ほしあかりをさがせ
山登り・サイクリング・星見・石仏探し 本命は何なのか、出たとこ勝負で行ってみましょう
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デルタ

Author:デルタ
四十才代、三重北勢在住の技術者です。ちょっとだけ営業マンもしてました。
ネット上では、磨崖仏の研究家としてごく一部の人から認知されてる(らしい)。磨崖仏・星見・歴史小説創作については、本館のHPを見て下され。

他の任務:東洋的リバアタリアニズムの確立。
       日本まんなか共和国 勝手に観光大使

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死ヲ司ル社会(幕間の口上)
冬目景さんの作品「羊のうた」の文庫版全4巻が7月に発売完了。
改めて手にとってみて、「愛する」という行為の中にある悲しさを知る。
誰を、どのように、愛しているか、
疑いなく愛せるならば、ハウンドドッグとかエコーズを聞いていればいい。
考えれば考えるほど、
「もっと愛を愛を愛を」なんて、無責任なフレーズを言えなくなるだろうに。

羊のうたでいえば、千砂さんが父親を父親として愛していなかったのか、といえば嘘になるし、逆に父親の志砂さんが千砂を、ありのままの姿で愛していなかったという千砂の思いこみも一面では「思いこみ」に過ぎない。(志砂さんが、奥さんの百子さんが発病したときに、千砂に対するような行為では”癒そう”としなかった様子だから。この二人に、気性の違いがあるのに気付いて、違った接し方をしようとしていたと察せられる)

それにしても、この文庫版が完結する夏に、リアルに「役所への届上は死んでいない、行方不明のままの人」がこんなに判明するとは思わなかった。


こうして実際に起きることを見てみると、
死を判定するのは、やはり「家族」なんだなと思い知らされる。
「家族」が死を認めないと、その人は社会的に死んだことにならない。
失踪をなぜ届けないのか……、そこは、法制上の問題があるみたいなのだ。
失踪宣告の後に待ち受けるのは、まさに「民法上の死」となってしまうから。
しかも、死んだものと「推定する」のではなく、「死んだものと見なす」という規定……だそうだ。

つまり、生きて出てきたら自動的に取り消されるのではなく、
裁判を経て取り消してもらわないといけないらしい。

そんな規定があったら、私も、失踪届を出さないだろうな。

やはり心情としては、残された家族は「岸壁の母」と同じ心情で、
戸籍を残しておきたい……
この当然の心理を、社会制度に反映させないと、
リアルな「百子さん」が増えてしまうでしょうね。
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