ほしあかりをさがせ
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デルタ

Author:デルタ
四十才代、三重北勢在住の技術者です。ちょっとだけ営業マンもしてました。
ネット上では、磨崖仏の研究家としてごく一部の人から認知されてる(らしい)。磨崖仏・星見・歴史小説創作については、本館のHPを見て下され。

他の任務:東洋的リバアタリアニズムの確立。
       日本まんなか共和国 勝手に観光大使

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これだから、シロウトは
とシロウトが書くのもおかしいのですが、
シロウトの書く古代史の本て、ほんとどうにかならないですかね?
昔、筒井康隆サン
「SF作家協会は、邪馬台国を法定伝染病に指定しなければならない」
と皮肉っておられたのを、思い出す今日このごろ。

今回やり玉に挙げるのは、
「日韓がタブーにする半島の歴史」(室谷克美著 新潮新書)
はっきりいって、低俗過ぎます。
私でも鼻くそをほじりながらでも、矛盾点を追求できる、バッタモンです。

著者がどれだけニュース通信会社の韓国特派員として実績を積んだ人か知りませんが(またビジネス上でどれだけトラブルに巻き込まれた知りませんが)、報道機関を勤め上げた人が書く文章として杜撰過ぎます、
……いや、韓国の悪口を正当化するために、無理して解釈し書いているという感じでしょうか。

問題点その1
倭と弥生人と後世の日本人とを混同した記述になっている

問題点その1’
その裏返しとして、朝鮮半島の南部に住んでいた倭を、後世の韓国人と切り離し、日本人と結びつけて扱う。

そりゃー、こういう恣意的な読み方が許されるならば、日本人が朝鮮半島の歴史を作った、と強弁できるでしょう。
が、これらの命題にどれだけの信憑性があるでしょう?
だいたいにして「倭」て何者なのですか
日本史の学者は、平然と「日本人」と結びつけますが、平安時代に「蝦夷」と呼ばれた人々は、古墳時代の関東地方の人々は、それぞれ、倭と本当に呼んでいいのか?
種子島の広田遺跡に葬られている海洋交易民を、弥生人と呼んで良いのか?
少しでも東洋史や人類学に興味を持った人なら、首をかしげるでしょうね。
実際、そういう文脈で、中国の文献史学(北方民族の関係だったと思う)の大家の内田吟風サンは、邪馬台国をジャワ(スマトラ)に同定してたりするぐらいです。
余談だけど、彼の言ったことがふるっています。
「私は、文献をありのままに読むことで、歴史像を明かにしてきました。われわれ文献史学の学徒は、そうやって見解を積み重ねてきたのです」


改めて調べてみると、
「倭」の語釈には、
(ピンインを表示できないのでコトバで声調を添えます)
国名を示す 「を」……wo(第一声)以外に
人の貌の様を示す「ウィ」……uei(声調は不明)があったのです。
(梁代の辞書「玉篇」より)
ここにいう貌は、スガタと訓が充ててありますが、
具体的には、顔への入れ墨のことを指すのでは、という説があります。
もっとも、後者は根拠無しと、退けられているのですが。

(ちなみに、俗に「コビト」を指すという説もありますが、
 古代中国の辞書には出てきません)

氏もおそらく精通してるであろう韓国語で「倭」をどう発音してますか?
……Wae(語源的にはWai)ですよね。
つまり、古代に使われていた「ウィ」の痕跡が、韓国語に残っているのです。
つまり、ueiの説もあながち根拠がないとも言えず、
倭には、
 国を指す場合と(wo)
 ある習俗を持つ人々を指す場合(uei)とがある、と考えたほうが良さそうです。
だからこそ、奈良時代、ヤマト朝廷の唐への使者が「国号を日本としたい」といったときに、倭と日本との関係を尋ねられたときに、説明が混乱したのでしょうね。
「国としての倭(wo)は、ヤマト朝廷が併合した、
が、
民族(というコトバが適切か、私も悩みますが)としての倭(uei)とは、我々はその「別種(一部)」である」

倭がダブルミーニングであるとしたら、彼らの言ったことに、こういう一つの合理的な解釈が成り立つのですから
(まさに旧唐書に記録された使者の返答を、文字通りに読むとこうなるのです!)

問題点その2 製鉄技術は日本から?
また、この本には、
-日本は1世紀後半にはすでに、鍛造で武器を作るという先進地で、製鉄技術は、日本から朝鮮へ伝わった
といった先走った記述もあります。

これには、仰け反ってしまいました。
常識で考えてみましょう。
(1)鋼を赤熱させるために必要な温度(鍛造の過程で必要な温度)
(2)還元鉄を溶かすために必要な温度(製錬で必要になる温度)
(3)鋼を溶かす温度(精錬の過程で必要な温度)
は、低い順に並べたら、上記の通りになります。
だから、技術的には鍛造が一番簡単なのです。
もっとも、実際には、銑鉄や鋼が無ければ、精錬も鍛造もできないので、
文明発祥の地では、製錬->精錬->鍛造の順に技術が発展します。
(だから、鍛造が、文明的にもっとも進んだ段階というのも事実です)

が、銑鉄や鋼を輸入できるとしたら、当然、要求される温度がもっとも低い鍛造から技術が発展するわけで……、
そう、日本の隣には、紀元前1000年から製錬技術を持っていた中国があるのですから、日本や朝鮮半島では、自前で銑鉄や鋼材を作る必要なかったのです。
実際、日本でも鍛造こそ1世紀後半にできていましたが、精錬は3世紀後半、鋳物を作るのに至っては、8世紀後半まで実現できていない。これが、考古遺跡からわかる厳然たる事実です。
そして、著者は認めたくないでしょうけど、韓国でも同じことが起きています。
「先進的な倭人がいた」伽耶の地ではなく、後に新羅になる今のGyeongju(慶州)のHwanseong洞付近で出てきた鉄加工工房の巨大遺跡があるのですが(1992年頃から発掘されだした。たぶん著者は存在すら知らないのだろう……)
1C後半には、鍛造と精錬をしていたことを示す、残滓や遺構が出てきており、さらにその上層からは、3C後半に精錬から鍛造、そして鋳物作りまでを一貫して行う工房集落の遺構が出てきているのです。

どうです?
鉄の精錬については、韓国Gyeongju付近に遅れること200年
鋳造(鋳物つくり)にいたっては、遅れること400年以上でようやく、
日本列島で実現できるようになったのです
(しかも精錬遺構は、千葉の遺跡のみなので、
両者を結び着けることに、ちょと無理があるだろう)
これで、「製鉄技術は日本から韓国に伝わった」と抗弁できるでしょうか。

以上は、倭の語彙については、中国語と韓国語を平行して勉強する過程で、直感的に感じたことを、辞書(県立図書館の書庫から出してもらいましたが)で調べただけであり、
製鉄については、技術者の常識に照らして、考古学の論文集や技術史の本を数冊図書館で探しただけ。
なんともシロウトらしい調べ方をしているし、また、シロウトの強みである自分の本業の知識を流用するという手法で導き出せた事実です。

県立図書館で、シロウトが2時間調べただけで、これだけの反証が挙がるという本ってなんなのでしょう?
しかも、それが、Amazonで画期的な本と囃される現状はなんなのでしょう。

これだからシロウトは
とシロウトでも言いたくなるこの気持ち、お分かりいただけますよね。

(参考文献)
この種の話題については、全般的には「越境の古代史」(田中史生 ちくま新書)が参考になります。
中国での動向も入っていて、よりダイナミックで視野も広い記述です。
倭の語源に関しては、「「日本」とは何か」(神志田隆光 2005)が、まとまった良い記載。
日韓の製鉄の歴史については、
「韓半島考古学論叢」という本の論文「三韓の鉄器生産体制」(武松純一)
「鉄と銅の生産の歴史」(佐々木稔編 2002)を参照
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テーマ:歴史 - ジャンル:学問・文化・芸術

この記事に対するコメント

はじめまして。
この本は私もよみましたので、少しコメントさせて下さい。
なお、文中では敬称を略してあります

>倭=日本人ではない
これは全く同意します。
ただ、同様に
 高句麗・百済・新羅も=現在の北朝鮮・韓国人
も成り立ちません。
また、歴史上の中国王朝を築いてきた人々にも非漢族が多いです。
今日のナショナリズムの延長線上で歴史について論じるのはあまり生産的ではないです。
従って、高句麗・新羅についての史書の記述から、現代の韓国人の気質について論ずる室谷の論法には強い違和感を覚えました。

ただ、
 「何でも中国・半島から伝わった」
という思いこみもまた戒められべきかと思います。
前方後円墳については韓国の研究者(朴天秀ら)の中にも「倭から伝わった墓制」であると認めて、自国の民族主義を批判していたりもします。必要なのは考古資料に基づく歴史文献の検証にあります。室谷の主張の中には傾聴に値するものもありますから、「バッタモン」と切り捨てる気はありません。
まぁ、現代韓国人を貶めるための無理矢理な解釈が目立つことは確かですが

「邪馬台国論争」は決着していると思います。
いわゆる「魏志」倭人伝が編纂された当時の政治状況を考慮すれば容易に読み解けますし、あの記述をまともにとって地理的に「邪馬台国」を探すことこそトンデモだと思うのですが、いかがでしょうか。
内田は優れた業績を残していますが、この点をとれば明らかに読み違いをしています。

鍛造・鋳造に関する室谷の理解は明らかに間違っています。
明らかにより高温を必要とする鋳造の方が難度が高く、また高温焼成が必要な陶質土器(須恵器)との親和性から考えても、半島の技術が列島のそれに勝っていたと考えた方が自然であると考えられますね。

急に押しかけてのコメント投稿、失礼しました。
ご不快でしたら消去して下さい
【2010/05/31 00:14】 URL | オジオン #vy9NGj6Y [ 編集]

歴史の対象
オジオンさん、コメントありがとうございます。

歴史をどこまでの「範囲」で書くか、というのは、たしかに難しいですね。
私も定見がなく、困っているとこで
逆に、そういう困惑と無縁に、書かれた本に、
「お手軽な(読者に阿った)歴史の切り取り方だな」と反感を持った
というのが、正直なところです。

> 高句麗・百済・新羅も=現在の北朝鮮・韓国人
>も成り立ちません。

は、血筋という意味では、その通りですが、
「国史」が「民族史」ではない以上、
「今、韓国/北朝鮮と呼んでいるテリトリーで過去に起きた事象」と定義するよりなくなり、
結局、その歴史の対象は、高句麗、百済、新羅……といった「人々」になります

歴史を「民族のもの」と見ますか「テリトリーのもの」と見なしますか「政権のもの」と見なしますか
……韓国でも、日本でも、今後鋭く問われる時が来る、と私は確信しています。

そして、その点、「倭」は、もっととらえどころがない……ひょっとすると近世(鎖国=管理貿易体制)以降概念として消滅してしまった存在と見られるわけで、
しかも、それが日本のテリトリでもあり、それ以外でもある、という実態を、
国民国家の「国史」の中で、定義できない「存在」でないかな、と考えたのです。

山崎正和サンが、かつて(臨教審だったかの委員をしていたときに)、「歴史」を義務教育から外そう、という意味のことを言われたのも、
結局このあたりの矛盾に突き当たったため、と私は解釈していますが……。
【2010/06/07 00:43】 URL | デルタ #JnoDGgPo [ 編集]


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