ほしあかりをさがせ
山登り・サイクリング・星見・石仏探し 本命は何なのか、出たとこ勝負で行ってみましょう
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デルタ

Author:デルタ
四十才代、三重北勢在住の技術者です。ちょっとだけ営業マンもしてました。
ネット上では、磨崖仏の研究家としてごく一部の人から認知されてる(らしい)。磨崖仏・星見・歴史小説創作については、本館のHPを見て下され。

他の任務:東洋的リバアタリアニズムの確立。
       日本まんなか共和国 勝手に観光大使

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アタクシの話(その1。民族あるいは文化を「背負う」まで)
もう亡くなって6年にもなる鷺沢サンの私的なことを掘り起こしてしまったのも、寝覚めが悪い(苦笑)
いくらエッセイなどを通じて公言されている内容とはいえ、面識のなかった方なのだし、
あのゴーカイな「姉御」様にアノ世でお会いする可能性を考えると、
懺悔も覚悟しないといけないし、その予行演習として……
と冗談はともかく、同じ話題でわたくし自身のことを。

ひとつは、民族・文化を私がどういう背景で意識し、そのことについて何を考えているか、ということ。そして、別項にしますが、わたくしと韓国とがどう出会い、どう関わろうとしているか、ということを。

私にとって、「血筋」というのを最初に意識したのは、高校2年のときでした。父方の祖母が亡くなった直後、彼女が住んでいた京都・東山の家を処分した直後だったと記憶しています。
何度か書いたように、私の父方は、清水焼のごく零細な窯元でした。名の残るような職人ではなく、日用品を焼いていたような職工だったのだと思います。
屋号を仮に「I屋」としておきましょうか?この店がどの程度古いかが、家の処分の時に判明したのです……、ともったいぶっても仕方ないな、私からみて4代前、はじめてその土地を借りたことが、地主であるお寺の記録で確認できたのでした。
が、「店」と「血筋」とは別なものなのです。
詳しいことを書くのは勘弁して欲しいのですが、血筋としては、3代前で途切れています。しかも、単に養子を取ったというのではなく、かなり非倫理的なことが、相続にあたって発生してました(これも、同じお寺の記録ではじめて確認できたことでした……)。時に、明治維新の寸前、当時「剣戟の声」が響き渡っていた東山三十六峰の麓ですから、どれだけ混乱していたか、想像がつこうというもの。だから、止むを得ないことであっただろうし、同じように止むを得ないと縁者たちも追認したのだろう、と私は想像します。
とはいえ、表だっては「I屋」は商いを続けており(株・鑑札の類があったのでしょうけど、それを取り上げられることもなく)、初代と2代目との「親子関係」をとやかくいう人もいなかったようです。

……史料上記録に残る「家系」には、かならずしも「血筋」が反映されない。闇に葬られることもある……

私が「歴史」を見るとき、「文化」を考えるとき、「血筋(あるいは”家督”)」の正統性を軽視する……人によってはバカにしていると見えるかもしれないほどに……のは、この切実な事実を見ているからなのです。

とすれば、私に課せられた……背負うべき「文化」とはどういうものなのでしょうか。
私が意識するのは、2つの「流れ」の交点にあるものです。「流れ」は時間とともに発展し、集散するもので、ある意味「根無し草」でさえある、と言えるかもしれません……。
2つの流れそれは、
ひとつは、自身の生活体験。もう一つは、技術者(手に職”だけ”を持つ者)の社会的な宿命です。

卑近な例になるのですが、私の実家のお雑煮のこと。私が覚えているかぎり、母が作るお雑煮の煮込み方が、2回ほど変わったものです。彼女は同じ京都・下京の出身なのですが、私がもの心ついたころは、白みそに丸餅だけを入れたものだったのです(母に聞くと、彼女の実家でのお雑煮をそのまま作った、というもの)。私が小学校4年くらいのとき、たしか兄が余所でお呼ばれしてきたのをオイシイといったとかそんなことがきっかけだったのですが、コイモを半分に切って入れるようになりました。すると、今度は父親が異を唱える(爆)「俺のオカンは、餅を焼いてたぞ」……私の祖母は遠く山口から嫁いできた人なので、京都の伝統とは反するものを作っていたのでしょう、それを恋しがった、というわけなのですが、焼いてみると、餅がとろけないし歯ごたえもよい、「これや!」と家族4人が肯きあい、以降定番になった、というわけです。
……こんな話を、「伝統」と呼んでいいのでしょうか?たぶん呼びませんよね。
「文化」は、その「場」に居合わせる人たちの生活体験を反映しながら、だんだんと作り上げられるものなのです。そう私は確信したわけです。

もうひとつ、私自身が、技術者であるという事実です。
唐突ですが、"Boomer"という語をご存知でしょうか。阪急ブレーブスにいた3冠王のバッターと反応いただいた方、残念ながらここでは「外れ」とさせてください
(そんなソウル・メイトへ。あとでこっそり私と盛り上がりましょう!)。
閑話休題。
Boomerのもともとの意味は(米語での用法ですが)、ゴールドラッシュのときに栄えている(Boomになっている)金鉱を渡り歩く鉱夫のことを指しています。
この語源を知ったとき、しみじみ私も"Boomer"なんだなぁと思ったのです。
花博(「大阪 花と緑の博覧会」)の年に大阪市内の大学へ進学し、都市博の準備に忙しい時期、就職で隣町の川崎市に移住し、液晶TVのカメヤマモデルが有名になったころ当の亀山市へ事業売却にくっついて移住し、とまるでお祭りを追いかけたような引っ越しのも理由だけど、
自分が働く某電子部品製造の業界で、著名な(?)製造・設計現場を転々としてきた、という事実が何よりの「証拠」。

ゴールドラッシュ時代の鉱夫が、ツルハシ一つ担いで、鉱山を渡り歩いたように(それも、自分の意志というより、周りに流されるようにして移動したのだそうです……)
私も、関数電卓と、専門書数冊、あと理科年表を、移った職場の机に必ずもって移る

それが「技術者」の姿なのでしょう。

日本は(韓国も同じだと思うのですが)、社会のあるべき姿として「農本主義」を掲げてきました。「農本主義」は必ずしも「農業を主産業とする」という産業政策ではありません。他の産業を農業同様の産業構造にしよう、という思想と考えるべきです。「LSIは、電気産業のコメ」と言った日本の通産省のお役人が、なんとも象徴的です。
が、農業……とりわけその理想型である「自作農による営農」と、鉱工業との間に働く人の有り様からみて決定的な差が1つあります。
それは、「鉱工業の労働者は、土地にくくられない」という事実です。
建て前として、私たちは、地縁的なコミュニティーの中で文化が継承されていく、と認識し、歴史(社会というべき?)のモデルを構築します。
が、鉱工業の労働者である私たちは、そこに時間(「時刻」)の軸が加わります。いつの時点でのどこの文化、という時間発展(衰退)が、人の流れとともに発生する……、
はたして、今、民俗学や歴史学で、文化を語るとき、この視点が薄くないでしょうか。
たとえば、元禄文化から化政文化へ移行する際に、中心地が移った理由に無頓着すぎないでしょうか。

言い換えれば、民族も、地縁で語るべきものでもないとすべき、とも言えるでしょう。理由は、もはや書く必要もないでしょうね。

理由を持って流動し、集散を繰り替えす
面倒くさいモデルですが、私には、文化がそんな風に見えるのです。

……こう語ると、なぜ私が、在日外国人の参政権に肯定的か、おぼろげに伝わるかも知れませんね。
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テーマ:Resistance-日本 - ジャンル:政治・経済

この記事に対するコメント

うちも両親が関西と関東出身だったので、雑煮の話に思わず頷いてしまいました(^^;
日本の農本主義は、農業が基幹産業からすっかり脱落しても思考構造だけ残ったなんとも奇妙な代物ですね・・
【2010/02/28 02:44】 URL | ネコ #5IxCOZfY [ 編集]

「農者天下之大本也」……か……
ネコさん、コメントありがとうございます。
本来、都市生活者の思想だったはずの儒教からして、
近世以降の日本では農本主義に転化してしまったのですから、この壁は厚そうです。

さらにいうといまだにその思想の影響から、日本のエライサンは、抜け切れませんからねぇ。
【2010/03/07 17:03】 URL | デルタ #- [ 編集]


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