ほしあかりをさがせ
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デルタ

Author:デルタ
四十才代、三重北勢在住の技術者です。ちょっとだけ営業マンもしてました。
ネット上では、磨崖仏の研究家としてごく一部の人から認知されてる(らしい)。磨崖仏・星見・歴史小説創作については、本館のHPを見て下され。

他の任務:東洋的リバアタリアニズムの確立。
       日本まんなか共和国 勝手に観光大使

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家族主義経営の内と外
戦国時代、武士が君主から授けられるものとして「感状」というものがあった。
有名なあたりでは、
関ヶ原前夜の東軍による岐阜城攻めで、落城する間際に、
城主織田秀信が籠城した家臣全員に感状を書いて渡したという逸話がある。

これは、落城により、法人としての大名家一家が崩壊するときに、職を失う家人たちが、再就職するのを助けるための、いわばジョブカードとしての役割を持っていた。

戦国時代にまでさかのぼると、日本の「家」は永続的ではなく、まさに一代限りの個人企業に近い法人であったといえるだろう。だから、外様とはいえ、ひとたび雇われればやはり家人となれた。

企業は一家である……いつのころからだっただろう、そんな言い方が、日本で定着してきた。
松下幸之助の経営哲学あたりが始まりだったろうか。
しかしこの場合の家族は、戦国時代以上に企業=プロジェクトとしての性質を持っているにも関わらず
無理やり、永続的で不動のコミュニティとして家族のモデルが適用されるのが常だった。
だから、その家族がいやがる仕事があるならば、「外部」へその仕事が委託されるのが常だった。

一家の建前と、実業のプロジェクト運営とのギャップを埋めるために、委託や外注がはじまる
その際には、一家の「身内」への同等の待遇や配慮がなされない

……それが家族型経営の暗部的な実態であった。

今回の東電の原発事故で、その暗部が如実に出た。

実際には、外注の人たちによって原発が動かされ、
その被曝量に対する安全配慮も、どこか杜撰でおざなりにされてきた。
そんなことが、今頃になってあらわになってきたのだ。

しかし、どうもピントのボケたことを言う人がいるもので
そういう企業体制を、近年になってのコストカット・効率一辺倒の経営や雇用の自由化の所為とみなし、……「新自由主義批判」へと曲芸的に結び付けていく論法を、よく見かける。

そういうかたたちに聞こう、
関西電力の美浜発電所での日雇い労働者の被ばく補償訴訟が起きたのは何年のことだった?

これらは、あまり言いたくないのだが、
家族の一員である労働組合が、危険作業をうけたくない、と強く要求するあまり、
正社員と非正規雇用者との待遇格差を、公然と要求してしまったことに端を発している。
そんなことがあったのが、1975年ごろであったという……まさに、家族型経営が礼賛される前夜、
いわゆる日本型経営が健全に働いていたはずの時期なのだ。

今回の震災で、日本の嫌な部分を認識せざるを得なかった人が多いと思う。

しかし、その病根は、われわれの最も深い部分にかかわっているのも、自覚してほしい。
日本を仮に「一家」と譬えるのならば、
その家という内輪を確保するために、
嫌な家事を担わせるための、”外の人”が、その陰に必ず設けねばならないということを。

そういう人たちを公正に扱うために、「政治」という公共機関が存在するのであって
身内の取り決めやその利益のために、「政治」をするのではないということを。
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テーマ:経済 - ジャンル:政治・経済

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