ほしあかりをさがせ
山登り・サイクリング・星見・石仏探し 本命は何なのか、出たとこ勝負で行ってみましょう
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デルタ

Author:デルタ
四十才代、三重北勢在住の技術者です。ちょっとだけ営業マンもしてました。
ネット上では、磨崖仏の研究家としてごく一部の人から認知されてる(らしい)。磨崖仏・星見・歴史小説創作については、本館のHPを見て下され。

他の任務:東洋的リバアタリアニズムの確立。
       日本まんなか共和国 勝手に観光大使

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チキンレースはスポーツか?
私の親父殿は、定年退職後10年ばかりスキー場で働いていたこともあり、スキーへの偏愛がどこかにある人だ。そのスキー場で働いていたころ、ちょうど日本国内にスノーボードが広まりだし、「スノーボーダーが邪魔だ」とよくいっていました。
やはり、スキーとスノーボードとでは、斜面を降りる時の軌跡が違っているのでしょうね。どちらがどちらか、という議論はともかく、自動車とオートバイとが同じ車道で走るような、「うっとうしさ」があっての、近親憎悪なのでしょう。
さて、そんな新興スポーツの中でも、さらに極致のようなスポーツ、ハーフパイプのことで、この前のオリンピックが、妙な盛り上がりを起こしましたね。
……国母選手のことです。

私には、スポーツマンとしてどういう服装でいるべきか、というのは、判りません。
そもそも、ジャケットを着て会見するべきなのか、むしろトレーニングウェアが「制服」でないのか、とさえ考えてしまうのです。(考えてもみてください。高校の体育の先生って「トレパン・トレシャツ」姿で職員室に陣取ってますよね)
だから、まして、ジャケットの「制服」の着こなしが「見苦しい」といっても、はてニュースにするほどのことか?と、最初は冷ややかにみていたのです。

が、kknekoさんがBlogで彼のことを書いておられるのを読んで、もっと重大なことが、背後にあると感じたのです。

>ガチガチの氷の上で5mもの高さに跳躍して、ニャンコ顔負けの空中錐揉み回転をやってのけるんだから、度胸も半端じゃないよね。格闘技系と違って闘う相手は100%自分自身の恐怖心。
その通り、誰かと競う「戦い」は結果もわかりやすい。が、自分自身まして「恐怖心」と戦うというのは、果てのない挑戦です、高貴でなかろうはずもない。
が、です。逆に言えば、他のスポーツなら当然歯止めとして働くはずの、「肉体の制限」「精神の制限」を無効にした状態に、競技者を追い込むという怖ろしさもあるわけです。
リュージュなどのソリ競技が判りやすいですね。
瞬発力や持久力の差では、ソリのスピードが変わらない(コース選択で変わることがあっても)。その裏返しとして、「恐怖心」や「判断」に基づいて、自力でソリのスピードを変える手段もない。いちど競技をはじめてしまえば、恐怖心と戦うのが勝利への最大の条件になる……
冬季オリンピックには、この構造を持つ競技が多くあります。ハーフパイプもそう、ソリ競技もそう、スキージャンプもこの雰囲気があります。

いっぽう夏期のオリンピックで、この構造の競技がありますか?せいぜい水泳の高飛び込みくらいでないでしょうか。

暑い時期に体温を上げるような体の動きを強いる、と言う点で、本来は夏期のオリンピックのほうが体には過酷なはずなのですが、不思議と競技者から死者が出ることがない。
しかし、冬季オリンピックではすでに死者が何回か出ている。

チキンレースになっていませんか?このオリンピックが。

死……そこには、競技者としての「死」を含んで言いますが……をつねに意識しているからこそ、美しくもある。そして、戦いの過程としてある種の「表現」として、反逆的な服の着こなしもする。室町期の婆娑羅の心意気が、スポーツに蘇ってくるのでしょう。国母サンのあの着こなしは、まさに婆娑羅です。

が、繰り返していいます。
競技スポーツは冒険ではありません。そう安易に「生命」を賭けるようなものであっては、成り立ち得ないでしょう。選手の躯を競技大会の度に消耗してしまっては、そのスポーツの世界は死のスパイラルに陥ります。

私は冒険を否定するわけではありません。
冒険は、意義のある行為です。が、冒険では、自分が曝される危険を認識し、危険を自身でコントロールしようと、参加する人が心がけています。
冒険は、目の前で他人と競うことがない。まさに、自分との戦いに徹する環境を作り、それぞれのペースで危険を克服していくものなのです。

そうかくと、少なくとも、オリンピックという空間で行うべき競技でないとお分かりいただけるでしょう。そして同時に、婆娑羅者が、わざわざその空間へ乗り込んで、調和を乱す必然もないでしょう。
国母サンへ、「世論」(というマスコミ論調)があのような拒否感を示したのは、
スポーツが持つの世界観の和を、冒険の論理が侵入したことへの違和感が、根底にあったのではないでしょうか。

(万一、目の前で競うと、どういうことが起きるか。「最悪の例は南極探検のスコット隊だ」とだけ書けば、お分かりいただけると思います)
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テーマ:スポーツニュース - ジャンル:ニュース

この記事に対するコメント

なるほど・・確かに。
エアリアルとか、冬季の方がリスクが高いものが多い気がしますね。リュージュ以外にも滑空系で結構柵に激突したり、負傷した方は何人もいただろうと思いますが。
これって、ドーピング問題とか、国威発揚とか、いろいろな側面と絡んできそうですね。
私はスポーツ音痴でよかった・・かも?(^^;
【2010/03/08 01:07】 URL | ネコ #5IxCOZfY [ 編集]

ネコさん、コメントありがとうございます
>私はスポーツ音痴でよかった・・かも?(^^;
これは、私も(苦笑)

ドーピングにしても、「国家代表」の選考システムにしても、
オリンピックは、本来の設立の精神からは考え、苦しい運営になっているように思いますね。
「健全な身体に健全な精神の宿らんことを」……ということならば、
常習性・中毒性のないカフェイン程度ならば、解禁してもいいはずなんだけど、
競技の公正さを求めるために、「風邪薬でメダル剥奪」なんてことまで起きてしまう……。

国威発揚の点では、
ラジオ中継で連呼された
「ああ、日本転倒!、日本転倒!!」てアナウンス、本当にどうかと思ってしまいます(爆)
(シートン俗物記さんのとこで、コメントに書いたネタの使い回しです-苦笑)
【2010/03/11 23:59】 URL | デルタ #JnoDGgPo [ 編集]


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