石がまるきりない。白の石を取った様子もないし、かといって置碁(ハンデで黒石を最大9コ置いたところからはじめる対局)でもなさそう。
そこで、私は上の月の問題と同じことを考えた。

大和絵では、「白く塗りつぶした丸」を描くことがタブーになっていたのか?と

どなたか、詳しい方、ご教示ください。
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テーマ:日本文化 - ジャンル:学問・文化・芸術

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