ほしあかりをさがせ
山登り・サイクリング・星見・石仏探し 本命は何なのか、出たとこ勝負で行ってみましょう
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デルタ

Author:デルタ
四十才代、三重北勢在住の技術者です。ちょっとだけ営業マンもしてました。
ネット上では、磨崖仏の研究家としてごく一部の人から認知されてる(らしい)。磨崖仏・星見・歴史小説創作については、本館のHPを見て下され。

他の任務:東洋的リバアタリアニズムの確立。
       日本まんなか共和国 勝手に観光大使

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「旅行者」たちよ
神保町に戻ってきて、映画「冬の小鳥」を鑑賞。

この、はっきりいって重い映画を見ようと思った直接のきっかけは、
去年韓国を旅したとき、その最終日の未明に見た無言のTV番組を思い出したからでした。
当時の記事に書いたように、
非常に近い昔の話として、もらい子として(主に欧米へ)引き取られていく子供が、そのルーツを求めて、
「母さん、連絡下さい」と訴えている現実があります。

この映画が、まさにそのもらい子の現場を、子供視線から描いたものです。
時に1975年‥‥主人公の女の子が9歳が、実の父親によって、孤児院に置きざられるところから、物語がスタートします。

私と同じ生まれ年の子が、この映画が展開される孤児院の女の子の中にもいます(当時、私は6歳です)。
これは、韓国独特のことなのだ、豊かな(物質的にも、親子の絆でも)日本ではおき得ないことだ、と、
人々は言い張るかもしれません。
が、決して豊かな地域で生まれ育ったわけでない私は、身にしみて知っています。
少なくとも絵空事ではないのだと、
「川で拾われてきた子供」という中傷が、まったくのシャレではすみそうになかった社会が、
この日本にも、わずか35年前に存在していたことを。

‥‥そんな境遇の女の子たちが、親に捨てられたという現実と折り合いをつけていくまでの姿を、
子供の目線の高さから語られていました。
その目線では、大人たちの顔は見えず、だから、その言葉が表情を伴うことなく耳に届きます。だから、大人からするとなんでもないことばが、「嘘」となって突き刺さる。
そして、茨や土が、その身や心を守るための道具として、非常に近しい存在となって現れます。
言葉少なな彼女たちを、そのような道具立ての中で「語らせ」て物語が展開していきます。

そして、もうひとつ重要なこと、その孤児院は、院長さんを除いて女性ばかりの世界であるということ。
孤児院にまつわる女性たちには、「頼りにするべき男性」がいません。
一人年長の孤児の女の子(高校生くらい?)も、恋が実ることなく、やがて現れた養父母に引き取られていく
決して幸せな養子縁組でないことを、みなが察知しながら、表向き笑顔で送り出す、という世界。

寮母さんというのでしょうか、子供たちの身の回りの世話をする女性がひとり、無言で布団をたたく、
このシーンが、当時男から置きざられた女性たちの、諦観と怒りを覗き見ることができる、
‥‥男として、胸が締め付けられるシーンでした。

そのように、絵の作り方が、すこぶる丁寧な映画で、
おそらく子役のひとたちの表情を引き出すのにも、しっかり手間をかけたのだろな、とも感じました。
この点、非常に良心的というのか、好感が持てる映画です。

東京なら岩波ホールだけ、ほかの都市;名古屋や大阪でも、それぞれ1館だけでの上映、というのが、本当にに惜しい映画です。


最後に、そんな韓国の社会を、口さがなく揶揄する人が、日本にあふれていますが、
同じ韓国を「批判」するなら、これくらいのビジョンと深みと痛みを持って、語ってほしいものです。
そう、韓国は‥‥私たちの社会とそう遠いところにあるものではないのですから、
痛みは、わがことでもあるのです‥‥。
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テーマ:韓国映画 - ジャンル:映画

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